約束でしたね
<前書き>
今回はほぼ全編ピロートークでございます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
こうしてこの年の秋、俺と種は華燭の典を挙げ、晴れて夫婦となった。
既に五年も同じ屋根の下で暮らしているから、今更新婚さんという雰囲気でもないが、大きく変わったことと言えば……
夜の添い寝(意味深)が日課になったことくらいだろうか……
添い寝とは何か? そらもうただ一緒に寝るわけじゃないさ。具体的に言えば、種の畑に種を……(以下、自主規制)。夫婦になったんだから当然のこと。おままごとで結婚したわけじゃありませんから。
「旦那様、一つお伺いしてよろしゅうございますか」
「なにかな」
そしてある日の夜、日課のお勤めを果たして賢者と化していた俺に、種が神妙な面持ちで何やら尋ねてきた。
「冷泉の姫様とは交わりましたので?」
「……無い」
「真ですか」
「何故そう思う」
「お兄様やお義姉様の前では言うのを憚りましたが……」
田安家で話したもののほかに、種にはもう一つ、あの歌の解釈があったそうだ。
"抱き持つ種が芽吹く"
俺が持つ種が芽吹く。それを俺はこれから興そうとする事業が成功すると解釈し、種は俺との仲が成就すると解釈したが、これはどちらも主語が俺ということは同じだ。
だが、この種を持つ主語が別人であったとすれば……
「もし、それが綾子と申す姫が抱き持つのだとすれば、種が芽吹くとなると……そういうことをしたとしか解釈出来ませぬ」
「本当にしておらぬ」
「あのような歌、脈があると思える相手でなくては贈りますまい。なれば、そう思う何かがあったと考えるのが筋かと」
種の口調はそれを怒るという感じではなく、引っかかっている心のモヤモヤを晴らすために、実のところを知りたいといった様子だ。
「隠さずともよろしゅうございます。大事な話ゆえ正直に答えてください。京で何かありましたよね?」
「……無いと言えば嘘になる」
種に何となく心の内を見透かされながら責められているような気がして、綾子殿と出会ってからの経緯と、彼女がどのような姫であったかを語らされることとなった。
「周囲の声に負けずお一人で学問を」
「公家は武家以上に慣習を重んじるからな」
「それで手を差し伸べようと……旦那様らしいですわね」
「そうかな?」
「らしいですわよ」
種が言うには、俺が関わる女子というのは何かしら才があり、かつ、それが他人からは見えにくいとか、評価されにくい立場にある者ばかりだと言う。
「綾に始まり、工藤の綾子様。そして今度は冷泉の綾子様。……って綾という字が付く女子ばかりですわね」
「たしかに……」
「綾という名に何か思い入れでも?」
「無い。綾は賢丸様に頼まれて引き取ったが、工藤の綾子殿は向こうから弟子入りに来たし、冷泉の綾子殿は私が会うと仕向けて会ったわけでもないし」
「不思議な縁もあるものですね」
言われてみれば奇妙な縁だけど、綾という名に思い入れも因縁も無い。好んでその名の付く者を囲っているわけではない。
三人も続くとは不思議な気もするが、ただの偶然だろう。
偶然だよな……
「ですが、旦那様が見初めたのであれば、余程素敵な姫であられたのですね」
「見初めたわけでは……」
「構いませんのよ。以前にも申し上げた通り、側室を迎えることは決して悪いことではありません。それが才女ならば尚のことよろしいではありませんか」
「嫉妬せんのか」
「妬いてほしいのですか?」
なんだろう……事後ということもあってか、種が蠱惑的に見える。
まるで男を弄ぶかのような悪戯な笑み。以前なら間違いなくプンスカしそうなものだが、大人の階段を登ったといったところだろうか。
俺が登るお手伝いをしてしまったので、どの口が言うって話だけどね……
「他所の姫君に一瞬でも心を奪われたとなれば、正妻の務めとは分かっていても、それは妬きますよ。あんな歌を贈られて、半ば喧嘩を売られたようなものですから」
「……すまぬ」
「何故謝られるのです? もし心を奪われたなら、奪い返せばいいだけのこと。私がその方より上に立てるようにすればよいだけのことではありませんか」
「随分と自信有りげだな」
「それはもう。幼い頃から旦那様のことだけを見てまいりましたもの。旦那様が何を考え、何を願い、何を好むか、誰よりも良く存じ上げているつもりです」
有能な者なら共に精進し、仮に己の栄達だけを願う不届き者ならば切り捨てるだけ。どちらにせよ側室に負ける気はないと言う。
種が言うと、『切り捨てる(物理)』に聞こえるのはあながち冗談ではないように思える。
「まあ、それ以前に旦那様がそのようなつまらぬ女を囲うとも思えませぬが」
