第3話

 その日も、今日と同じような暑い日だった。

 小学校一年生になったばかりの栞は、三つ年下の志保と手を繋ぎながら仏頂面で電車に揺られていた。

 買ってもらったばかりのヒマワリ柄のワンピースの裾を握り、苛立たし気に足を上下させる。


「栞、足バタバタしないの」


 隣から母の手が伸びてきて、膝を押す。ピンと伸びた脚の先で微笑む魔法少女と目が合った。これもワンピースと同じ時に買ってもらったのだが、お出かけの日まで待つことができずに履いてしまい、すでに少々汚れていた。

 魔法少女のピンク色の頬にとんだ染みは、昨日の夕方にうっかり水たまりに入ってついたものだ。母に泣きついて洗ってもらったのは良いが、綺麗に落ちなかった。

 それが、栞の機嫌が良くない理由のうちの一つだ。

 もう一つは、今着ているヒマワリ柄のワンピースと、大口を開けて眠り込んでいる父の手元にある二つの麦わら帽子だ。


「ねーね、あし、バタバタしないのっ!」


 繋いでいた手を離し、志保が栞の膝に手を乗せる。最近志保は、何でも人のまねをしていた。今日は母親のまねをすると決めたようだ。

 ニコニコと微笑む彼女もまた、ヒマワリのワンピースを着ている。サイズが違うだけで全く同じ柄のワンピースを見るたび、栞の心はざわついた。

 今から一週間ほど前、おばあちゃんの家に行く前に新しいお洋服を買ってあげると言われ、栞と志保は母と一緒にショッピングセンターに来ていた。

 自分で自由に洋服を選ぶことの少ない栞と志保は大いにはしゃぎ、あれこれと悩みながらもお気に入りの一つを選んだ。

 何かと決断するのが早い志保は、リボンのついたピンクのワンピースを選んでいた。それなのに、栞がヒマワリのワンピースを選ぶと「しほもそれ欲しい!」と我儘を言い出し、自分のサイズのものを掴むと離さなくなってしまった。

 どちらか一つと言われても、どちらも欲しいと泣き喚き、レジに並んでいる最中も手放すことはなく、結局母が折れた。


「妹ちゃんは、お姉ちゃんとお揃いのが着たかったのよね」


 レジのお姉さんが微笑ましそうにそう言っていたが、お揃いにこだわるのなら何故ピンクのワンピースを栞にも買ってくれなかったのか、不満で仕方がなかった。

 ワンピースが一つ少ないからと、カップアイスをダブルで買ってもらえることになったのだが、そこでも志保は我儘を言ってまんまとダブルにしてもらっていた。

 麦わら帽子だけは栞が選んで良いと言っていたのに、一目惚れした赤いリボンは志保に取られてしまった。店内在庫が一つしかない商品をお揃いにすることは出来ず、泣く泣く水色のリボンの物を選んだ。


「志保はいま、何でも真似したい年頃なの。こんな時期もすぐに終わるから、少しだけお姉ちゃんが我慢してね」


 そんなことを言われても、納得なんてできない。自分には、お揃いが良いと駄々をこねる相手がいなかったのだから。

 今日だって本当は、一緒の服で行きたくなかった。絶対に祖父母は、お揃いで可愛いわねと言って、栞よりも志保のほうをたくさん褒めるのだから。

 好きでお姉ちゃんになったわけではないのに、まるで栞が望んでなったかのように我慢をさせられる。ショートケーキに乗っているイチゴだって、クッキーの最後の一枚だって、ガチャガチャで出てきた人形だって、優先的に志保に持っていかれる。


(志保なんて、いなければ良かったのに)


 そうすれば、常日頃から栞が感じている苛立ちや行き場のない悲しみは生まれてくることがなかったはずなのに。


「ねーね、おうまさん」


 志保が栞の指をツンツンと引っ張り、真っすぐに窓を指さす。俯いて唇を噛んでいた栞は、顔を上げると真っ青な空に浮かんだ雲を眺めた。

 大きな入道雲の周りにはちぎれた小さな雲がいくつも浮かんでおり、志保がどれを見て言っているのか知ろうと、視線を左右に振る。

 おにぎりのような三角の雲に、ピョンと伸びた二本の耳があるウサギの雲、小さな丸が上下にくっついた雲は、雪だるまのように見える。


「えー、ウマなんてある?」

「あぁ、あれじゃない?」


 母の指先が、崩れた四角の雲を示す。

 何とも言いようのない形に崩れており、四足歩行の動物に見えないこともないが、相当の想像力を働かせないと見えない。


「えぇー、あれぇ? どっちかって言うと、犬とか猫のほうがまだ見えるよ」

「志保の目には馬に見えてるのよ」

「ウマならもっとこう、大きくないと……」

「ちがう! おうまさん! ほら、おっきいの!」


 志保の手が、栞のツインテールの髪を掴む。グイと引っ張られ、栞の顔が歪む。最近、志保は無視されると、髪を引っ張ることが多くなった。その都度母に怒られているのだが、姉がすぐにこちらを見てくれる便利なスイッチだとでも思っているのか、叱られてもめげずに引っ張ってくるのだ。

 母が少々語気を強めて志保を叱るが、二人の耳には届かなかった。

 窓の外を、真っ白な馬が走っていたからだ。

 電車と並走するように優雅に駆ける白馬の背には純白の羽があり、風を受けて揺れていた。

 栞は息を呑むと、呆然と美しい白馬を見つめていた。電車と同じスピードで走る馬は、美しいアイスブルーの瞳を栞に向け、パチパチと二度瞬きをすると、背の羽を震わせた。

 バサリと純白の羽根が舞い散り、白馬が空へと浮かび上がる。


「ねーね、おうまさん、みえた?」

「うん……見えたよ」


 白馬が空へ空へと上っていき見えなくなったころ、電車が停車した。開いた扉から熱気が吹き込み、忘れていた蝉の声が聞こえてくる。


「でもあれ、ウマじゃないよ」

「おうまさんだよ」

「背中に羽があるのは、ウマじゃないんだよ」


 確か以前、学校の図書室で見たことがある。


「ユニコーンかペガサスか、どっちかだよ」

「背中に羽があるなら、ペガサスだよ。ユニコーンは、額に角があるやつ」


 今まで眠り込んでいた父が目を覚まし、そう補足すると、大きな口を開けて欠伸をした。

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