武士ならば

「皆揃ったようだな。それでは始めるとしよう」


 町火消の協力を得てから、俺は次の一手に旗本の協力を仰ぐべく、然るべき立場の者たちに集まってもらった。


 それは書院番、小姓組、大番、小十人、新番という、旗本の常備兵力である所謂五番方。それぞれはいくつかの組に分かれ、それを組頭という役が取りまとめ、さらにその上に組織のトップとなる番頭がいる。今日はその番頭と組頭に全員集まってもらったのだ。


 無論俺は呼びつけることの出来る立場ではないから、老中や若年寄が召し出し、上座には家基様が座られている。その様子を見れば、呼ばれた方は何事であろうかと緊張した雰囲気である。


「では治部、説明を」

「はっ。皆様方も上州浅間山の噴火にて大きな被害が出ていることはご承知かと存ずる」

「承知しておる」

「この藤枝治部、畏れ多くも上様より此度の仕置を仰せつかったが、これは某一人の儀にあらず、御公儀の力を尽くし事に当たらねばならん。故にお歴々の助力を賜りたい」

「それは一向に構わぬが、何を助力せよと仰せか」

「されば、各々の組より目端の利く者を復旧要員として推挙していただきたい」


 俺の言葉を聞き、番方の役付きたちがどういうことだと訝しんでいる。


「それは我らの役目ではござるまい」


 どこかの組頭が上げた声に、何人か他の者も首肯した。こちらからするとイラッとする態度だが、そう思うのも致し方ないところはある。


 組織というものはそれぞれの領分があって、己の領域は己の責で取り仕切る代わり、権限の無い他者にあれこれ指図される謂れは無く、越権行為が続けば、そもそも組織建てた意味が無くなるからね。


 そして、番方というのは将軍家の常備兵であり、平時にあっては将軍の身辺や江戸城などを守り、有事にあっては軍として敵に対峙するのがその任務。災害復旧など役目ではないと言いたいのだろう。


「普請方や土地の代官が対応に当たっておるとのことなれば、我らが出る幕はありますまい」

「然り。人手が必要なら小普請を充てればよいし、それに治部少輔殿は町火消も駆りだしたと聞く。我が配下の者に町人どもと同じことをせよと仰せか」

「これは戦である。御公儀が国を治め、民を安んじることが出来るか否かの瀬戸際の大戦ぞ」




 そもそも戦とは何か。狭義にはとある集団同士の争いであるが、個人的には己の生活や自国の体制を揺るがす存在を排除するための行為であると考える。俺は哲学者でも軍学者でもないから、正確な答えを求めるつもりもないけど、それほど間違った考えではないと思う。


 そして戦には必ず敵の存在、己の権益を脅かす何かがあるが、その敵とは、必ずしも人とは限らない。今回のように、大自然相手の戦いということもある。


 その場合、当然ながら敵を討ち滅ぼすのは難しい。基本的には受けた被害を迅速に処理し、次なる襲来に備えた対応を整える。そんなところだろう。


 これを放置すればどうなるか。その先には民が疲弊し、死に絶え、納税という国家運営に欠かせない要素が維持できなくなる。


 さらに言えば、統治者の能力に疑問符が付く。税を納めるというのは、言い換えれば統治者に庇護してもらうための対価であり、自分たちが困窮しているときに何も手を打ってくれないのなら、どうして対価を払う必要があるのだ? となるわけで、その不満が高まった結果起こるのが、打ち壊しや農民一揆というわけだ。


「御公儀が国を治め民を安んじるは、有事あらば我ら武士が表立って戦い、自分たちを守ってくれると民が思っておればこそ。それを疎かにしては、御政道は立ち行かぬ」


 現時点でも農村の疲弊は進んでおり、大量の流民が江戸をはじめとする都市に流入し、世情穏やかではない。その状態が続けば、反体制派みたいな組織が世直しとか言って蜂起することもあるだろうし、最悪外様大名なんかが反旗を翻す可能性だってある。


