被害の爪痕

――上州吾妻郡


 昔々、東征中の日本武尊が相模から上総へと海を渡るとき、海神ワタツミの怒りを買ってしまい先へ進めなくなったため、これを鎮めるために妻の弟橘姫オトタチバナヒメが人身御供として、荒れ狂う海に身を投じるという出来事があった。


 その遠征の帰路、日本武尊が現在の吾妻郡にある峠を越えたとき、亡き妻を偲んで「吾嬬者耶あづまはや」、現代語訳すると、「ああわが妻よ、恋しいぞ!」と嘆いたという故事がその地名の由来らしい。


 ちなみに我が屋敷のある湯島妻恋坂も、坂の上に妻恋稲荷という社があるけど、それも由来は同じである。あちこちで奥さんの死を嘆いていたようだ。


 ただ、これだけは言っておかねばならないが、奥さんを失った原因は、海を越える際に日本武尊が「この程度の海、俺様ならひとっ飛びだぜ」と余計なことを言ったせいで海神の怒りを買ったためなので、嘆くなら己の失言癖をどうにかせいと思うけどな。




 さて、そんな神話が地名の由来である吾妻郡だが、土地の多くは山地が占め、その山あいや、先日氾濫した吾妻川の流域を中心に、約九十ほどの村が点在し、場所は上野国の西北、西は信濃との国境というところにある。


 上野と信濃をつなぐ道というと、一番大きな街道は中山道となる。日本橋から北へ高崎まで進んだ道はそこから西へ折れ、碓氷峠を越えて軽井沢へと至り、北へ向かう者はその少し先にある追分宿から分かれ、小諸、上田、そして信濃善光寺から越後の直江津へと至る北国街道を通る。


 と、ここまで説明したものの、実はこの道は上野から信濃への最短経路ではない。高崎から吾妻郡内を通って、信濃の須坂から松代の城下、そして善光寺へと抜ける道があるのだ。


 その道は中山道高崎宿から榛名山の南麓を西へ進み、鳥居峠から山を下り須坂へ至る経路で、高崎から大笹の関所までを大戸道、そこから先を大笹道、もしくは信濃側の宿場町の名から仁礼道と呼ばれている。


 この道は山越えだが谷間を通る平坦なところも多く、北国街道経由より距離が短く、宿場町の数も少ない短絡ルートなので、荷駄の輸送費が安くなること、さらには善光寺詣の旅人や、途中の須賀尾宿から北へ向かう道を通って草津温泉に向かう湯治客の往来も多く、かなり賑わっている道だ。


 まあそのせいで、北国街道の宿場町から客を取られたと訴えられたこともあるらしいが、その際に幕府の裁定で正式な脇往還として認められて今日に至っている。




〈中之条町〉


 八月の八日、噴火からちょうど一月経ったその日、俺は拠点となる中之条に到着した。ここはかつて信州松代藩真田家が上州沼田を治めていた頃に市場町として整備された、吾妻川流域では一番大きな町である。


 吾妻郡は全体が山の中なので、平地というのは川の働きによって生み出されたごく一部分だけだ。学校の授業でやったよな、浸食・運搬・堆積というやつだ。


 川は急峻な斜面を流れ落ちるうちに周囲の山肌を削り取り、深い渓谷を生み出す。そして削られた土砂は川の水と共に流れていくわけだが、上流ほど高低差の無い中・下流域に至ると、運んできた土砂が川岸や川底に堆積していくと、そこが河原になり、やがて平地となっていく。


 それが後に土地の隆起や、川の増水といった要因により、周囲で最も低い場所に水の流れが集中することで、長い年月を経て川底がより深く抉り取られるようになると、かつては川底だった部分が干上がって平地となり、そこより一段低い場所が新たな川の流れとなる。幾千年という月日を経てこれが繰り返された結果、河岸段丘という階段状の地形が出来上がる。中之条の町の地形は、まさにその河岸段丘である。


 とは言うが、川沿いの他の村も成り立ちは似たようなもので、河岸段丘は別にこの町に限った話ではないのだが、中之条が大きな町となったのは、北から川が流れてきて、吾妻川に合流するという地理的要因も大きい。


 その川は町の西北から流れてくる四万川と、東北から流れてくる名久田川の二つ。四万川はその名の通り、北へ川を遡っていくと源流近くに四万温泉がある川なので、要は山の方からこちらに下ってきたわけなんだが、本流の流れによって開けた場所に、支流が合流するとどうなるかと言えば、急峻な流れによって運ばれてきた土砂が開けた場所で一気に広がって堆積するのだ。


 そう、扇状地というやつだ。これのおかげで北側は本流からかなり離れた場所まで開けた土地となっており、下流の渋川あたりを除けば、吾妻川の流域でこれほど開けた土地は他にない。


 無論、中之条にも泥流は押し寄せたが、被害は川の左右の一番低い土地が中心で、北側の町並みは大きな被害はない。ここより上流の村々は川沿いに細長く伸びた村が多く、村域の大半で被害を受けていることを考えたとき、外から多くの者がやって来て滞在し、かつ被害を受けた村々を支援する物資を集積するにも、ここが指揮拠点としては最良だろうと思う。


 中之条は先程話に出した大戸道の経路ではないが、こちらはこちらで東は三国街道、西は長野原や草津に至る街道が走っており、物資の運び込みや人の往来に不都合は無いからね。




「しかし……派手にやられたものだな」

「ええ。身の丈をはるかに超えるほどの泥流が押し寄せてまいりましたので、村の者も自分が逃げるのでやっとという有様で」


 中之条に着いて早々、俺は土地の代官に先導してもらい、近隣の村の被害の様子を見聞していた。


「ちなみに、郡外へ逃げた者はどれくらいおりますか?」

「それほど多くはございませぬし、ほとんどの者は既に村へ帰っているかと」


 噴火を前に避難しろと指示は出したが、多くの農民は村の外の知り合いというと、隣村の人とか、娘や姉妹が嫁いだ先くらいのもので、何処へ行けという話だったようで、ほとんどの者は村に残ることとなり、逃げた者も噴火が落ち着いたところで続々と戻ってきているらしい。


 とはいえ、事前に話を聞かされていたおかげであのとき逃げ切れた者も多く、何も知らされなければもっと死人が出ていただろう。あの勧告は意味のあるものだったというのが代官殿の見解だ。


「もう少し日があれば、触れを十分に行き渡らせることが出来たのですが」

「それについてはこちらも少々手間取ったところがあるゆえ、代官殿は可能な限り良うやったと存ずる」

「そう言って頂けるとなにより」

「さて……取り急ぎはこの荒れ果てた土地を何とかせねばということだが」


 数々の被災地の様子は映像で何度も見たが、実際に目の当たりにすると、また違った感想を抱く。


 まずは土砂に埋もれた田畑を掘り返すことなんだが……これはちと厄介になりそうだ。


 なんと言っても、流れてきた土砂は要は火山灰だ。つまりは稲作には絶望的に向かない土地に成り果てている。となれば……吾妻郡の産業のあり方を根本から変えていくしかあるまい。


 もっとも、俺がここに来たのはそれを見越したからこそなんだけどな。

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