水質改善か土壌改良か

「進み具合は如何か」

「村全体を高台に移しましてございます」

「住まう所と畑とする場所の段取り、あとは水をどこから確保するかは」

「そちらも恙なく」

「見事な仕事ぶりである」

「畏れ入ります」


 吾妻郡に入って一ヶ月ほどが経った。被害状況の把握とそれへの対応。本陣とした中之条には、各地から進捗の報告と今後の進め方の意見を求めて、旗本や御家人たちが連日のように俺の所へやって来ている。


 なにしろ今までとは勝手が違う。農地改革に関しては元より、江戸の武士にとって災害派遣自体が始めての経験だからな。日常ならば前例を踏襲していれば役目が務まるが、今回のように刻々と状況が変わり、なおかつ当初の計画から何度も方針の修正を要する仕事となると、彼らも戸惑うことは多いだろう。


 だから俺はまず始めに、土地の者たちが再び穏やかに暮らせるような環境を作ってやることを第一に考えよと訓示した。そして、最終的な目標と、それがどう言う意味を持つか伝えた上で、何をすべきかという指示は出した。


 しかし、勧めていくうちにどうも最初と事情が変わってきたぞということが必ずどこかで発生する。そのときは遠慮無く相談に来るようにとも伝えてある。


 その際に大事なのは、状況を適切に報告し、自らはそれにどう対応すべきかという考えをもって相談に臨むこと。その上で然るべき処置をこちらが指示した案件については、結果が芳しからずも責めはこの治部が負う。故に皆は結果を気にせず職務に精励されたし。そう伝えたのだ。


 そう聞くと、「あ、俺責任取らなくていいんだ」みたいな感じで手を抜く奴も出るだろうから、最初の訓示で改めて民を救い国を守るという武士の本分を説いた。江戸城で彼らの上司である組頭や番頭に話したことと同じ内容だな。


 一応上役には仕える奴を推挙してくれと頼んでいたので、多くの者は責任の大きさを感じて真剣な表情で聞いていた。こうして毎日俺の元に報告やら相談で多くの者が訪れるのはその成果だろう。


 ただね……一部にはそうではない者もいた。話を聞きながら今にも鼻や耳をほじり始めそうな態度の者。事態の深刻さを甘く見て、大したことないだろうと半笑いで聞いていた者。何で自分が百姓如きに力を貸さねばならんのかと不満ありありな者など。


 彼らは大勢の中に紛れていたから、俺にそこまで見咎められるとは思っていなかっただろうが、そういう者が出てくるのは想定内だった。


 未来ですら志願して参加したボランティアが被災地で迷惑かけたなんて話も聞くし、彼らは命令とはいえ、本来の役目ではないものを申しつけられたのだから、不満に思う者もいるだろう。そのために、俺は同行してきた目付役に頼み、その場にそぐわない態度だった者を調べ上げてもらっていた。


 それでどうするかと言えば、彼らがちゃんと仕事しているかを見張るためだ。文句を言いながらも仕事はしているのならばいいが、そういう輩に限って、言ってることとやってることが違うし、相談にしてもノープランで「どうしましょうか……?」みたいな感じなので、成果が出ていないならばこれを正すしかない。


 そんなわけで、現場の判断は基本的に彼らに委ねつつ、手綱を締めるところも疎かにはしないといった感じで、どうにか復旧への第一歩が始まった感じだ。




「さて、そうなるとやはり水が問題だな。長丸、須川は如何であった」

「土地の者が申していたとおり、須川の水がよろしくないようです」


 皆が口を揃えて課題だと感じているのは、やはりというか水の確保であった。


 普段の暮らしで用いる水は、井戸水や地下水でどうにかなっている。と言いたいが、地質のせいかそれもあまり豊富とは言えない。そこへ農業用水も必要となると、それなりの量の水を必要とするのに、肝心の吾妻川がそれに適さないわけだ。


 正確に言うと、長野原で北から合流する須川、そしてその須川へと合流するいくつかの川のうち、白根山から草津温泉を通る湯川が一番の元凶のようだ。


 元凶というと悪者扱いに聞こえるが、これはあくまでも生活用水としての用途としての意味だ。温泉は温泉で効能があるけど、それを普段遣い出来るかと言えば、強酸泉の草津の湯は使いようが無いのだ。


 とはいえ、そこが課題になりそうだと分かっていたから、手をこまねいているわけにもいかず、弟子の長丸と三之丞、火消しの若い衆に川を遡って調べてもらったわけだが、上流へ行けば行くほど川の臭いもキツくなってきて、とても飲めそうには思えなかったらしい。


