侍は西洋の今を知る

<前書き>

久しぶりに『 』表記はオランダ語の会話です。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


『商館長、お久しぶりです』

『お元気そうでなにより』


 今年も恒例のカピタン江戸参府の時期がやってきた。


 今回参府した商館長はイサーク・ティチング氏。将軍家治公に目通りを済ませてから数日後、早速俺は日本橋本石町の長崎屋に向かった。


『会えるのを今か今かと待っていたよ』

『それは光栄』


 ティチングさんは一昨年もカピタンに就任しており、俺が会うのはこれが二回目となる。


 ちなみに商館長就任の際に引き継ぎをした前任はかのフェイト氏。俺が蘭学を志してから関わった異国人の中では、ツンベルク先生に次いで関わりのある人物だ。そんなわけで江戸に行くと面白い日本人に会えるぞと俺のことを聞かされていたようで、会うのが楽しみだと言われて話に花が咲いたことを覚えている。


『フジーダさんにはフェイト前館長からもよろしくと言われております』

『去年は江戸に居なかったので会えずじまいでしたからね』


 そして、ティチングさんが二度目の商館長就任にあたって今回引き継ぎをした前商館長も再びフェイトさんだった。この四年間は二人で順番に日本とバタヴィアを行き来していることになる。


 なので昨年はフェイトさんが江戸に来ていたのだが、生憎俺はその頃京都に行っていたので会えずじまい。しかも聞くところによると、昨年の秋にバタヴィアに戻った後はオランダ本国に帰ることになったそうで、つまりは昨年が最後の日本だったわけだ。


 そのことは後々手紙をもらって知ることとなったが、ツンベルク先生同様、それはもう二度と会うことは無いと言っているに等しく、出来れば最後に会ってお別れしたかったなというのが少々心残りではあったが、代わりにやって来たこの新たな商館長もまた、俺にとって新たな出会いと発見という意味では面白い存在である。




 というのも、ティチング氏は商館長でありながら医師でもあり、さらには大学では法学も修めたのだとか。商売人として先頭に立って交渉するという部分に加え、組織の統括管理者としても期待されているといった感じのインテリだ。


 そんな彼が日本に来たのは、この国のことを色々と知りたいという知識欲からのもの。商館長就任は東インド会社の命令ではあるが、どうせ行くなら知らなかったことをどんどん学んでいこうじゃないかとなったらしい。そして、それらの新たな知識を吸収するのに、彼の脳みその容量は十分すぎるほど十分にあるのだ。


 なので前回お会いしたときも、これでもかというくらいに質問攻めにあった。あまり政治とか日本の細かい内情を話すのは、バレた時のリスクがあるから本当は遠慮したいところなんだけど、実を言うと彼は俺に聞かなくても、もう一人情報源を持っているんだよね。


 その人の名は薩摩藩主・島津重豪公。オランダ好き新しいもの好きでクセがすごいあの重豪公だ。そちらとも文通をするほど親密だと聞くので、それなりに情報は入手していることだろう。


 これは治察様や田沼公も承知で、程々にしておいてくれよと島津公に直接言うくらいで半ば黙認なので、そうなれば俺が黙っているメリットは少ない。俺の口から話すことでその見返り、つまりは彼の持つ医学をはじめとした多くの知識、そして最新の(と言っても年単位の遅れだが)西洋情報などを得られることが出来るからね。


 そういったわけで、前回お会いして以来、度々書簡でのやり取りは行っているし、今回も羊とか北欧の建築技術なんかお教えを請いたいと頼んでいるので、こちらも会うのが非常に楽しみだったのだ。


『そうそう、ツンベルク氏からも手紙を預かっているよ』

『先生から!』




 懐かしい名前が出てきた。


 青木昆陽先生と並び、今の俺を俺たらしめてくれた恩師、カール・ペーター・トゥーンベリ……国内向けにはツンベルク先生と言った方がいいか。


『先生は今どちらに?』

『え? ああ、それはね……』

『ご心配なく。先生がオランダ人でないことは既に承知しています』

『……そうなの?』


 このことは先生と俺の間だけの秘密にしており、共に学んだ中川淳庵さんや桂川甫周さんも、商館長だったフェイトさんも知らない事実なので、ティチングさんが知らないのは当然だろう。だから明言しにくかったのではないかと思う。


 まあ……当の本人が既に日本に居ないわけだし、もう時効でしょということでそのことを伝えると、先生はあれからアジア・アフリカの各国に寄港して、各地の風土を調査しながらオランダ、そして故郷スウェーデンへ戻り、今は自身がかつて学んでいたウプサラ大学で教授の職に就いているということを教えてもらった。


『ここで手紙を読ませていただいてもよろしいか』

『どうぞどうぞ』


 ティチングさんに断りを入れて手紙を読み始めると、そこにはまず俺のことを気遣う文面から始まり、現在の先生の様子から故郷のこと、そして欧州を取り巻く情勢などについて詳しく記されていた。


『オランダも参戦してしまったのですか……』

『私も伝え聞いただけですが、そのようですね』


 何の話かというと、アメリカの独立戦争のことだ。




 今から六年前の1776年に独立を宣言したアメリカと、宗主国であったイギリスとの間で始まったこの戦いは、未だ決着を見ず泥沼の様相となっていた。


 というのも、当初は圧倒的なイギリスの軍事力の前に植民地軍はあっけなく崩壊するであろうと見られていたものが、互角以上の戦いを繰り広げていたからだ。


 これに対してイギリスはアメリカを孤立させるために海上封鎖を実施。その海軍力を背景に、交易するために渡航してきた中立国の商船を次々に拿捕し、物資を入れないようにする算段であろう。


 とはいえこれは貿易相手の欧州各国にとっても死活問題であるため、ロシア皇帝エカチェリーナ2世は、中立国船舶がアメリカへ航行すること、禁制品以外の物資輸送を行うことは誰に妨げられるものでもなく、もしイギリスがこれに反し妨害をするようであれば武力行使も視野に入れると宣言。これに賛同した北欧各国やプロイセンなどによって、所謂「武装中立同盟」というやつが結成された。


 イギリスと直接交戦する気はないが、要らぬちょっかいを出すようならこちらにも考えがあるよというこの枠組みが、間接的にアメリカを支援することとなる一方で、1778年にフランス、1779年にスペインはイギリスに宣戦布告し、戦争に当事者として関わり始めた。


 その一番の目的は、次々とイギリスに奪い取られていった新大陸やカリブ海の植民地を取り返すためであることは俺も歴史で知っている。そしてその結果もね。




 欧州各国の支援の結果、アメリカが完全に独立を勝ち取るのは今よりそれほど先の話ではない。


 だが、アメリカ側として参戦したフランスにもたらされたのは、植民地争奪戦で敗れた雪辱を果たしたというカタルシスと、割譲された僅かな植民地のみ。財政破綻するレベルで投入された莫大な戦費に比して得られた物は少なく、これが後にフランス革命へとつながることになるのだろう。


 とまあ、そこに関しては俺の知る歴史と然程変化は無いので驚きはないが、オランダも宣戦布告していたとは知らなかった。


 戦争開始以前、オランダはイギリスと比較的友好な立場であった。故にイギリスも植民地鎮圧のために協力を求めたのだが、オランダ国内にも色々な勢力があって、アメリカ独立支持派もそれなりに多く、国として正式に中立を保つこととした。そして、そこにはオランダ商人たちの思惑も深く絡んでいる。


 と言うのも、彼らはイギリスが新大陸を海上封鎖する中、カリブ海の植民地にある港を経由して戦争当初から植民地軍に武器弾薬を供給しており、フランスが参戦以降はそちらにも物資を融通していたらしい。言ってみればこれがイギリスの逆鱗に触れ、オランダ船はイギリス海軍に次々と拿捕されることとなった。


 アメリカとの交易が絶たれた商人たちは、海軍に護衛を求めるようになり、困ったオランダ総督ウィレム5世は先に述べた武装中立同盟への参加を企図。これを知ったイギリスは、オランダが同盟に加わると、下手をすればロシアや北欧諸国とも戦端を開くこととなるため、機先を制してオランダに宣戦布告したということのようだ。


 宣戦布告されたのが1780年の12月、そしてこの手紙が書かれたのが昨年1781年のはじめなので、その目的ははっきりと書かれてはいないが……




『貿易中継点となっている西インド諸島の制圧がその目的ですかね』

『物資の流入を防ぐという目的であればそうでしょう』


 俺の推論をティチングさんも肯定した。イギリスにとっては貿易路を絶つのが目的だろうからね。


 しかも、オランダはイギリスに近すぎる。これがロシアや北欧各国の場合、主戦場とは真逆の北海の奥深くまで艦隊を進める必要があるが、オランダの場合目と鼻の先だから、海軍も動きやすい。戦争を有利に進めるには敵国認定をしてでも叩くべき相手と見なされたのだろう。


『しかし……これがこのまま続けば、考えたくない事態がおこるかもしれません』

『と言うと?』

『貴国が持つインドやアジアにおける権益も、イギリスに狙われる可能性がある。いや、早晩狙われることかと』

『まさか……』


 ティチングさんはまさかという顔をしているが、これはまぎれもない事実だ。何しろそれを知る人間がここにいるのだから。


 オランダが戦争に巻き込まれた理由は良く知らなかったが、後の時代にイギリスがアジアで伸長してきたのは、どうもそのあたりにも要因がありそうな気がする……

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