吾妻郡(魔)改造論
火山灰土と稲作は絶望的に相性が悪い。
それは薩摩のシラス台地や、実際に視察した美濃の黒ボク土などに見られるように、水はけが良すぎて保水性が無いとか、そもそも土に栄養が少ないとか、理由は色々あるようだが、とにかく稲作を行う場合、可能な限り避けられている。
しかし、こういった土地は日本各地に存在するから、領地全体がそういう土壌の藩も多く、無理して植えて結局大した収穫が得られないなんてことも珍しくない。
これが関東ローム層みたいに、大昔からの積み重ねで出来上がった土壌ならば多少は変わってくるのかと思いきや、俺が甘藷の栽培をお願いした下総の埴生郡の実例を見る限り、やはり稲より甘藷のほうが実りが良いというのだから、そもそも火山灰土での稲作は難しいのだと思う。未来ほど農業技術とか灌漑設備が整っているわけでは無いから尚更だ。
そして吾妻郡に関して言えば、先日の噴火で田畑のほとんどが泥流で押し流されてしまった。これまで肥料なんかを与えて丹精込めて耕した土は丸々流され、その上に残ったのは痩せこけた火山灰土なのだから、これで稲作を始めましょうと言っても無茶な話。元に戻るまでかなりの時間を要するだろう。
更に言えば、この山がちの土地で稲作を行うこと自体が非効率なわけだが、それでも米は必要だから、なんとか稲を育てられないかと考え、山の斜面を階段状に切り拓き、僅かに出来た平らな部分を田んぼにしていた。所謂棚田というやつだ。
時代が下り、農業が機械化されてくると、斜面が急で機械を入れることの難しい棚田は多くが耕作放棄され、僅かに残されたものが日本の農村の原風景として観光地化されたりしているが、効率を考えたらそうなるだろうな。
水車を使ったとしても、山の斜面に水を引くのは容易ではない。しかも山ということは川の上流に近く、水量も豊富とは言えない。かけた労力に対する実入りは、平野のそれとは雲泥の差だと思う。もう一度言うが、その条件下で一から十まで元通りの生活に戻すのは、むしろ非効率な作業だと思う。
「稲作を捨てよと?」
「うむ。まずそもそもで、吾妻郡の地形は稲作には向かん。ここで無理を強いて稲を育てるよりは、もっと実りの良い作物を育てるが上策と考える」
そこで俺は、中之条周辺の村の視察を終えた後に、土地の代官や名主などを集めて今後の方針、吾妻郡の新しい産業の構築について説明した。
「お武家様、それではワシらは米を食うなと」
「さにあらず。他所の土地であまり育てておらぬ作物で、この地でも実りの良いものを植えるのだ」
具体的に言えば野菜だな。取り急ぎはある程度ノウハウが貯まった甘藷を用いようとは思うが、後々は他の野菜に切り替えていきたい。
なんたって、ここらは高原野菜の産地だからな。寒さに弱い甘藷は少し相性が悪いのだ。
なんでこういった構想を練ったかというと、先日土石流で壊滅した鎌原村のあたりは、おそらく未来で言う嬬恋村ではないかと思うからだ。今はまだ小さな湯治場でしかないが、近くに万座や鹿沢などの温泉があるから間違いない。
未来人にとって、嬬恋村といえばキャベツだ。標高が高く、夏はそれほど暑くならずの気候は、平野部では育てにくい作物を植えるのに適しているし、そういう意味では蕎麦やジャガイモも候補になるかもしれない。
そして、この高原地帯というところを活用出来る産業がもう一つ……高温多湿の苦手な羊さんを飼うのにも適しているのではないかと見込んでいる。
ご覧なさいこの山々。まるでそのあたりから、ひょっこりハ○ジとペー○ーが現れるような雰囲気。ここに羊がいたら完璧じゃありませんか。
「キャベツ……とは?」
「葉牡丹の仲間にて、西洋では食用にする葉物です」
「葉牡丹が食べられるのですか?」
「元々は食用として我が国に持ち込まれたものじゃ」
