そちも悪よのう
「それでは、皆支度はよいか」
「いつでもよろしゅうございます」
「では、ゆるりと入るぞ。慌てて入ってはならん」
……熱っっっっつうーーー!!
「熱い……熱すぎるぞ……」
「これは……たしかに効きそうで……ございますな」
「湯もみしてもこの熱さとは……」
天明三年もあと残りわずかとなり、山の頂がうっすらと白くなり始めた頃、俺は弟子や家臣たちと共に草津温泉へと足を運んだ。
草津村は長野原村の北にあり、吾妻郡の主要街道である大戸道からは須賀尾宿から分かれて北上する道を通る。
それ以外にも、ここへは東西からも道が通っており、湯治客の往来で賑わうこれらは総称して「草津道」と呼ばれている。
なんでこのタイミングで湯治に来たかと言うと、草津はかなりの豪雪地帯で、山道が雪に覆われて行き来するのも難しくなる冬になると、村人が湯宿を閉めて雪の少ない村へと移り住む。今年もその季節が近づいており、ここで行かないと春の雪解けまで待たねばならないからだ。
湯宿が閉まっても、雪山をかき分けて行けば温泉に入ることは出来る。だけど八甲田山みたいなことになってはシャレにならないので、行くなら作物の収穫もある程度目処がたった今でしょということだ。
ちなみに、この時代の草津も周囲を温泉宿に囲まれた中央で湯が滔々と流れ出ており、これが後に言う湯畑だと思われるが、未来のように仰々しく囲われてはいないし、今のところ湯の花の採取もされていないようである。これはつまり……取って金にせよとの天のお告げに違いない(グフフ……)
「しかし、斯様な山奥にあっても湯治客が大勢おるのですな」
「それだけ効能があると知られているのだ。肌がヒリヒリするのはその証であろう」
草津温泉と総称しているが、ここの源泉は一つではない。小さいのも含めると数え切れないほどあるようで、それぞれ効能の違いは多少あれど、基本的には全て強酸性。消毒効果が高いということだ。
つまり、細菌由来の病にはだいたい効くということ。皮膚の病気や怪我、内臓の疾患に至るまで、様々な効能があるわけだ。
とはいえ、一度に長く浸かることは出来ない。殺菌効果が高いということは、悪い菌も殺すが身体に必要な菌も殺してしまうわけで、必要以上に長く浸かれば、皮膚がボロボロになること請け合い。
なので一回の入浴時間はほんの僅かしか許されないし、他の温泉地のような湯巡りなんてもってのほか。故に療養する者は長期で滞在し、毎日少しずつ、決められた時間だけ入浴しながら病や怪我を治すのだ。
「もっとも、熱すぎて長くは入れません」
「そうであるな」
草津のもう一つの特徴は、湯がクソ熱いということ。普通は外気に触れたら冷めるものだが、ここの湯は元々の温度が高く、木板で湯もみして外気を取り込んで冷まさないと、とてもじゃないが入れる温度にはならない。
俺は出来れば温めの湯で長風呂したい派なんだが、ここでそれは無理だ。
「先生は湯宿を増やすお考えで?」
「うむ。これだけの湯は他にそう見当たらぬ。使わぬ手は無いな」
温泉から上がり、湯冷まししながら弟子たちと共に温泉活用法の知恵を出し合ってみる。
「湯治客をより一層呼び込むのですね」
「そうだな。湯治客が中心にはなるが、可能であれば、旅の途中で街道を通る者が一夜の宿にと立ち寄れるようにもしたい」
「一日二日入るだけでは病への効能は無いかと思いますが」
湯治というものは、長期滞在で毎日湯に浸かることで効果を発揮するものという、弟子の茂さんの発言はもっともだ。
未来の温泉旅行みたいに一泊二日や二泊三日の滞在で病気が治るとか、美肌になるなんてことはあり得ないのだが、俺が短期滞在者を増やしたいのは理由がある。
「吾妻ではこれから新たな作物が農産の主力となる。これらを草津や近隣の温泉宿の逗留者に消費してもらおうと考えている」
温泉宿を産業として振興するには、そういった客の取り込みも必要だ。
これは個人的な見解だが、温泉旅行が未来でも盛んなのは、非日常感を味わいたいからではなかろうかと思う。
日頃の仕事や生活からくるストレスの発散やリフレッシュのため、温泉街の風情や情緒、そして効能があるという湯に浸かり、ご当地グルメや名産品、文化芸能を堪能するといった感じで、そこで登場するのが、吾妻でしか味わえない食材と料理だ。
今のところありきたりな野菜の栽培から始めているが、これはまあ緊急避難的なものなので、いずれはまだこの国に存在しないものを植えていきたいと考える。
「なるほど。他領に持ち込まず、吾妻の中でそれを消費するということですか」
「全部とまでは申さぬが、日持ちのせぬ野菜もあるからの」
吾妻でしか味わえない非日常感。それが噂を呼び、更に新たな旅人が訪れるという循環を作りたいのだ。
そうなると、湯治客より短期滞在の旅人のほうが都合がいい。長期滞在だと毎日毎日食べるうちに飽きもくるだろうが、一日二日だけの客なら珍しさから手が伸びそうだし、なんならお土産とかで買って帰ることも考えられる。
売るものとしては日持ちする漬物とか乾物になるだろうが、毎日客が入れ替わりで訪れる状況ならば、お土産も産業として選択肢に入れられるからね。
「ですが、草津は少々山の奥にございますれば、往来に難がありますな」
「又三郎はそう考えるか」
「某も薬の行商であちこちを巡りましたが、やはり山道は大変です。一日二日湯に浸かるために江戸あたりから訪れるとは考えにくいかと」
又三郎が挙げた課題は、江戸からまあまあ遠いということ。
その距離はおよそ四十数里、しかも高崎より先は山道に入るので、行程は片道五日ほど。今でも江戸から湯治客はやって来ているが、物見遊山だけを目的とするならば、たしかに足が向く場所ではない。
「そこは道の整備を考えている」
「人の往来がしやすいようにですな」
「左様。幅がそれなりにあって、均した道になれば、馬に荷車を引かせてそれに人を乗せるなんて仕事も作れよう。往来が楽になれば、善光寺詣の旅人も増えようぞ」
江戸時代は"講"という組織が数多く存在する。
これは元々講義の"講"が原点で、寺で仏典を講読・研究する僧侶の集団を指すものであったが、今日ではそれが転じて、宗教行事やその会合、もしくは相互扶助的な団体や会合のことを意味するようになった。
その中でも多いのは、各地にある有名な社寺を参詣するという「参拝講」というものであり、江戸の近郊だけでも成田山
そして、もっと本格的なものになると、伊勢神宮や熊野大社、富士山など、関八州の外に出る参拝講もあり、その中に信濃善光寺もある。「遠くとも一度は参れ善光寺」とは、未来で言うキャッチコピーみたいなものだが、それだけ人気のパワースポットということで、毎日多くの参詣者が善光寺へと向かっている。
「善光寺詣の参詣者の立ち寄り湯にするわけですな」
「旅人なんてのは帰った後の土産話は多ければ多いほうがいい。そのときに草津の話題が上がれば上々よ」
以前に挙げたが、上州から信濃への最短は、高崎から吾妻郡内を通る大戸道・大笹道を抜けて信濃須坂から松代、善光寺という経路だ。
つまり、現時点で善光寺詣での旅人は多く通っているので、この人たちの逗留宿として草津を使おうというわけだ。
なんだったら草津の湯自体を、万病に効く霊験あらたかな湯とでも喧伝すれば、ここを目的地とした旅人も増えるかもしれん。
「しかし、草津の湯に入った後は肌が荒れまするな」
「大槻殿、そこは上がり湯として近隣の四万や沢渡、万座、鹿沢などの湯宿にも逗留してもらえれば……」
「なるほど、又三郎殿の仰せのとおりになれば……潤いますな」
「肌も懐も……」
「茂さんも又三郎も悪い顔をしておる」
「いえいえ、先生には敵いませぬ」
ふふふ、そちも悪よのう……
◆
「三之丞」
「長丸様、いかがなさいましたか」
「先生は清廉潔白の士というわけではなさそうだな」
「それはまあ……為政者たる者、清濁併せ呑む心でなくては」
「勉強になる」
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