難題山積
被災した吾妻郡の復興を行うにあたり、まず俺はこの地の産業を根本から変えていくことにした。
この時代の農村は自給自足、村の中で全てを自己完結する仕組みが基本となっているから、米が欲しければ自分たちの土地で植えるしかない。他所の者と物々交換するにしても、米が通貨代わりなところもあるから尚更だ。
しかし、これからは確実に貨幣経済の世に進む。史実でもそうだったが、そうなったときにまずそれが発展するのは都市部であり、農村はそこから一歩も二歩も立ち後れ、結果的に新しい制度に追いつかずに困窮する。そうならないように先取りするわけだ。
そのために、他の土地には無い産物を生み出す。最初は米などと物々交換でも良いが、いずれは金銭による取引に移行し、それを元に必要な物資を買うという、未来で言う所謂経済活動が行えるようになればと考える。稲作を捨てるという決断は簡単なものではないが、吾妻の民の暮らしを変えていくにはこの機会しかないだろう。
<長野原村>
「こいつは美味いもんですなあ」
「煮ても良し、焼いても良し。腹持ちも良さそうだ」
というわけで、村ごとの被害状況の視察を兼ねて、土地の者たちにこれから栽培を企図している作物――甘藷やジャガイモなど、特にこれまで馴染みの無かった食材を使った料理を振る舞って、その味を知ってもらうこととした。
「飢饉になると稲は全く育たぬが、これらはそれなりの収穫が見込める。しかも稲より水を使う量も少ない」
「それは有り難い。何しろここらで水は大切なものですから」
「山に近いゆえ、川の水量も十分ではないからの」
「それだけではございません。吾妻川は死の川なのです」
「死の川?」
何やら不穏な言葉が出てきたが、吾妻川というのは、魚が棲むことも出来ない川なのだという。見た限りでは清流とまではいかずとも、普通に綺麗な川だと思うが、どうやらそうではないらしい。
「水の質があまり良くないようで、田んぼや畑に引くと作物が枯れてしまったりします」
ならばどうやって水を確保しているのかと問えば、吾妻川に入り込んでくる小川の水は普通に飲めて農作業にも使えるし、吾妻川でもこの長野原より上流、それこそ先日の火砕流で全滅した鎌原や、その先の大笹などでは魚も棲んでいるし、そこまで問題にはなっていないようで、そういうところから調達しているという。
「長野原の水ではダメなのか?」
「へえ。北から流れてくる須川という川があるんですが、こいつがどうにも良くねえんです」
吾妻川は大きな区分で言えば利根川の支流だが、この地域で言えば一番大きな川で本流ということになる。
当然そこにはあちこちから小さな川、利根川水系で見れば支流の支流が流れ込んでおり、長野原で北から流入する須川もその一つだが、そこは魚どころか、川藻すら生えない流れだという。
そしてその須川も、いくつもの支流が流れ込む川であり、その多くは草津白根山を源流とするらしく、草津温泉やその近くを流れてくるらしい。
ここからは推測でしかないが、おそらくはその途上で温泉成分に近い物を多く含んでしまったのだと考えられる。草津温泉は強酸性だから、言ってみればその湯がそのまま流れ込んでいるのに近いのだと思う。事実、川に落としてしまった釘が、何日か経ったらボロボロになっていたらしいので、間違いなく強酸性だろう。
温泉としては多くの病に効能のある湯だが、生活用水や農業用水としては不向きだろう。目の前に川が流れているのに、それを用いることが難しいというのは厳しいな。
リトマス試験紙は持ち合わせていないが、言われてみれば川からほんのり温泉のような臭いもしたし、強酸性であることは間違いなかろう。
となると、これを中和するにはアルカリ性物質なんだが、さてどうやって中和するかという方法論が難しいな。
この時代でアルカリ性となると、一番に思いつくのは石灰石だ。実際に酸性の土壌を中性に近づけるのに、石灰を蒔くという手法も教わったし、理論的には正解なんだろうけど、止めどなく流れ出る川の水にそれが通用するかという話だ。
「相分かった。上手く行くかは分からぬが、何か対応できることがないか、お上に諮ってみよう」
「よろしくお願いいたします」
理論は分かるが、物理的にそれが可能かは調べてみないと何とも言えない。とはいえ川の水が今以上に利用できるようになれば、農産量の増加も期待できるし、手を付けないわけにはいかないだろうな。