キャベツは江戸のはじめにオランダ人によって持ち込まれた野菜なんだが、この国では食用として広まることはなく、品種改良の結果、観賞用の葉牡丹として広まっている。
一応、
「今申した作物は、この地では稲より育てやすく、かつ実りが良い。羊は見たことがないだろうが、その毛を用いて木綿や麻よりも暖かい生地とすることが出来る。まずは価値のある産物と知らしめねばならぬが、そこはこの治部少輔に腹案がある。外には無い品だからな、売り捌けるようになれば、逆に米を買い入れる金になる」
「しかしですな、この山の中では、外へ運ぶにも時間がかかりまするぞ」
「その懸念はもっとも。故に村々の復旧と共に、街道を整えたいと考える」
吾妻郡は山の中ではあるが、既に話した通り上野と信濃を結ぶ街道や郡内の村々を結ぶ道がいくつか走っている。これを整備して、物流の効率化を図るのだ。
「そして街道を整備するというのは、実はもう一つ大きな目的がある」
「それは一体……?」
「湯治客の引き込みじゃ」
先程万座や鹿沢の話をしたが、吾妻郡は温泉の宝庫。そしてその中でも一番は草津の湯であろう。
その泉質は強酸性。硫化水素や硫黄の臭いが温泉街全体に漂い、草津という名の語源も、その臭いのキツさから「
その起源は諸説あるが、室町から戦国期の頃には万病に効く薬湯として全国に知られ、交通網が整備されていないこの時代にあっても、年間で万を超える湯治客が訪れる名湯だ。
そして万病に効く反面、泉質が強烈な故にお肌には優しくないので、草津で湯治した後に、肌の手入れのために入る「草津の上がり湯」として、近隣の四万や沢渡などの温泉も湯治客で賑わっているのだ。
「草津の湯の効能は天下に知られておる。故に今ですら山を越えて湯治に訪れる者が大勢おる。これが街道を通りやすくし、今より訪れるが容易となれば……」
「温泉宿も街道の宿場町も賑わいますな」
「農地を失った者たちに、その旅人たちを歓待する職を充てがうは如何じゃ」
「無理に百姓仕事をせんでもようなりますな」
吾妻郡は第一次産業を成すには条件が厳しい。林業ならやれるかもしれないが、木材はここ以外でも取れるものだから、無理にそれを振興する意味はない。
無論先達がこの地で生きていくために成した労苦を無為にするつもりはないが、他所には無い資源を多く抱える土地なのだから、これを活用しない手は無いだろう。
第一次産業は高原野菜の栽培や羊の飼育にシフトし、羊毛、毛織物の生産という第二次産業の育成と、それと並行して温泉宿への客の引き込みによる第三次産業の発展。俺が吾妻郡の復旧に志願したのは、これから進むであろう貨幣経済に対応した国のあり方を試すためのモデルケースとして使おうとしたからだ。
不謹慎な話になるが、災害によってかつての営みがことごとく破壊され、全てを一から作り直す必要のある土地だからこそ、大きく作り変えることが可能だ。既存の組織を作り変えるとなると、横槍が入りまくりだからな。
そして他にも、高地ゆえ気候が蝦夷地に近く、蝦夷地開拓のノウハウ作りにも役立つと判断したのだ。
そのあたりの考えは家基様や田沼公にも明かしており、よってしばらくは年貢も控えめにしてもらえたし、幕府の政策として進める事業の端緒として、資金も用意してもらえた。そして有り難いことに、差配を俺に一任してもらった。
その分、結果は出さないと俺の身が危ういので油断は出来ないが、やるならここしかないだろうとは思っている。
名付けて吾妻郡改造論。
越後生まれの庶民宰相様の提言と比べたら範囲はとても小さいけど、これが日本を変える第一歩となるはずだ。
魔改造? たしかにこの時代の常識から考えたら、単なる改造ではないかもな……
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