「分からんぞ。御簾中様曰く、俺は女子の心が分からぬ朴念仁だそうだからな」
「ほんとに。あのお義姉様の怖い顔ったら、寿麻呂様を叱るときと同じでしたわ」
「俺は幼子と同じ程度ってことか……」
婚儀が正式に決まったあの日、俺は因子様に滾々と説教された。
要約すると、「お前は見た目が良くて女が放っておかないんだから、もう少し女心を理解するなり気を配るようにしないと、いつか痛い目に遭うわよ」という話だ。
その姿たるや、ちょっと前まで箱入り娘で育てられた、都のはんなり姫君だったとは思えぬ圧。「御簾中様も俺のことカッコいいと思ってるんですね」なんて、冗談でも言えない空気だった。
御簾中、そして後継者の生母という立場が因子様を大きくしたのだろうな。その方に教えを請うたのだから、いずれは種もそうなるのだと思う。
「だから、俺が道を過たぬためにも種には側にいてもらわないといかんだろう」
「ご案じなさらず。種はずっとお側にいると約束したではありませんか」
「……そうであったな」
その言葉に、幼い頃に訪れた下総での恐怖の一夜のことを思い出す。
あのときは首と胴がグッバイする危険しか感じなかったが、それから十年少々経って、あの約束が今に繋がっていると思うと、運命とやらを感じざるを得ない。
「旦那様は己の信じる道をお行きまさいませ。種はそれを信じて付いてまいります」
「そうか」
「……で、冷泉の姫君は側室にお迎えしますので?」
ああ、やっぱりその話に戻るのね……
「お義姉様の話でも、才気溢れる姫君だとか。こう言ってはなんですが、四千石の旗本が羽林家の姫君をお迎えする機会などそうはありませんわよ」
近衛家と冷泉家はご近所ということもあり、因子様は幼い頃の綾子殿を知っていた。
もう十年近く前の記憶ではあるが、実際に本人を知る方の話は貴重で、田安家でも迎えるに
「旦那様も本当は綾子様の歌の意味、分かっておられたのではありませんか」
「……まあ、彼女から和歌を習ったしな。だが、その話は無いだろう」
分からないわけがない。トボけたフリしてやり過ごす気満々だったんだからさ。
だけど、綾子殿は京で己の道を切り拓くと仰せになった。どういう想いでそれを言ったか全ては見通せないが、口に出したその決意に水を差すわけにはいくまい。
「残念に思われますか」
「いや。徳川の姫に続き、羽林家の姫まで迎えるとなっては、俺の身が保たん」
「その割には、こちらはお元気のようですが?(ニコッ)」
そう言うと、種がオレのアレを優しく撫でる。
やめい。折角遊び人から賢者になれたのに、手付きがイヤラシすぎて、また遊び人に戻ってしまうではないか。ダー○の神殿もビックリのクラスチェンジになるぞ。
「旦那様はもう少し素直になられたほうがよろしいですわよ」
「……素直になると朝まで寝ずの供になるが構わないか」
「ええ、今のうちに身も心も私だけのものになっていただけるなら本望でございますわ」
「言ったな」
「あん……もう……」
まあ、これで幸せな夫婦生活とか、明るい家族計画が始まると思えば、前途洋々……と言いたいところだが、そう話は簡単にいかない。
なんで俺がこんなに人肌を恋しがるのかと言えば、どこかに焦りとか不安を抱えているからだろう。単に性欲のはけ口を求めていただけじゃないぞ。
その理由は今年の四月、帝の即位によって行われた改元にある。
新たな元号の名は……『天明』
遂に、
<第五章 未来への種蒔き・完>
◆ ◆ あとがき ◆ ◆
いつも「旗本改革男」をお読みいただきありがとうございます。これにて第五章本編を終わりとさせていただきます。
えー、とうとう既婚者となりました。まあ、これで結婚しない選択肢はあり得なかったので、なるべくしてなったわけですが、その幸せなど祝おうとしないかのごとく、混沌の時代が始まります。
これからは暗い話題が増えそうですが、治部がそれをどう解決するか、どう皆を導くか、次章開始までしばしお待ちください。
あと、コメント欄で何人かの方に言われてましたが、"綾"の字を持つ女子が多いのは史実の因縁という設定です。(ただし、本人は史実の藤枝教行の生涯については知らないので、何故そういう目に遭っているか分かってません)
そして次話は、京都に留まると決めた冷泉綾子視点で彼女のその後を描きます。
治部の誘いを蹴った彼女ですが、以前私が言った"落とし所"が明らかになるかと思いますのでお楽しみに。
その後は本章の人物紹介を挟み、いつものように休息期間をいただいてから第六章開始となりますのでよろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます