士、別れて三日なれば

〈前書き〉


少々シモのお話が入ってますのでご了承あれ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


――安永十(1781)年三月 江戸


 四ヶ月近くに及ぶ京都滞在を終え、ようやく江戸に戻ってきた。


「おかえりなさいませ。大役ご苦労さまでございます」

「留守の間は何事も無かったか」

「はい。私がしっかり守っておりましたので」


 屋敷に戻れば、留守を預かっていた種が満面の笑みで出迎え、ああ、ようやく帰ってきたなと実感した。


 そして、京で買い求めた土産などを皆に配りながら、大荷物を片付けようとしていたところで事件は起こった。




「あの……旦那様、この歌はなんでございますか?」


 種が荷造りを解くのを手伝っていると、包みに収められていた綾子殿の和歌を見つけたらしく、これは何かと聞いてきた。


 なので、京でお世話になった方から贈られた歌だと答えた瞬間、何やら嫌な気配を感じた。


「お世話になった方……贈られたのは女子でございますか」

「うむ。冷泉家の姫君だ。歌会に出るから和歌の指南をと、近衛の内府様が」

「拝見しても」

「構わぬぞ」


 その気配の正体はもちろん種。相手が女子だと知って不穏なものを感じたのかもしれないが、何一つ疚しい……ことは……ない……多分……


 だが、俺のそんな期待も空しく、歌を読んでいくうちに種の目が見る見るうちに険しいものとなっていった。


「旦那様、この綾子あやこという方とはどういったご関係で?」

「えーと……"あやこ"ではなく"りょうこ"殿と……」

「どちらでもよろしいです。本当に和歌をご指南いただいただけで?」


 うーん、これは確実に疑ってますね……


「疚しいことは何も無い」

「旦那様、疚しいことの有る無しではなく、和歌をご指南いただいただけの関係なのかとお伺いしているのです」


 確実に疑っている。それは間違いないが、ただ、なんとなく雰囲気がいつもと違う。


 例のごとく闇が発動しているのは感じるが、以前ならば、!!!!! みたいな感じでいきり立ち、捲し立てた話し方をするであろうに、今日は意外なほど冷静だ。


 しかも俺が言葉を濁したのを的確に論破してきた……


「沈黙は認めたものとみなしますよ」

「その……綾子殿は学問に熱心でな、和歌の手ほどきを受けてから、蘭学やら何やら、色々と話をする機会があって……」

「そんなことだろうと思いました」

「だが、何も疚しいことは無いぞ」

「本当に鈍い御方……これは指導が必要ですわね」


 ……拷問しどうってことか?


「明日、共に田安のお屋敷にご同道いただきます」


 ……ええと、田安家総出でやりますねってことか? 俺はタピオカ屋じゃねえぞ。




「で、余に説教せよと?」


 翌日、種に引き摺られるように田安邸に連行されると、治察様や因子様の前で申し開きすることになった。


「治部、手を出してしまったのか」

「まさか。たしかに冷泉家の姫君には世話になりましたので、代わりに蘭学などを少々教授しましたが、疚しきことなど」

「では種、何をもって治部が悪さをしたと申すのだ」

「この歌をお読みください」


 種が例の短冊を差し出すと、治察様がそれを徐ろに読み始めた。


「ふむ、『東の瀬 越えしその身が 抱き持つ 種が芽吹くを ただ希う』か。別におかしな歌ではあるまい」


 治察様の解釈では、


――これから新しいことを始めるため、貴方が蒔くであろう種がしっかりと芽吹き、良き実花を付けることを祈っております。頑張ってください。


 という見解だ。俺もそう解釈したればこそ、何も後ろめたいことはない。そういう解釈だと言い張れば……ね。


「お兄様は有職故実にお詳しいのに、そのような上っ面の解釈しか出来ぬとは……よもや旦那様を庇うつもりですか」

「ほう、では種はどう読み解くと申すか」

「東の瀬を越えしその身。これが旦那様のことを指すのは間違いありませんが、その後が違います」


 種の見解では、"抱き持つ種"とは、まさにそのもの自身のことを指しているという。


 あ……やっぱりそっちで読むのね……


「お主が芽吹くとは?」

「旦那様の持つ種が芽吹くとは、即ち私たちが晴れて夫婦になる。もしくは私が懐妊するといった意味でしょう」

「其方らの夫婦円満を願っておるのでは?」

「ああもう……そうではありません」


 芽吹く、つまり俺たちが夫婦となるなり子供を授かった暁には、"恋"が叶うと"願っている"という意味だと、プリプリしながら種が答えた。


「誰の恋が叶うと?」

「この綾子と申す女子にございます。婚儀を済ませるなり子を成してもらえれば、私が側室に行っても問題ありませんよね。という意味にしか思えません」


 いやいやいや……曲解が過ぎるでしょ。まあそう読めなくもないけど、綾子殿はそれを断ったわけで……


「穿ち過ぎじゃ」

「お兄様は甘いですわ。和歌の手ほどきを受けたとあらば、それなりに親しくさせていただいた方なのでしょう。別れ際に歌を贈られるくらいには」

「いや、何も無いから」

「旦那様はそうでも、あちらはそう思っておりませんよ」


 曰く、俺が意識しているかいないかに関わらず、あちらは確実にそれを意識していると。でなければ、このような歌を贈ることなどしないだろうと。


「そうでなければ、わざわざ東の瀬なんて匂わせた書き方はしますまい」


 東の瀬を素直に解釈すれば、都の東を流れる鴨川のことであり、それを越えていったというのは、江戸へ帰る俺のことを意味していると思うのだが、種の解釈ではこの"瀬"とは"背"、古代の和歌において夫とか恋人を意味する言葉にかかっており、東国にいる私の愛しい人という匂わせであると断じた。


「都の姫君にはお気をつけくださいと、あれほど申しましたのに……」

「それで、種はどうしたいのだ」

「有り体に申さば、お兄様には早う祝言の準備を整えていただきたく」




 えーと……何をどう解釈したらそれが祝言を挙げる運びになるのだ?