「火消しの若い衆が試しに飲んでみたのですが」

「飲んだのか……?」

「いえ、飲み込む前に吐き出しました」


 どうやら口に含んだ瞬間、これを飲み込んだら絶対に良くないことになる。若い衆は本能でそう感じたようだ。


 たしかに温泉水を飲用することで、ミネラルを補給するとか、特定の病気に効能があるという話もあって、前世でこの辺の温泉を巡ったとき、四万は飲泉出来る場所があったけど、草津は無かったと思う。


 そもそも強酸性ということは、殺菌効果が高いわけで、飲み込んだら腹の中で何が起こるか分からない。仮に飲泉出来たとしても、「用法用量を守り、正しくお使いください」的なエクスキューズが入る代物だもの。


「飲まなくて正解だな」

「殿様の仰るとおりでさ。ありゃあ使いもんにならねえよ」

「先生、何か打つ手はございますか」

「石灰を上手く用いることが出来れば」

「石灰……にございますか?」




 石灰石や貝殻を高温で熱し水分を抜いたもの。要は石の灰である。


 その用法は様々で、この時代だと白壁に使う漆喰の原料でも使われている。


 そして、そのアルカリ性という性質を利用し、土壌を酸性から中性に近づける効果もある。


「そのような手法があるのですか」

「私も蘭書で見ただけだがな」


 とはいえ皆が言うとおり、実は農業での用途に関しては、この時代の日本ではまだ一般的ではない。俺が知ったのも、古代ローマやインドの頃から、海外でもそういった使われ方がされていたという話が蘭書にあったので知っただけだ。


 だが、このあたりの土地は確実に酸性の度合いが強そうだから、石灰農法は効果があるかもしれない。どれくらい土に混ぜればよいかなんてのはやってみないと何とも言えない部分もあるが、試す価値はあると思う。


「先生、それを直接水に混ぜる……という方法が取れれば、水の問題も解決するのでは?」

「理屈は同じだが、水に直接は難しいぞ」


 水に石灰を混ぜれば酸性から中性になるとは思う。だけどそれをどこでやるかという話だ。


 止めどなく流れる川に石灰を投入したところで効果は薄いだろうし、使う石灰の量も半端ではない。となると、川の途中で溜池を作って、そこで中和させるか?


 うーん……土木技術が未熟なこの時代で、どこまでの規模でそれが出来るかな……


 とりあえず土に石灰を混ぜるのと並行して、どこかでまとまった量の水を中和する方法がないか検討だな。村ごとに貯水槽みたいなものを設けて、そこで試すというのもありかもしれないな。


「水は吾妻で一番の課題である。使える水が増えねば、産業の規模を広げることも、湯治客をより多く集めることも難しい。何らかの方策を引き続き模索していくしかあるまい」

「承知いたしました。我らも文献などから使えそうな知識を探してみまする」




 こうして各地からの報告をうけつつ、様々な課題解決の糸口を探しながら、再び半月ほど経った頃、とある村の復興具合が芳しくないという話が舞い込んできた。


「坪井村……」

「俺の村です……」


 そこは長野原から少し上流にいったところにあり、村域のほとんどが泥に埋まり、後背にある高台へ村ごと移住をすることとなった村である。


 そして、今は俺の書生として側に置いている弥太郎の故郷でもある。


「移住が進んでおらぬか」

「どうも指揮を取る者が村の者たちと上手くいっていないようで……」


 話を聞くに、その村を元々指揮していた者は俄に病に罹ってしまい、やむを得ず江戸に戻ることとなり、後任としてその者の下で働いていた者が引き継いだのだが、これが折り合いが悪いようだ。


 全体を移住させるという村はいくつかあり、坪井村の指揮を取っていたその者も、他の村を指揮した者と同様に、色々とやり方について相談に来ていたが、最近は音沙汰なしだった。


 便りの無いのは元気な証なんて言うけれど、問題山積のこの状況にあってそんなわけもなく、それもあって坪井村の様子は探らせていた。


 実を言えば、この話はそうして探りを入れる中で、村の者たちから伝え聞いた話がここまで届いたから知ったわけだ。


 もちろん一方の話だけ聞いて、悪いのは武士の方! なんて言う気は無いよ。何かしら問題が発生して、武士の方もどうしたものかと頭を抱えている可能性もあるし、話を聞いてより良い方向で解決に導くのが俺の役目だからね。


「して、新しく指揮を取る者は何者か」

「はっ。新番士、佐野善左衛門政言と申す者にございます」


 佐野……善左衛門……?


 ああ、あの偏屈な男か……

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