【他者視点】都のツンデレラ(冷泉綾子)
「はぁ……」
あの方が江戸へお戻りになって一月ばかり経ちますが、どことなく勉学に身が入りません。
「楽しかったな……」
誰も女扱いしてくれなかった私のことを、初めて美しいと言ってくれた
その知識は、私が知るものとは全く別の世界の話。なのに驚くほど分かりやすく丁寧な言葉で教えてくれたことを昨日のように思い返します。
ただ、その出会いは最悪でした。
お世辞ではなく、本気で美しいなどと言われ、そんな言葉をかけられると思わなかった私はどんな顔をしていいか分からず、仏頂面で睨みつけることしか出来なかったのですもの……
それでもあの方は怒ることもなく、宴席で再会したときは話をしたいとお誘いくださり、そこで実は……と話せば、私の為すことを間違いではないと、心からそう言ってくださったのです。
「私って、こんなに未練がましい女だったのね……」
彼の誘いを断り、京の地で己の為すべきことを見出すと言ったはいいものの、どこかで断ったことを後悔している自分がいる。
あんな思わせぶりな和歌を贈るくらいだもの……
「ああもう……だったら一緒に江戸に行けば……」
誘いを受けたのが嬉しくないはずありません。あの人の元でなら、自身がやりたいことが見つかりそうな気がしましたもの。
でも、私がいては足手まといにしかならない。そう思ったのも本心。そのせいで、まるで迷惑な話だと言わんばかりの顔で窘めてしまうこととなってしまいました。
あの方は純粋に私の境遇を考えて誘っただけなのは元より承知。側室なんて考えはお持ちでは無かったでしょう。
でも、私がそういう話なのですかと口に出したのは、心のどこかで自分がそれを求めていたからかもしれません。
それを聞いたあの方は全く頭に無かったようで焦っておりましたが、その割には何故か満更でもなさそうでした。
だったらもう少し押してくれれば……いや、私が素直になれば良かったのよ。
「我ながら不器用この上ないわ……」
「何をさっきからブツブツ言っておるのじゃ」
「お、お兄様。いつからそこに……」
「お主に用があって声をかけようとしたら、何やらうわ言のように独り言を言っておるから様子を覗っておった。……そんなに後悔するくらいなら一緒に江戸へ行けばよかったのに」
お兄様が私を和歌の指南役にしたのは、そういう意図もあってのことだったのでしょう。
女として見向きされずとも、和歌の指南で貸しを作れるし、もし馬が合ってそういう話になれば、行き遅れの妹をどうにかすることが出来る。そんな思惑からか、あの方の誘いを断ったと聞き、お兄様は憚ることなく「勿体ないことを……」と大きなため息をつかれましたものね。
そういうわけで私の胸の内を知る相手に対し、恥ずかしいところを見られてしまったと知って、心なしか棘のある物言いになってしまったのですが、お兄様はそんな私に仕方のない妹だくらいの視線で微笑みかけてくるのです。
……やめて、余計に惨めだわ。
「で、ご用事とは何でしょうか」
「うむ。閑院宮様が其方をお召しである」
「親王様が?」
「正しくは宮様の姫君である孝宮様じゃ」
孝宮様。閑院宮様の第二王女であり、主上の姉君。そして、近々江戸の徳川大納言様に輿入れされる御方だ。
この時期に私を召し出すということは……
「お兄様……」
「おそらく其方が考えていることで合っておる。どうするかは其方次第じゃ」
「参りましょう」
おそらくも何も……そういうことでしょうね。
「宮様にお目通りが叶い、祝着に存じ上げ奉りまする」
「よく参られた」
数日後、私は烏丸丸太町近くにある閑院宮様のお屋敷を訪れていた。
「さて綾子殿、本日の用向きでありますが」
「江戸へ供をせよ。ということでよろしゅうございますか」
「……さすがは才女と名高き冷泉の姫君。その通りです」
宮様付きの女房殿はそう言うが、状況を考えれば言い当てるのにそれほど難しいことではないでしょう。
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何でしょう」
「私をお選びいただいた理由です。女房様には才女と評していただきましたが、殿方たちには鼻持ちならぬ小賢しき女と言われております」
「だからこそ、宮様に付いてきてほしい」
徳川将軍家には代々宮家か摂家の姫が輿入れされており、現将軍の御台所であった倫子女王様は典仁親王様の妹君にあたる。
つまり今回孝宮様が輿入れすれば、二代にわたって閑院宮家から姫を出すということになるのだが、当初これに親王様が難色を示していた。
