根拠無き優越感

 佐野家はかつて平安の頃、下野から上野あたりに勢力を持ち、平将門が起こした反乱を鎮圧するという功を立てた豪族、藤原秀郷の後裔である足利氏の支流で、下野国安蘇郡佐野庄に土着したことからその名を称するようになった。ちなみに室町幕府を興した足利氏は源氏の出なので、それとは別の一族である。


 源平合戦の折、本家は源頼朝によって滅ぼされることとなったが、佐野をはじめとする分家の多くは早くから頼朝に恭順し、鎌倉御家人として存続したという。


 とはいえ、佐野家は多くの御家人の中の一つであり、鎌倉幕府の重鎮というわけでもない。さして権力を持ったわけでもないその名が、どうして江戸の世にまで伝わるのかというと、「鉢木」という能の一曲が有名になったからである。




――鎌倉の昔、大雪が降っていた日の夜のこと、旅の僧が一夜の宿を求めて佐野荘の外れにある一軒の家を訪ねた。その家の主は貧しさゆえ接待も出来ぬと一旦断るが、困り果てた僧を見かねて妻がこれを取りなすと、なけなしの粟飯を出してもてなした。


 その家は今にも朽ち果てそうなあばら屋ではあるが、ボロボロになった鎧や所々錆が見える薙刀が備えてあり、外には痩せこけているが馬も飼っていた。もしや御仁は名のある方なのかと旅の僧が問えば、主はその名を佐野源左衛門常世といい、以前は三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族の横領ですべて奪われ、このように落ちぶれたのだと身の上を語った。


 そんな話をしているうちに囲炉裏の薪が尽きて火が消えかかると、継ぎ足す薪の備えも無かった常世は、松・梅・桜の見事な三つの盆栽を出してきて、裕福だった頃に集めた品だが今となっては無用の物。これを薪にして、せめてものもてなしにしましょうと、その枝を折って火にくべたのだ。そして、今は全てを失った身の上だが、武士なれば、ひとたび鎌倉よりお召しがあれば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦う覚悟だと決意を語る。


 それから年が明けて春になり、突如鎌倉から急ぎ馳せ参じよとの触れが出た。常世も錆びた薙刀を背負った古鎧姿で痩せ馬に乗って駆けつけたのだが、鎌倉に着くとそのまま前の執権北条時頼の御前に呼び出されることとなる。


 諸将が居並ぶ中、平伏して待つ常世の前に現れた時頼は、あの日の旅僧が自分であったことを明かし、「其方が偽りなく馳せ参じてきたことを嬉しく思う」と語りかけ、その忠義に報いるとして失った領地を返した上、あの晩の鉢の木にちなむ三箇所の領地、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松枝庄を新たに恩賞として与えた。常世は感謝して引きさがり、晴れ晴れとした表情で佐野荘へと帰っていったという。




 というお話で、「いざ鎌倉」という鎌倉武士の心情を描いた作品として、そして武士に忠義の大切さを訓示する作品として大変な人気を博し、江戸の世にあっても歌舞伎の演目などで頻繁に演じられ、庶民の間にもすっかり定着した話なのだ。


 随分と詳しいじゃないかと思うよな。聞かされたんだよ、件の善左衛門という男にな。


 それは吾妻に来て最初に、救援に駆けつけた旗本や御家人たちを前に俺が訓示したときのことである。一通りの話を終えて後、その男は俺に直訴したい儀があるとやって来て、鼻息荒く前段の話を語り出したのだ。


 それを訴えてどうするの? って話だが、言っていることを限りなく彼に寄り添って都合の良いように解釈してあげると……


「鎌倉の昔から続く名族の末裔たる自分は、もっと高い地位にいて然るべき人間。なのに今の扱いには納得していないから是非重用して欲しい」といったところか。


 いやすごいね。「ちょっと何言ってるか分からない」という名言を現実に使う機会ってあるんだって驚くくらい、ちょっと何言ってるか分からないです。


 武士ってのは家系を繋いでいくのが大事な仕事の一つなので、平安鎌倉から続く家はそれは尊重せざるを得ない。


 ……冷泉家みたいな家ならね。


 かの和歌の大家は、藤原定家の血を受け継ぐ唯一の家。今でこそ上下に別れてるけど、定家の後裔を名乗る本家はあそこしかいない。


 翻って佐野家はどうかと言うと、かつて下野で大名であったものが、後に改易となってその子が三千五百石の旗本寄合席として存続しているのだが、これが本家だろう。


 そして善左衛門の家系はと言うと、何がどうしてそこへ行き着いたのか分からないが、三河譜代として、家康公の祖父松平清康公に仕えたのが始まりであり、下野の佐野氏とは藤原秀郷を祖とすることのみ共通項らしい。好意的に解釈しても分家の分家とかそういうところかもしれない。


 しかも、この三河の佐野氏ってのも六つか七つの分家があって、善左衛門の家はその中の一つ。身分制ガチガチの世の中にあっては、決して高貴な身分とは言い難い。


 だから彼の言い分は理解し難いし、百歩譲って身分の高い家だとして、それのみを根拠に重用されるべきというのも無茶苦茶な話だ。


 ただ、彼がそう考えるのも少し理由があって、佐野氏の分家の一つに田沼氏ってのがいる。そう、意次意知親子の田沼だ。こっちも何がどうなって紀州藩の足軽になったのかは分からないが、御老中はこの田沼氏の子孫と称しているらしい。


 もっとも、あの親子は出自などあまり重要視していない。一応体面のために、昔から名の残る一族の末裔ですよと名乗っているだけで、出世したのは自身の仕事の成果だと思っているのだが、善左衛門から見たら同じ一族でも分家で元々軽輩だった田沼が老中まで上り詰めたのならば、自分はその本家筋の一族なのだから、高い役職を与えられて然るべきだ。とでも思っているのかもしれない。


 マジ面倒くせえ……新番頭はよくもまあこんなのを推挙してきたな。まさか志願者が少ないから穴埋めをクジで決めたとかそんなんじゃないだろうな……




「何がどう折り合いが悪いのか分からぬが、とりあえず坪井村を視察することにしよう。弥太郎、お主も付いて参れ」

「はい。道案内はお任せください」


 出身地ということで弥太郎も同行させる。この子は最初こそクソ生意気だったけど、亡くなった父親の代わりに俺が! という想いに目覚めて以降は、ビックリするくらい従順に、そして貪欲に俺の教えに喰らいついてきている。


 スパルタの重装歩兵がドン引きするくらいに厳しくするまでもなく、率先して学びの日々を送っているのを見ると、将来楽しみになってきたので、故郷の現状を見せて、復興の進め方を教え、彼なりの考えや答えを導けるようにしてやろうかと思う。




「これは見回りご苦労さまでございます」

「うむ。少々進みが遅いようだと聞いて罷り越した」

「申し訳ございません。当初の決めごとから色々と変えるところが多いのですが、佐野様と村の者の意見の食い違いが多く……」


 出迎えてきた名主の顔色が少し悪い。話の内容から、善左衛門と村の者の仲裁で苦労しているところに俺まで現れたから、今も胃がキリキリ……ってところなのだろう。


 良く効く胃薬を処方してやりたいな……


「問答無用! お主らは儂の言うとおり動けば良いのだ!」

「お武家様、それはこっちに変えると名主様と話が付いたと……」

「黙れ黙れ! お上のご命令に従えぬと言うか!」


 なんてしているうちに、作業をしている一団の中から、言い合いというか怒鳴りつける声が聞こえる。


 だ〜か〜ら〜! そんなやり方で進めろって俺は命じてないのよ!

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