「上様をお守りする番方の諸氏に問う。貴殿らの働きでこれが未然に防げれば、それはひとえに上様の御為になるのではないかと考えるが如何か」

「されど、わざわざ百姓たちを手助けするなど……」

「然り。百姓は生かさず殺さず。それが御政道の根本でござろう」




 ――百姓は生かさず殺さず


 江戸幕府の統治方針を端的に表した言葉として、後世でもよく知られるそれは、家康公の謀臣、本多佐渡守正信殿の言葉と言われている。


 その言は、「百姓は財の余らぬように、不足なきように治むる事、道なり」というものであり、要約すれば、贅沢はさせないが、日々の暮らしに困るようなことにもさせない。そういう政策に務めることが、百姓を治める最善である。というものだ。


「生かさず殺さず。正しくはありますが、手を貸さねば死にますぞ」


 未来だと搾り取れるだけ搾り取れみたいな解釈もされがちな言葉だし、実際に天明の世にあってもそう考える武士は多くいるが、やり過ぎると民が困窮して、結果武士の生活が回らなく成るから程々にしなさいよというのが正しい認識だ。


 そして殺さずと言うのならば、手を貸すことで死にそうな者を助けられるのなら……それが幕府の役目ではないかと思う。


「たしかに、上州吾妻郡に所領を持つ方はそう多くないことでしょう。どうして関係の無い自分が……と思う方もおられることでしょう。されど、そこに助けを求める民がおるのに、これを見捨てるが武士の務めでありましょうか」


 この先、大規模な飢饉が確実に発生する。見えない敵相手ではあるが、今がまさに国家を揺るがす一大事の最中。吾妻郡の復旧は、これを鎮めるための初手なのだ。


「ここで御公儀が民のために力を尽くすと示せば、後に凶事が続いたとしても、民はお上がなんとかしてくれると思うことでしょうが、無為無策であれば……私の申し上げたいこと、ご理解いただけましたでしょうか」

「治部殿、貴殿の申したいことは分かった。されど、我ら番方に出張れとは、如何なる存念によるものか」

「単に手柄を上げる機会を、と考えたまで」




 今回の仕事の大半は土木工事だ。となれば人海戦術でいくしかない。


 既に町火消に協力を求めたが、人手は多ければ多い方が良い。そこで俺は、小普請でも志願を募っているし、先の政変で主家を失った浪人たちの再起の場にも活用しようかと考えている。


 現実にはそう簡単な話ではないが、手柄次第で小普請が役付きになったり、浪人が仕官なんて話もあるかもしれない。番方の面々だって出世は望んでいるわけで、俺の言葉は「君らが行かないと、彼らだけが手柄を上げることになるけどいいの?」と聞こえることだろう。


「しかし、我らは上様をお守りする大事なお役目が……」

「その上様が行けと仰せでもか?」


 ここまできても、まだ半数くらいはどうしたものかと逡巡していた。その様子を見て痺れを切らしたのか、家基様がこれは将軍の命であると明言された。


「其方らが余や上様を守らんと思う忠義は良う分かった」


 されど、此度は世情を鎮め、民を安んじる姿勢を見せるが第一であり、組から何人か拠出したところで、その穴は江戸に残った者が補えば良いだけのことではないかと家基様が仰れば、臣下の身としては無理ですとは言えまい。


 ていうか、それくらいの穴は埋めてもらわんと困る。


「上様は此度の変事による民の困窮を聞き、酷くお心を痛めておられる。そのお心に寄り添い、憂いを取り払うためにも其方らの働きに期待したい。武士ならば、其方たちが真の武士なればこそ、力を尽くしてほしい」

「上様大納言様の仰せ、然と承りました。されば急ぎ送り出す者を選びまする」

「うむ。これは徳川の、この国の浮沈をかけた大戦と思え。よいな」

「ははーっ!」


 実を言えば、番方から人を出してもらうのは絶対条件ではなかった。


 ただ番方を務める者は、後々昇進して幕閣に名を連ねるような人物も少なくない。彼らに江戸の外の世界を見てもらうことで、その経験が先々自分の仕事の糧となるかもという期待値込みで声をかけたのだ。仕事が仕事なので、派遣されるのは若手だろうと見込んでである。


 何にせよ、自分で経験するというのが一番の勉強だからな。




 こうして七月の終わり頃、俺を頂点とした旗本、御家人、浪人、町火消の混成軍は、上州吾妻郡へむけてその歩みを進めることとなった。

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