不治の病

「温泉を物見遊山の目的地にするということですな」

「左様。箱根七湯のように街道から近ければ良いのだが、ここは来るための目的を作らねば、人が寄り付かぬからの」


 東海道を江戸から東へ向かうとき、初日の宿は戸塚か保土ヶ谷、二日目が小田原、そして三日目が箱根というのが一般的で、それもあって湯本や宮ノ下、塔ノ沢など、東海道沿いに点在する箱根七湯と呼ばれる温泉地は、旅人の宿泊地として利用されている。


 一方こちらは主要な街道から外れているので、何かしらここへ立ち寄るきっかけを作らないといけない。そのために未来知識をフル活用し、珍しい食べ物やら遊興あたりを作り出していきたいと考える。


「ですが温泉でございますれば、まずは傷病に効くという部分があってこその話になるかと」

「茂さんの言うことはもっともだな。湯治場として海内随一であると今以上に知らしめること。それによって、湯治に来るほど深刻ではないが、効能を試してみたいと思う者が増えよう。人というのは年を取ると、多かれ少なかれ病を得るものだからな」

「先生。されば温泉宿近くに医師を常駐させ、湯治客の診療を行うはいかがかと」

「湯治場で診療所も兼ねるか」

「さすればより効果的かと」


 実を言うと、草津には湯治客向けに専門の医者がいるわけではなく、治ったかどうかは自己判断な部分が多い。


 もちろん効能のある湯に浸かるから大抵の人間は症状が軽くなるし、だからこそ草津の湯は山奥にある割に知名度はかなり高い。けど、結局治ったかどうかを決めるのは自分自身なのよね。医者がいるにはいるが、それは所謂町医者みたいなもので、湯治客の病が癒えたかどうかを一人一人判断しているわけではない。


「しかと知見をもった医師が彼らを診ることで、再発するような者を減らせるのでは無いかと思います。それにより、一層草津の湯の効能を知らしめれば、旅人の興味を引くことでしょう」

「良い案であるが、そうなると医学者の育成も進めねばならんか」


 こちらに関しては、蘭学者藤枝治部の出番だな。


 たしか記憶によると、草津が湯治場としての需要を増したのは、明治になって外国の医師がここを訪れて、「Oh〜なんてスバラシイ温泉があるじゃあーりませんか!」って紹介したからだと聞く。


 つまり、それを百年くらい早くに俺が紹介すパクればいいわけだ。それと併せて、俺の三旗堂や杉田さんの天真楼などで学を修めた者を雇い入れれば解決出来そうだ。


「もしここに医師を常駐させるとしたら、その管理は茂さんに任せれば安泰だな」

「ご冗談を。某は主を持つ身でございますし、まだまだ修行中。役目が重うございます」

「何を言う。弟子になってもう六年、教えることなどほとんど残っておらん」




 早いもので彼が弟子入りしてからもう六年が経つ。俺のところで語学、天真楼で医学を学んだ茂さんの実力は、お世辞抜きで日本の蘭学者の中でもトップクラスだろう。


 とは言え惜しむらくは、彼は一関藩の家臣なのよね。だから俺が彼の今後に何か口出し出来るわけでもないし、なんなら本来江戸遊学はその期限を過ぎている。本人がまだ学び足りないようだったので、本藩である仙台藩医の工藤平助殿が、一関藩主の田村公に進言して、遊学期間を延長してもらっているのだ。俺としても吾妻郡に連れて来られたのは大助かりだった。


 だから、彼にここを任せるというのは元より無理な話なのだ。分かっていて冗談で言っただけさ。


「しかし、そう言われてみると遊学もあと半年ほどで終わりとなるのか」

「残り僅かではございますが、先生の下で一つでも多くのものを得たいと考えております」

「良い心がけです。一関に戻れば早晩家督を継ぐことになりましょうし、今の茂さんなら縁談相手も選り取り見取りでしょう」

「縁談……ですか」


 この時代、女性の初婚は未来よりかなり早いことが多いが、男性に関して言うとそれほどでもない。


 無論、大名とか高禄の旗本なんかだと子供のうちに婚約って話もあるし、農民なんかでも長男だと嫁取りは早くなりがちだが、一般的な婚姻年齢は二十代の後半から三十路なんてことも多い。


 これはひとえに、一家の食い扶持を稼ぐのが男性の役割であるからだと思う。自分一人も満足に暮らせないような稼ぎの者が結婚だなんて身の程を知れって話で、嫁がせる方の親だって、金銭的な理由で娘に苦労はさせたくないから、甲斐性無しには嫁にやらない。


 というわけで、それなりに仕事に慣れ、その実績に見合った給金を得られるまでは結婚には至らないわけだ。若いうちに出来婚した夫婦もいるが、肩身が狭いのは今も昔も変わらない。


