災害派遣の下準備

――両国・町火消に組頭新三郎宅


「あっしに上州に付いてこいと?」

「頭だけではなく、若い衆も連れていきたい」


 浅間山の噴火に始まった一連の災害。


 取り急ぎ米価対策とか洪水対策等は田沼公に任せたので、俺は俺でやれることをと吾妻郡の復旧指揮に志願した。


 本当は表舞台に立ちたくはないのだが、今回に限っては俺じゃないと務まらない。というのも、必要以上に米を江戸へ送るなと進言したことで、老中の久世殿が懸念したように、町人たちが騒動を起こす危険があるからだ。


 これまで他の穀物などで作る料理は色々広めたが、米の需要に取って代わったわけではなく、やはり米が無いと……という人も多いから、米不足の状態が続けばしばらくは耐えられても、度を過ぎればそれが怒りに変わり、いずれその矛先は幕府に向かうことだろう。


 史実みたいに打ち壊しとかになってしまうのは避けたい。これを防ぐのに必要なのは正しい情報だ。


 暴動なんてのは原因こそあれど、実は詳しい話も知らないのに、なんとなく自身が持つ不満の種に火がついた結果、騒ぎに乗じるなんて人間も多い。


 そこで俺は江戸の民に外の状況を知ってもらう機会を作ろうと考えたわけだ。それはこの時代の施政方針から見て諸刃の剣であるが、民衆の教化は近代化の第一歩なので、今回に関しては教えない方が暴動に発展する可能性が高いという理由で、どさくさ紛れにその実績作りとして一役買ってもらおうと考えている。


「つまり、あっしらは復興の手伝いもあるが、外の様子を江戸の連中に教える役目もあるってことですな」

「そういうことだ」


 上州及び各地の農村が今どうなっているかを知らせるために、に組をはじめとした江戸の町火消いろは四八組から人を出してもらおうと考えた。


 各組から交代で人を派遣してもらい、現地では復旧作業に従事してもらいながら、村々の様子を具に見てもらう。そして他の組と入れ替わりで江戸へ戻ったら、町のみんなにその様子を伝え、とてもじゃないが今年は米が取れそうにないということを知ってもらうわけだ。


 中にはそれでも我慢ならねえって輩もいるだろうが、多くの者は事情さえ分かれば、「なら仕方ねえな」と理解してくれるはすだ。


 ……米屋が暴利を貪らなければな。


 ちなみにこれを新三郎親方に頼みに来たのは、彼が火消の中でも顔役なことと、両国橋で田沼公と初めて会ったとき以来、なにかと町人たちとの橋渡しで懇意にしてもらっており、最初にこの人に筋を通そうと考えたから。実は親方の家には、これまでも頻繁に顔を出しているのだ。


 あれよ、キンキラ衣装でサンバ踊ってる暴れん坊が新さんと称して、競馬場で「まつり」を熱唱する頭の家に入り浸っているのを想像してもらえれば近いと思う。俺は身分は偽ってないけどな。


「しかし、本当に凶作になるんですかい?」

「空を見てみろ。あれから何日もお天道様の姿は見えやしないし、地面を見りゃ掃いても掃いても灰が降り止まねえ」


 これで稲が育つかって話だよと言えば、親方もたしかにそうだなと頷いている。


「だとしても、学の無いあっしらが話すより、殿様がその話を広めるとか、瓦版で知らせた方がいいのでは?」

「頭、伝え聞くってのは実は怖いんだぜ」




 この時代も情報を入手するという方法として瓦版というものはあるが、実は結構ガセネタが多い。


 それを証明する言葉として、「瓦版は話三分」というものがある。要は七割ウソってことだ。事件事故、災害など、話の根幹となる事象は事実だとしても、未来のように行政機関から公式に取材できるわけではないので、伝聞や推測、もしくは執筆者の主観が多分に入ったものであることがほとんどだし、中には「妖怪が出現した」みたいな眉唾ものの記事も多い。


 もちろん発行者にも騙すという意図は無く、エンタメのようなものなのだ。そして買う方もそれは承知していて、酒場での世間話のネタとして購入していく人が多い。


 未来でもあったよな。UFOの目撃情報を1面にデカデカと載せたり、素性の分からない関係者談を基に、デスクが勝手に妄想を語り出すような夕刊紙が。瓦版というと新聞の原型みたいなイメージがあるが、新聞は新聞でもタブロイド紙に近いものだと思う。


 そして瓦版というと、街角で売り子が滔々と口上を述べて売るシーンが時代劇でもよく出てくるが、実はもう一つ、お昼頃に町を無言で売り歩くというスタイルの瓦版もあって、こちらは売り文句を言わず、どんな内容なのか客が聞くまで教えてくれないが、信憑性はとても高いという硬派な瓦版である。


 何故売り文句を言わないのかというと、この時代は、お上の検閲によって批判的なものは認可が下りないからだ。それを逆手に取り、黙って売る事によって、「お上に知られてはいけない何かが書いてあるのかも」という期待感で買わせるという手法である。とはいえ、信憑性は多少マシというくらいではあるが……


 ちなみに余談だが、時代劇だと瓦版売りは堂々と顔を出して売りさばいているが、実際は編笠を被って顔がわからないように売っていたりする。顔を見られたくないというのは、言い換えると罰せられるとか、何か危害を加えられるかもというリスクがあるからにほかならない。元ネタの出自が多分に怪しいことの証とも言える。


 というわけで、瓦版で広めるというのは怖い。話半分で見られるのも嫌だし、人伝に伝えられるうちに話がすり替わるリスクもある。


 かと言って俺が話を広めたところで、直接話を出来る数は限られるから、多くはそれを伝聞で聞くことになるだろうから、結局は伝言ゲームになる。そこで、現場を見てきた者を大勢用意して、出来る限り伝聞ではなく、直接話を知らせてほしいと考える。


 信憑性という意味では、実際にその目で見てきた人間の生の声は重要なのだ。


「火消のみんなにはその目で見てもらって、帰ってきたらそれを各々の持ち分で話してやってほしいのさ。町奉行には話を通してある」

「分かりやした。他の組のもんには、あっしから話を通しやそう。この新三郎の名にかけて、嫌とは言わせませんぜ」


 こうして新三郎親方が了承してくれたことで、町火消の方は大丈夫そうだ。




 このとおり、俺が復旧指揮に志願したのは、まず一つ目に現地の様子を江戸へ確実に知らせてもらうことの算段だ。


 先程も言った通り、ガセネタで踊らされて騒動を起こされては困るから、可能な限り伝聞ではなく口伝で正しい話を広めたい。町人相手にそれを侍がするというのは無理があるので、だからこその町火消のみんなだ。


 それぞれの町内で顔が利き、話を触れ回らせやすく、かつその体力や身体能力は災害派遣にもってこいだ。残念ながら学のほうはちょっと……な面々もいるけど、そこは俺が同行して、こういうところを町のみんなに話してやってくれと教える。俺が指揮に向かうのはそれがまずは目的なのだ。


 もちろんそれだけなら他の者によく言い含めて送り出す手もあるが、実は他にも理由はある。


 それは向かう場所――上州吾妻郡というところの地理や風土に起因するものなんだが、これについては現地の様子を見てからの判断なので、詳しくは後々披露出来ればと思う。




 そして、火消の協力を得た今……次は武士の方に腹を決めてもらおう。

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