想いは受け継がれる
「殿様、ちょっといいかい」
「どうしたんだい頭」
騒ぎが落ち着き、皆が解散してから少し後、新三郎親方が困ったような顔をしてやってきた。なんでも、先程皆の顔を青ざめさせた元凶の弥太郎を連れてきたという。
「……もしかして、あれから追いかけ回して?」
「んな大人げねえことはしねえっての。ウチの
どうやら弥太郎は表に出た後、自分の言ったことがとんでもなくヤバかったことに気がついたようで、何を聞いても、「手討ちにされちゃう……手討ちにされちゃう……」とガタガタ震えており、あのとき表に出ていて事情を知らなかった若い衆は、困って頭のところに連れてきたらしい。
「下手に連れ回して他のお
「賢明な判断ですね」
弥太郎の発言は幕府を批判するものであり、救援に来た武士たちを愚弄したと受け取られるもの。子供だとしても下手をすればその場で手討ちになってもおかしくない。俺自身は子供の戯れ言と判断しているから、そこまで厳しくする必要は無いと思っているが、お咎め無しでは体面という意味でよろしくないのも事実。
そして、頭は俺が無体なことをする性格でないことは分かっているから、他の侍に見つかる前に俺の所へ連れてきたのだろう。
「さて、改めて。私は此度上様の命により当地の復旧指揮を仰せつかった、藤枝治部少輔である。そこもとの名は?」
「やた……弥太郎……です」
「何をそんなに震えておる」
「お、俺のことを斬るんでしょ……」
農民の子に武士の身分なんて分かろうはずもないが、それでも俺がそこそこ偉い立場だというのは理解しているようで、罰を与えられると思っているようだ。
「斬るならとうにあの場で斬り捨てておるわ」
「じゃあなんで……」
「お主の父上が亡くなったこと、お悔やみ申し上げる」
「……えっ?」
罰を与えられると思いきや、まさか侍にお悔やみを言われるとは思わなかったのだろう。弥太郎は目をパチクリさせている。
「どうしてそんなことを……」
「亡くなられた方に手を合わせるのに、武士も農民も関係なかろう。まして其方の父上は身を挺して子らの命を救った、謂わば親の鑑。これを讃えずしてなんとする」
「お父……」
「だが、お主のしたことは別の話だ。斬るまではいかずとも、罰は与えねばならん」
「うっ……」
父のことを褒められ、一瞬だけ嬉しそうな顔をしたものの、それはそれ、これはこれと言われれば、弥太郎はやはりかといった感じで、渋い表情に変わった。
「お主はどうして私に怒られているか分かるか?」
「他にも家族を亡くした人が大勢いるのに、俺だけメソメソしていたから……」
「それもある。だがそれ以上に私が怒っているのは、お主が父の想いを踏みにじっておるからよ」
「俺はそんなことしてない!」
「ならば、何故前を向かぬ。過去を悔いてばかりおる」
話を聞く限り、弥太郎の村も代官からの指示を受けて、いつでも逃げられるように算段はしていたようだ。
そしてそのおかげもあって、濁流が村に押し寄せたとき、皆が慌てることなく逃げる準備が出来ていたらしい。
だが……自然の脅威は人智を超えるものであった。その流れは予想以上に早く押し寄せ、話を聞かず呑気に構えていた者はもとより、少しでも逃げ遅れた者、そして足腰の弱い老人や幼い子供などの多くが川に飲まれていった。
弥太郎の家族も、本来なら父母が兄妹をそれぞれ抱えるべきところであったが、病身の母でそれは叶わず、仕方なく父と兄が背負って逃げたものの、弥太郎があと一歩のところで間に合わなかったのだ。
「たしかに、お主があと少し足が早ければ、あと少し力があれば間に合ったかもしれん。悔やむ気持ちは分からんでもない。だがそれ以上に、お主は命を厭わず助け出した父上の気持ちを汲むべきだ」
「お父の……気持ち……」
「己の身に何かあっても子らを救おうとしたその想い。万が一自身が命を落としても子には生き延びてほしいと願う気持ち。そして、病身の母と幼い妹を息子に託したその気持ち。今のお主の態度はそれを無にするものじゃ。それでは父上が浮かばれぬわ」
「…………」
「お主が生きる力を失えば、母上は心を痛めるとは思わぬか? 幼い妹は誰を頼ればいいと途方に暮れるとは思わんのか?」
努めて冷静に、諭すように、俺は弥太郎へ問いかける。
もちろん彼の父がどう思っていたかは分からん。もしかしたら自分も生き残るつもりだったかもしれないから、勝手な想像でしかないが、現実に父を失った以上、幼いながらも彼に一家の大黒柱としての自覚を持ってもらわねば、母や妹を守るものはいないのだ。
「でも……まだ俺は子供だ。おっ母や妹を養う力なんて……」