「これまでも今ある水でなんとか作物は育てられましたので、その使う量が少なくなるのなら問題はねえと思いますが」
「うむ。だが先々を考えたときに、そこに川の流れがあるのに用いるに能わずでは少々勿体無いからの。何か策は講じてみよう」
「うるさいんだよ!」
取り急ぎの話ではないが、水質改善は課題になりそうだなと村の者と話していると、広間の向こうで子供の怒鳴り声と、それを叱責する大人たちの声が聞こえてきた。
「何かあったのだろうか」
「お騒がせしてしまい申し訳ございません。すぐに止めに……」
「いや構わぬ。私が様子を見てこよう」
名主が騒ぎを止めようとしたのだが、子供が一人で大勢の大人相手に反抗しているのを見て、何か事情があるのだろうと自分で見に行くことにした。
この時代は厳格な家父長制、年功序列だから、子供が駄々をこねることはあっても、大人がピシャリと言えばそれ以上ワガママを言うことは少ない。
それが、周囲の大人が窘めても収まらず、むしろ困惑しているのを見て、どうしたのだろうかという興味本位だな。
「だいたい皆して何なんだよ。お
「おめえ以外にも家族を亡くした奴はいっぱいいる。悲しいのはおめえだけじゃねえんだ!」
その子の年の頃は十歳かそこら。どうやら今回の災害で父親を失ったのだろう。たしかにそれは悲しむべきことだが、窘めた大人が言うように、もっと小さな子にも親を失った者はいる。
故人を悼むのはそれとして、己が今日を生きるために何をするかと考えたら、悔やんでばかりでは先へ進めないと言いたいのだろうが、その童は感情的になりすぎているようで、聞く耳持たずといった感じだ。
「だいたい……今になって偉そうに助けに来たところで何だってんだ! もっと早く、もっと早く助けに来てくれれば……お父が死なずに済んだんだ!」
「無礼者!」
「弥太、おめえはなんてことを言うんだ! 今すぐ謝……痛っ!」
「嫌いだ……みんな大嫌いだ!」
助けられなかったのは俺たち侍が来るのが遅かったからだ。そう受け取られかねない、というか、そうとしか受け取れない言葉に、周りの大人が焦ったようにその子を抑えつけて頭を下げさせようとしたが、弥太と呼ばれたその子は、抑えつけたきた大人の腕に噛み付いて拘束を振りほどくと、捨て台詞を吐いて屋敷の外へと駆けていってしまった。
「治部殿、
「分かっている。名主、あの子はどういう素性の子じゃ」
すぐに処断せねばと言う伴の者を制し、名主に事情を聞くと、彼はここより少し上流の村に住む子で弥太郎と言うらしい。
彼の村は濁流で全て押し流され、今は村全体が汚泥で埋め尽くされてしまったとか。
泥流が村を襲ったとき、彼は幼い妹を、そして父親は病身の母を抱えて高台に逃れたものの、あと一歩のところで弥太郎と妹が濁流に飲まれそうになり、先に上へと登っていた父が母を安全なところまで届けると、子どもたちを助けに川へ身を投じた。
結果、二人の兄妹の命は助かったが、代わりに父は流れに飲まれ、消息は分からなくなったという。
「あの子の伯母がこの村に嫁いでおりまして、それで今は身を寄せておるのですが」
「なるほど。自分のせいで父親を亡くしたと思っているのか」
「お武家様、お怒りはごもっともですが、何卒ご寛恕いただければ」
「命まで取るつもりはない。されど、あのような心持ちで愚痴を吐き続けておっては、他の者の気持ちも穏やかではない。なんぞ罰は与えねばならん」
「治部殿、それではあの童をここへしょっ引いて……」
「いや、私に考えがある。任せておけ」
川の水質も課題だけど、それより優先は村の営みを取り戻すこと。
だけど、多くの者が少なからず家族を失っている。弥太郎のように親を亡くした子、逆に働き盛りの子を亡くした老親。彼らに元のような暮らしをさせるにはどうするべきか。
それに、被災者の心情とかメンタルケアみたいなものも必要だろう。
改造論以前に課題が山積みだな……
◆ ◆ あとがき ◆ ◆
須川は現代では白砂川という名称に変わってます。
この川は群馬と新潟の県境あたりが源流ですが、途中西側から流れてくる川が合流し、その中の1つが草津温泉を通る湯川なので、かなり強酸性になってます。
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