 そういう意味では、茂さんは年が明ければ二十八歳だから年齢的にもそれなりだし、稼ぎと言う意味では一関藩の藩医という立場がある。さらに言えば、自分で言うのも恥ずかしいが、俺の高弟という箔が付いているから、地元では有望株として、娘に嫁にやりたい親たちが涎を垂らして帰りを待ち侘びているかもしれない。


「いずれはお父上の跡を継がれるのでしょうから、そう言う話は来るでしょう」

「そうなのでしょうね」

「あまり気乗りせぬようだな」

「実感が湧かぬのもございますね。……先生はお方様をお迎えになられていかがでしたか」


 ……それ、俺に聞く? 滅多なことを言えば首が飛ぶんだぜ。


「言いにくいことがあるのは重々承知しておりますが、徳川の血を引く姫をお迎えになられた先生なればこそ、良いことも悪いことも見えるのではないかと思いまして」

「そうだな。当然気苦労があるにはある。だがそれ以上に得るものは多かった」


 相手は徳川の姫だから、軽々しいことは出来ないし言えないしで気を遣うこともある。あるって言ったらあるんだよ。


 だけどそれ以上に田安家という後ろ盾が得られたことは大きいし、何より俺の仕事への理解がある。やはり家庭内で理解を得られているのは大事だ。ただでさえ俺のやっていることはこの時代の常識からかけ離れたものばかりなので尚更だ。


「まあ、幼い頃から互いを知る間柄ゆえ、気安い面があるのは否定しないが、種を娶って良かったと思っておるぞ」

「そこなのです。一関は建部先生のおかげで蘭学に理解のある土地柄ではございますが、女子にそれを求めるのは難しく」


 来年の夏には故郷へ帰ることとなる茂さんだが、蘭学研究の歩みを止めるつもりはないようだ。学問なんて死ぬまで探求の連続だからな。いずれ藩医となって職に就くとなっても、その道は変わらないわけで、願わくばそこに理解のある女性を嫁にしたいということだろう。


 だが、そう上手く話が進むかというと絶対とは言えない。むしろ彼の能力やら将来を見込んで、藩の重役あたりが嫁にどうかと声をかけられれば、断るのは難しい。当然お相手の素性は未知数。未来的な言い方だとガチャに近いな。




「蘭学に造詣があり、共に高めあえるような者を妻に迎えたいと」

「そこまで言うってことは目星が付いてんじゃねえか。……さしずめ綾子殿あたりか」

「何故ここで綾子殿の名が……」

「そりゃお前さん、学問の知識があって理解もある女子って時点で候補は絞られる。まして三旗堂で毎日のように膝突き合わせて勉強し合ってるお仲間だ。気にならねえ方がおかしいだろ」


 綾子殿が学問に熱心なのは相変わらずで、俺に教えを請うことも多いが、なにぶん忙しい身なので、そんなときは茂さんから教わることも多かった。


 それこそ俺が京都に行っていたときなんかは、毎日のことだったようだ。


「私は別に……」

「別になんだい? 気にしてませんって強がって、一関に帰ってから絶対に後悔する流れだぞ」

「ではどうしろと?」

「んなもん、築地の平助殿の家に行って、娘を嫁にくれ! って頼めばいい」

「そんな簡単に……」


 一関は仙台の支藩なんだから、藩医同士で縁づくのは悪い話ではないし、それなら一関の重役だって納得もするだろう。


「先生、大槻殿も悩まれておるようですし、あまり責めては」

「はあ……まさか茂さんが不治の病に冒されてるとはな」

「不治の病?」

「恋の病ってやつだよ。こいつばかりは蘭方医学でも治しようがねえ」


 お医者様でも草津の湯でも……って言うくらいだからな。


「ちなみに長丸はそういうことは無いよな?」

「そのようなことは考えようもございません」

「しかし先生、長丸様はこのとおり美形ゆえ、町娘からよく声をかけられまして」

「三之丞、余計なことは申さんでいい」

「ですがご安心ください。上総介様から、『お主は女に現を抜かせる立場ではないのだからな』と厳しく仰せつかっておりますれば」

「三之丞!」


 ああ……そっちか。定信ブルータス、お前もか。


 厳しい言葉を投げて訓示していると見せかけて、完全に釘を刺すための威嚇じゃねえか。


 治せませんよ。日ノ本一の蘭学者と謳われるこの藤枝治部でも、その病だけは治しようがございません!



◆ ◆ あとがき ◆ ◆


朴念仁 人の色恋 よく気付く


詠み人知らず


|д゚)チラッ ウマイコトイウワネ……

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