「そうだな。力ではまだまだ大人には及ばん。だが生き延びる道はそれだけではないぞ」
「俺にどうしろって言うんですか」
「……学を身に付けてみよ」
「学……読み書きを覚えろってことか?」
「最初はそうだな。いずれもっと難しいことも覚えてもらうがな」
農民に学問をさせてなんの役に立つんだ? というのがこの時代の常識かもしれない。変に知識を植え付けると、それがやがて自我の萌芽につながり、武士の支配体制に悪影響を及ぼすと考えられているからだ。
だが、吾妻は新しい産業を興して復興する道を目指す。となれば、支配階級たる武士もそうだが、実際に作業にあたる農民にも、相応の知識を持ってもらいたい。それの方が作業が捗るからね。
それでちゃんと統制が取れるのかという点においては、武士の努力次第としか言えないな。領民が納得できる統治が出来れば問題ないはず。理想論だけど、俺の目指す未来の形がそれだからな。
「殿様、子供にそんなことが出来るのか?」
「ああ。新しいことを学ぶのは、むしろ子供のうちの方が受け入れやすいんだよ。頭も長く生きてると、今までの経験とかで新しいものを奇異の目で見ることはねえか?」
「言われてみりゃたしかにあるかもな」
頭もなんとなく頑固そうだから、そういう経験があるでしょと問えば、思い当たるフシがありすぎるようだ。
「子供ってのは知識も経験も少ない。だからこそ新しいものを疑うことなく受け入れやすい」
「俺に出来るかな……」
「出来るかなじゃねえ。やるんだ。この土地で十年後も二十年後も生きていくお主たちだからこそやるんだ」
「小僧、おめえは運がいいぜ。この方はな、偉いお殿様でもあるが、江戸、いや日の本でも一番の学者様でもあるんだ。望んだって弟子入りが叶う奴がそうそういねえってのに、殿様の方から弟子にしてくださるってんだぞ」
頭の言いようが少し面映いところではあるが、それもあってか、弥太郎はどうしようかと逡巡しているようだ。
「お殿様はどうして俺にそんな話をしてくれたんですか」
「私にも父と慕った方がおってな、その方は民のことを、国のことを考え、皆が幸せに暮らすには如何すればと日々思案されておった」
その方のおかげで俺は仕事を認められ、今の地位にあるわけだ。
「だが天命とは酷なものでな、その方は志半ばでこの世を去られた。私はその方の想いを受け継ぎ、今を生きておる。故に苦しむ吾妻の民を救うべくここに参った」
「……」
「お主を見ておると腹が立つのだ。父に命を救われ未来を託されたというのに、グジグジグジグジと辛気臭え。お前の父はそんな生き方をさせるために助け出したわけじゃねえだろ」
最初のうちこそ冷静なつもりだったが、奮い立たせるように語りかけていたら、いつの間にか汚え言葉遣いになってしまった。
頭に筆頭に荒っぽい江戸っ子と関わる機会が多いから仕方ないな、うん。
「お前の父が遺した想い、受け継ぐのはお前の心一つだぞ」
「……やります。いえ、やらせてください」
すると弥太郎が、意を決したように姿勢を正してこちらに向き合い、深々と頭を下げた。
「覚悟はいいか」
「はい」
「一応言っておくが、これはお主への罰であるからな」
「罰……?」
何がどう罰になるの? といった感じだが、読み書きすら習ったことのない者が学ぶとなれば、一筋縄ではいかんだろう。しかし俺がここに居る時間はそう長くないから、短時間で集中特訓ということになる。厳しく指南せざるを得ないだろう。
「もしかしたら、一日中畑仕事をしていた方が楽と思えるくらいになるやもしれんぞ」
「もし、嫌だと言ったら……」
「他の罰を与えるしかない。罪人となれば母や妹に合わせる顔が無いな」
「殿様もえげつないねえ。断りようがねえじゃねえか」
「だから罰だと言ったではないですか」
家族を亡くした者の処遇については、土地の名主たちとも協議し、子を亡くした親と養子縁組させたり、夫を亡くした者と妻を亡くした者を縁組させたりして、新たな家族として再出発させるという手法を取ることにした。
とはいえすぐに家族になるのは難しいから、時間をかけて関係を築くしかない。その間に土地の者、それも若い者たちに作物の栽培やら羊の飼育やらを教えようと考えた。
その者たちに教えを授けた後、それぞれの村に戻し、力仕事の出力が足りない分を頭で補ってもらおうというわけさ。
ま、弥太郎に関しては罰を与えるという名目だから、他の子たちよりビシビシしごいてあげますけどね。
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