独立戦争の影響
「ほう、オランダは戦に巻き込まれておるか」
「あちらは国同士の距離が近うございますゆえ、ちょっとしたことですぐに巻き込まれるようです」
ティチング商館長との会談からしばらく後、俺は家基様に目通りしていた。その側には、さも当然のように奏者番の田沼意知殿、蝦夷目付の長谷川平蔵殿が同席している。
彼らも「オランダ風説書」という、オランダ商館から幕府宛てに提出される海外情報の報告書によって、その戦争が起こっていることは一応知っていたが、今回俺が持ってきた情報はさらにその最新版となる。今まで洗脳(?)してきたおかげか、みな海の外の話を聞きたくて仕方がないと言った様子だ。
「自立を目指して蜂起した側が予想外に善戦しておるというのだな」
「むむ、我が国は長らく戦とは無縁でございましたから、なかなか認識しにくいところも多うございますな」
「政のやり方も他国との関わり方も我が国とは大きく異なりますから、比較はしにくくはございますな。強いて我が国で例えるなら、御公儀と朝廷が戦になったようなものでしょうか」
「治部殿、滅多なことを申すでない」
「例え話にございますれば、この場限りのこととしてお聞きくだされ」
仮にこの国で同じような状況が起こるとすれば、幕府に蔑ろにされた朝廷が、政治の実権を取り戻そうと蜂起したとするのが感覚的には近いだろう。この場合、幕府がイギリス、朝廷をアメリカと見立てる。
西洋でイギリスがそうであったように、戦力で圧倒する幕府側が早々に勝利すると見られる戦であるはずが、朝廷側が予想以上に善戦する。そこには朝廷が勝つことで幕府の力が落ちることが自身の利となる可能性がある西国雄藩、例えば史実の明治維新のように、徳川に積年の恨みを持つ薩摩や長州などの外様が力を貸しているとなればどうだろう。この外様大名がフランスやスペインということだな。
そして、御公儀は膠着した事態を打開するために親藩や譜代に出兵を求めるも、水戸様は朝廷には弓引けぬと我関せずの立場で動かぬどころか、実は裏で朝廷に物資を送るなどして手を貸していたといったところだろうか。
「水戸様や薩州殿が聞いたら噴飯ものだな」
「ですのでこの場限りのことと申し上げました」
話を聞いていた意知殿が口を挟んできたが、国内で同じようなことが発生するとしたらという例え話だから、立場も状況も全く違うのは重々承知している。それで言うなら、朝廷を幕府の植民地と比喩しているだけで不敬だからな。
「実際に朝幕の関係は悪くありませんし、水戸様も同様。薩州殿は過去の因縁を乗り越えて今はご協力いただいている立場ゆえ、そのようなことは起こりませんが、海の向こうではそういった状況にあると例えているだけです」
「ふむ、その例え話で言う水戸家がオランダというわけか」
「御意。御公儀は水戸様を味方と認識していたのに、あろうことか戦に加わることを断った挙げ句に、勝手に朝廷と誼を通じていた。よって敵と見なし、水戸領にも兵を進めた。といった感じでご理解いただければと」
「して、その話で我が国はどういった立場であろうか」
「そうですな……他国の者が足を踏み入れることもないような常陸の山奥の村でしょうか」
その村は基本的に自給自足、自分たちの食い扶持は自分たちで賄うことくらいは出来るが、外との交流は一切無い村で、それこそ外界との関わりは、時折水戸のご城下からやって来る物売りくらい。そこで外からの産物や情報を仕入れるのが唯一の手段というわけだ。
「されど水戸領に幕府の軍勢が押し寄せ、街道という街道が封鎖され戦場と化せば、物売りがその村に来ることも叶わなくなります。村は外の物資が入らず、情報も一切知り得ぬ孤立した状態となるでしょう」
「現実の話で言えば、その物売りがオランダ商船ということで、幕府、つまりイギリスに行く手を阻まれ、もしかしたら襲われる可能性もあるということだな」
家基様がしっかりと伝えたかったことを理解してくれている。例え話では街道という街道を封鎖としたが、海の上でそれは難しく、全ての船が襲われるというわけではないだろうが、もし襲われればオランダ船はひとたまりもなく、それが故に我が国への交易を躊躇するという可能性はある。
それに、アジア貿易の根拠地であるバタヴィアが襲われる、占領されるなどといった可能性もあるかもしれない。
「実際のところはどうなのだ」
「と仰せになりますと?」
「オランダはイギリスに負けるか」
「国が滅ぶような負け方はせずとも、交易の頻度は減るかもしれません。なにしろオランダの旗を掲げて航海しておれば、イギリスの戦船に追われることになりますからな」
「カピタンはそのあたりをどう捉えておる」
「色々と対策は考えているようです」
ティチングさんとの話の中で、正規の商船以外の侵入を防ぐための暗号や信号の創設を提案したことを話すと、意知殿や平蔵さんは納得していたが、それは商船が来航する回数とは別問題なのではと、家基様が疑問を呈してきた。
「長崎にオランダ船以外を入れないようにする対策としてはよかろうが、海の上での安全は守れんのではないか」
「仰せ然り。ただそこに関してはオランダ商館が考えること。我らがどうこう言う話ではありません」
とは言うものの、実はオランダの考える対策は聞いている。これは俺も想定していなかったことなのだが、ティチングさんが入港の規則を定めることで、商船を手配する選択肢が増えると言っていたのだ。
オランダ船はイギリス軍に襲われるから、当然アジア方面で運用できる数も航路も限られてくる。それでもこれまでの販路は規模を落としたくないとなれば、使える船を新たに確保しなくてはいけないわけで、ティチングさんが言う選択肢とはそのあたりの話になる。
もし本当にオランダ船の航行が難しくなったとき、代わりに他国の船に運んでもらおうということだ。その相手がどこになるかはこの先次第のところはあるが、おそらくイギリスと交戦状態ではない中立国の船ということになろう。
この時代に公海という考え方があるのか知らないが、洋上では他国籍船として航行し、長崎に近づいたらオランダ旗を掲げる。乗っているのはオランダ商館の船員だから、そこで入港の段取りが決まっていても問題なく入れるという仕組みだ。
まあ、そこに関しては東インド会社が考えることだし、現時点では可能性にしか過ぎない。しかもその方法で交易することを良からずと言い出す者もいるかもしれないし、細かいところまで伝えるべきではないだろうと判断した。
「しかし、オランダとの交易が減るとなると、蝦夷地も少しそのあたりを考える必要がありそうだな」
「平蔵殿、それはロシアのことを指しておられるか」
「オランダがダメなら他の手は考えておいていいんじゃねえかな」
これまで蝦夷地探索は、我が国の領土であることを明確にすることを主眼としていた。ロシアより先に我が国が治めている実績を残し、彼の国と接触したときに国境線をこちらに有利とするためだ。
交易するかどうかはその先の話だが、実際のところ正式に国交を開くというのはそう簡単ではない。国境線の確定が一筋縄ではいかないだろうから、そちらの話が拗れているのに交易だけ先行なんていうのは、これまでの長い鎖国の歴史がある以上、親藩・譜代・外様問わずに多くの異論が出てくるだろうからな。
だが、オランダとの通商が絶えるとなれば少し話が変わる。この時代の日本は自給自足も出来ないわけではないが、舶来品があればより便利なところもあるし、西洋の品を求める者は多い。
それになにより、海外の情報が全く入ってこないのは痛い。となれば、ロシアに代わりを担ってもらうという考えはあってもおかしくない。平蔵さんが言いたいのはそういうことだろう。
さて、それにどう返すかな……
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