「側室に入りたいけど正室が先だから。というのであれば、私と祝言を挙げればいつでも受け入れることが出来ましょう」

「……どうした? なんぞ悪いものでも食したか?」

「私は別に食あたりで錯乱したわけではありません。側室の一人や二人抱えたところでどうってことありませんから、受けて立ちましょうと申し上げたいのです」

「ふふ……治部殿、種も大人になったということですよ」


 努めて冷静に話す種の言葉に薄ら寒さを感じていると、因子様が笑いながら事情を話してくれた。


 その言葉によれば、俺が江戸を離れていた数ヶ月の間、種は義母の宝蓮院様や因子様に師事し、正室の何たるかということを学んでいたという。


「たしかに昔の種ならば、治部殿のことを思慕し過ぎて狂い倒していたやもしれませぬ」

「お義姉様、そのような……」

「そう言い切れますか?」

「……いいえ」

「ですが、それは過去の話。今の種は正室とは家の安寧を考える身になるということを良く承知しております。治部殿のことを大事と思えばこそ、己の役目を全うせねばと学んだのです」




 何故そんな話になったかというと、実は治察様も側室を迎えることが決まりそうなのだ。


 というのもこの時代の大奥では、三十路になると「お褥御免」といって、夜のお供を辞退する習わしがあって、これは御三卿の正室たる御簾中もそれに倣う形となる。


 唯一、正月二日の夜に行われる姫始めの儀式だけは正室しかお相手をすることが許されないため、三十路を越えていても一夜を共にするという事例はあるが、それ以外で褥を共にすると、いい年してお盛んねと嘲笑の対象となってしまうのだ。


 そして因子様も今年で二十八歳だから、そろそろお役御免が近づいているのだ。


 なんとなくだけど、未来で「若い女のほうがいい」とか、「三十超えたら行き遅れ」なんてバリバリセクハラ発言がまかり通っていたのは、三十歳でお褥御免というのが影響していたんじゃないかと、この時代を生きていると思えてくる。あくまで個人的な見解で確証は無いけど、勿体無いよな。


 三十路になったら性行為はしないなんて、もったいないお化けが出てくるくらい勿体無い。そのくらいの年齢からが一番心と体の成熟の釣り合いが取れて……ゲフンゲフン。


 ……少々話が逸れたが、実際に身内でそういう事例が現実となるのを見て、種も思うところがあったようだ。


「失礼な物言いだが、種も変わったのだな」

「旦那様、『士別れて三日なれば』と申しますのよ」




 ああ、三国志のやつな。武一辺倒で"呉下ごか阿蒙あもう"、訳すと「ちょっとおバカな蒙ちゃん」と嘲笑されていた呂蒙りょもうの話だ。


 それを見かねた主君の孫権そんけんに、「少しは勉強しろ」と諭され、猛勉強の末に人並み以上の教養を身につけたのを知り、魯粛ろしゅくという重臣が驚いて、もう呉下の阿蒙なんて呼べないなと言うと、「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」と答えたという。


 これも訳すと「人なんざ三日もありゃあ変わることが出来んだから、前と同じと思わんで目ん玉見開いてよく確かめろやコノヤロー」という苦言というか皮肉だな。


 これは士、つまり男子と訳されることもあるが、女子だって同じだわな。成長しているのは俺だけではないということだ。


 昔、種は俺の膝の上で三国志演義を聞いていたから、それを覚えていたのだろう。


「旦那様がこれと認めた方ならば、私は側室にお迎えなされても構いませんのよ」

「とは申せ、すぐに祝言とは……」

「そろそろよいのではないか」

「大府卿様、どういうことでごさいますか?」




 治察様が言うには、種が藤枝家に入って五年近く経つ。


 表向きは療養のためであったが、元々建前の話であり、既に藤枝の嫁という周囲の認識が覆ろうはずもなく、後は正式に祝言を挙げるかどうかだけなのだ。


 そして、今がその機だというのだ。


「機は熟したと?」

「左様。上様や大納言様の覚え目出度く、しかも帝に名を覚えられた旗本など他にそうはおるまい」

「どうしてそれを……」

「近衛の内府様から文が届いておるわ」


 既に知られていたか……


「なんでも、京や近江、美濃あたりでは甘藷を安十芋と……」

「それは触れないでいただきたく……」


 それもか。こりゃ家基様も知ってる流れだな……


「そういうわけでな、幕府としてもお主をぞんざいに扱うわけにはいかんのよ。大納言様もそろそろではないかと仰せだ」

「では……」

「年内には祝言を挙げる。これは上意でもある」

「ははっ」


 とうとう年貢の納め時だ〜。


◆ ◆ あとがき ◆ ◆


次回、第五章最終話です。

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