というのも、江戸と京では暮らし向きが全く違う。京生まれの姫としては、都の作法にて万事進めたいところなれど、徳川に輿入れしたからには武家の作法に従ってもらいたいという大奥の女中たちと幾度も衝突があり、倫子様もかなりの気苦労があったと聞き及ぶからです。
妹に続いて娘まで同じ目に遭わせなければならないのかと思えば、親王様の懸念はもっともな話でしょう。
とはいえ、次代の将軍たる大納言家基殿と年の釣り合う姫が他の宮家や摂家におらず、候補が孝宮様以外にいないためか、幕府もなんとか認めてはもらえないかと何度もお伺いの使者がやって来たという。
「それで話はまとまったのですが、親王様はそれでも不安なようで」
「そこで、主上が信の置ける者を登用し、江戸へ供をさせてはと」
「お上が……」
宮様の話すところによれば、渋る親王様に対し、帝は徳川大納言殿は信に足る者であり、何も問題は無く、それでも不安ならば万全の体制で降嫁を進めましょうと進言されたとか。
「帝は徳川大納言殿にお会いになったことは無いはずですが」
「藤枝治部少輔と申す者が大納言殿の
貴方、かなり凄いことしたわね……
「それでも……江戸の地において、宮様に寄り添ってお味方となる者の数は多くありません」
女房殿の言うことはその通りだろう。大納言様が宮様を大事に扱ったとしても、普段の生活は大奥の女中たちが担っている。
人が集団で固まったときの妬み嫉みは厄介だからなあ……
「つまり、宮様に害が及ばないよう、私がそれを一切合切引き受けよということですね」
「それもありますがもう一つ。主上から困りごとがあれば治部少輔殿を頼れとのお言葉を賜っております」
いやいやいや、どれだけ帝に信頼されてんのさ……人たらしにも程があるわよ。
「聞けば、綾子殿は治部少輔殿が京におられる間、かなり親しくされていたようですね」
「はい。色々と学を授けていただきました」
「故にその連絡役のほか、幕閣の男たちとの応対を任せたいということです」
なるほど。彼と面識があり、かつ、江戸の者たちに軽んじられないように、大柄で小賢しくて一筋縄ではいかないと感じさせる私を登用しようということか。
「如何であろう」
「聞くまでもない話とは存じますが、二度と京に足を踏み入れることのないお役目でございますわね」
江戸城の大奥というところは、一度入れば生家に戻ることの叶わぬ場所。下働きの者ならば宿下がりが認められることもあるそうですが、京から付き従う者にそれは認められません。
つまりこれを受ければ最後、江戸に骨を埋める覚悟を持って向かわなくてはいけないのです。
「ええ、その通りです。良き返事をいただきたいとは思いますが、自身のこれからに関する大事ですから熟慮なされませ」
「綾子、そう聞くということは、誰ぞ好いた殿御でもおられたのかしら」
「ええ……まあ……」
好いた殿御か……いるにはいるのよね。
だから、この話を受ければすぐ近くまで行くことは出来る。
でもなあ……近くまで行けるだけで、立場を考えればそれ以上先へ進むことは叶わない。
いや、それでも……自分がこの国のため、皆のために何が出来るか。ですわよね。
「委細承知いたしました。そのお話、謹んでお受けいたします」
「綾子、よいのか?」
「宮様のたっての頼みとあらば、この綾子、粉骨砕身にてお仕えいたします」
「頼もしいわ。よろしゅうに」
いやあ、まさかこんな形で江戸に行くとは。そして、あの人に会うことになるとは……
とは言うものの、偉そうに今生の別れとか言っちゃったのよね。どんな顔して会えばよいのやら……
あの方のことだから、絶対に「今生の別れと言われたような……?」みたいなことを言いそうだもの。
いやいやいや、これは仕方がないのよ。まさか私が宮様付きになって江戸に下るなんて考えもしなかったんだから。
別に……貴方に会いたいから江戸に行くわけじゃないんだからね!
◆ ◆ あとがき ◆ ◆
これが私の考えた落とし所です。
ええ……側室にしないの? というご意見もあるかと思いますが、本作は色々なことを変えていこう、改革していこうというのが物語の柱でして、その中で"大奥"というのは、
それで大奥がどう変わるのか、もしかしたら綾子は敵に回るのか。そのあたりは後の話を楽しみにお待ちいただければと思います。
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