来年に備えるための準備

――天明三(1783)年十月


「江戸の連中によく話を聞かせてやるんだぞ」

「もちろんでさ。まさかこんなにひでえことになってるたあ思いもしねえでしょうから」


 吾妻に入ってから二ヶ月ほどが経ち、山々が秋の色で覆われるようになった頃、人足として参加してくれた火消の先遣隊が、二番隊の到着と入れ替わるように江戸へ戻ることとなった。


「い組の、色々と世話になったな」

「いいってことよ。困ったときはお互い様さね」


 新三郎親方の声かけに、に組以外の火消も数多く参加しており、中には親方自ら出張ってきた組もあり、帰りの先導はその方に頼むこととなった。


 実を言うと半分物見遊山……のつもりで参加したようだが、現地の惨状を目の当たりにすると、元々義侠心に篤い人のようで、若い衆を叱咤激励しながら、我先にと率先して動いてくれた。


 この人のは自ら先頭に立っての叱咤激励だから。誰かさんと違って。


「それよりもに組の、おめえけえらなくていいのか?」

「俺はお殿様に頼まれて、ここに来た火消たちを責任持って面倒見なくちゃならねえからな」

「とか言って、本当はカミさんの尻に敷かれず羽を伸ばしてえだけじゃねえのか?」

「お? なんだ、やるか?」


 シャレにもならねえような汚え言葉の応酬。親方同士知った顔だからいつものことなんだろうけど、新三郎親方って尻に敷かれてるのね。


 笑いませんよ。明日は我が身かもしれないし……


「一番は米やら作物が不作の原因が何かを分かってもらうことだからな。よろしく頼むぞ」

「へえ。藤枝様が下々の者に大層お心配りしていたと喧伝してまいりやす」

「そっちは程々にしてくれ」

「なんでですかい? あっしとしちゃあ、お武家様がこれだけ汗水流して働いてくださったのを知らせるのも大事でえじかと思うんですがね。江戸の連中は侍なんて偉そうにふんぞり返っているだけと思っている奴も多い。それこそあの佐野ナントカっていう木っ端侍みたいな……」

「い組の、それくらいにしておけ」


 い組の頭が名を出した佐野ナントカ、つまり善左衛門なんだけれども、あれからすぐに江戸へ追い返すことにした。


 本当のところは「クビ!」の一言で、言ってみれば更迭扱いでもよかったのだが、本人と話し合いの結果、彼が活躍できるのはこのような泥仕事ではないようなので、ならば江戸表でその才を発揮してもらったほうが有用だろうという体で配置換えという形にした。


 プライドは浅間山よりも高そうだったので、それなりに配慮してやったつもりだが、それでも善左衛門は帰り際に、「藤枝治部の才は噂に聞くほどではなかったようだ。私の価値も分からぬのだからな」とかなんとか言っていたらしい。


 あのときは村の者と揉めていたが、どうやら揉めていたのは火消たちも同じらしく、みんなはそれを聞いて、「噂に聞くほどの才は感じなかったって、そりゃ手前てめえがそれを感じ取れるだけの才能が無かったってことだろ」と憤慨していたようだ。


 火消のみんなの声は有り難いと感じるが、俺に善左衛門の価値を見出す才能は備わってなかったのは事実だぜ。もっとも彼に大事な仕事を任せたら、取り返しの付かないことになると思った感性を持ち合わせているだけで十分だと思っているけどな。




「殿様、本当に良かったんですかい?」

「何の話だい」

「あの佐野って侍、そのまま江戸に帰しちまったことですよ」


 江戸へ帰る者たちを見送った後、おもむろに新三郎親方が尋ねてきた。たしかに命令違反、軍令違反は処罰対象なので、この場でそれなりの罰を与えてもいいのだが、それをなんでまたあんな回りくどいやり方で追い返したのかと聞きたいのだろう。


 火消のみんなも相当に腹が立っていたようだし、親方の言いたいことはよく分かる。ただ残念なことに、呼んできた旗本や御家人は、みんな借り物という事情があるのだ。


 この場では俺が上席だが、当然のこととして彼らには正式な上役がいる。どういう経緯で善左衛門を送り込んできたのか分からないが、公に「あいつダメ、使い物にならない」と言ったり処罰してしまえば、上役たる新番の組頭や番頭の面子を潰すことになる。お願いして借りた身だし、先々も協力してもらう可能性を考えると、そこは配慮せざるを得ない。


 まあ……公に言わないだけで、新番頭には、「おたくが送り込んだ彼、ちょっとアレやで」と書簡で伝えさせてはもらった。元のお役で精進して出世すれば? とは言ったが、その地位でいられるかどうかは俺の知るところではない。


「なるほど。全部ぶん投げたってことですかい。お武家様ってのは面倒だね」

「俺もそう思うよ」

「だけどよ、その上役が責任を負いたくないから庇うってことも考えられるんじゃねえですかい」

「俺がそのことを上役だけに伝えたと思うか?」


 俺はこの地の復興の責任者として送られている。そして、それを命じたのは上様であり、状況は御老中に報告する義務がある。


「田沼様にも伝わっているってことですか」

「当然であろう。良いことも悪いことも、伝えるべきは伝えねば。隠し事をして物事を進めれば、どこかで破綻するものさ」

「御老中が知ってて何も処罰無しはありえないか。殿様は自分の手は汚さねえ主義かい?」


 人を汚い策謀家みたいに言わんでほしい。皆と共に泥に塗れて働いておるではないか。



 ◆



「米は実り無しか」

「残念ながら」


 今は収穫の秋。春先から丹精込めて育てた米やら作物が実りを付け、村人が冬を越すための食料だったり年貢米が手に入る時期……なのだが、今年に関しては言わずもがなである。


 泥流によって川沿いの田んぼは流され、残ったものも降り注いだ灰に埋まり、さらにはこれが空を覆う影響で育つために必要な日光を十分に浴びれずでは、育つものも育ちようがない。


 吾妻郡の石高は、検地によって約二万五千石と定まっているが、今年取れた米はゼロだ。正確には全くのゼロではないけれど、取れ高無しと言っても問題ないくらいの少量だ。


「治部殿のお考えになられたとおりでございましたな」

「いや、それもこれも、私の言葉を信じて皆が動いてくれたおかげぞ」


 年貢の徴収は免除してもらったとはいえ、冬を越すための米すら乏しく、本来なら悲壮感に満ちてもおかしくない中で、救援に来た俺たち武士団も地元の者も、それほど心配していないのにはワケがある。


「米は取れませんでしたが、他のものはなんとか間に合いそうでございます。それもこれも、お殿様が果断即決でお触れを出していただいた賜物かと」


 俺は農地を再興するにあたり、稲作は捨てるという決断をした。それはこれからの吾妻郡の農業を考えたときに、稲作が不向きな場所で無理に育てる必要はないと判断したこともあるが、もう一つ、当座の食糧確保を急がねばならない事情があったからだ。


 そもそもほとんどの田畑がダメになってしまった状況で田んぼに戻したところで、今年米を収穫するのは無理なのだから、どこかで村の者が冬を越すための食糧を確保しなくてはいけない。そこで村々で畑作に適した場所を選んで、秋野菜の栽培を急がせた。


 俺が吾妻に来たのは八月の八日だが、これは旧暦なので、太陽暦で言えば既に九月に入っている。初秋の頃に植え、冬が来る前に収穫する野菜――具体的にはカブや大根、小松菜やほうれん草、あとはジャガイモあたり。これを八月、遅くても九月の頭には植えて、十月、十一月、冬が来る前に収穫できればなんとか間に合うのではと考えたのだ。


 甘藷は冷涼な気候を考えると、今から植えても収穫は難しいし、高原野菜の代表と考えたキャベツは、種をオランダ商館から取り寄せるところから始まるので今回は除外。葉牡丹で代用しようかとも思ったが、これを食用にするくらいなら、カブや大根でいいじゃないかということになった。すぐの収穫は出来ないが、米に代わる主食として麦の栽培も始めてみた。

 

 これらは当初、住居の建て直しなどと並行して急ぎで開墾したことや、強酸性の土壌であることを考慮せず急ぎで植え始めたこともあって十分な実りとは言えないが、それでも芽が出て実を付けた作物は多いし、これが全部田んぼのままならば収穫が無かったわけで、食いつないでいく一助にはなるかと思う。


 今年に関しては救援物資が運び込まれているから、優先順位的に無理に作物を育てる必要も無かったのだが、来年以降は自分たちでなんとかするしかないのが確定している以上、今のうちから新しい作物の栽培に慣れてもらいたいし、石灰投入による土壌の中和化を研究するための実験も行いたい。そのために急ぎで動いたわけだ。


 こうすることで来年の春になったとき、必然的に農作業は畑一択。米を作りたくても田んぼがありませんという状況に持ち込めるわけですよ。


 なんとかこの冬を乗り切れればってところですね。

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