無自覚スケコマシ

「ようこそ参られた」

「お誘い、かたじけのうございます」


 和歌の指南を受けてからしばらく後、俺は冷泉家のお屋敷にお邪魔することとなった。


「歌会も恙なく済まされたようですな」

「ご指南のおかげにございます」


 綾子殿の教えの甲斐もあって、招かれた歌会では何とか恥をかかずに済むくらいには立ち回れたかと思う。


 ただ……あれ以来、彼女の機嫌が急に悪くなった理由は全く分かっていない。


 なんぞ地雷を踏んでしまったのだろうとは思うのだが、その話に触れようとすると、「もうお気になさらなくて結構です」と取り付く島もなかった。一応最後まで指南はしてくれたけど、休憩前とは打って変わって中々に辛口のご指導でございましたよ。


 で、そのままお開きとなってから会うこともなく、変な誤解をされたままで何となく引っ掛かりを覚えていたのだが、かと言ってその理由を聞くためだけに先方へ押し掛けるというのも変な話なので、お礼かたがた冷泉家にお伺いしたいという打診をしたところ、為章殿から酒宴にお誘いいただいたのだ。


 ちゃんと話す時間が取れればよいのだけれども……




「さあさあ治部殿、もう一献」


 しかし、宴が始まると公家衆が入れ替わり立ち替わりで俺と話をしようと現れるので、綾子殿に接触する機会が来ない。


 もっとも、それ以前に彼女は家の者として来客たちの応対に忙しそうで、それどころではなさそうだが……


「都の暮らしは如何でありますかな」

「江戸とは何もかもが違う暮らしにございますが、准后様内府様をはじめ皆様に良くしていただいておりますので」

「しかし長らく一人寝では寂しゅうございましょう」


 他愛もない話から学問のことまで、色々な話を交わしていると、とある公家から婉曲ながらも直球どストレートな問いが投げ込まれた。要はシモがお寂しいなら用意しまっせ。ということだな。


「いえいえ、江戸に戻れば直ぐに祝言を挙げる身にござれば、あまり浮ついたことは出来ませぬよ」


 と、やんわりはぐらかしたそのとき、綾子殿と一瞬目が合った。


 ……のだが、合ったと思った瞬間にスッと目を逸らされた。


 やっぱ嫌われたのかな?




「おや、冷泉殿の姫君が気になるのかな?」


 すると、俺が綾子殿に視線を向けていたのを目ざとく見つけたご老体がからかうように声をかけてきた。


「いえ、たまたま目が合っただけにて」

「いやいや、治部殿はまだまだお若いのだからそれくらいで結構。冷泉の姫は今おいくつだったかのう」

「たしか、今年で二十か二十一だったかと」

「おお、ならば治部殿と年も釣り合うのう」

「おやめなされ。あの者を勧めるなど、貴殿の目が腐ったと言われまするぞ」


 ご老体がそうかそうかと勝手に納得していると、隣にいた壮年の公家が嫌らしそうな顔で苦言を呈した。


「何か問題でも」

「いやまあ、あのような大柄の身では、女として見れますまいて」


 たしかに綾子殿は背が高い。測ったわけではなく俺との対比でしかないが、おそらく五尺七寸、メートル法なら170cmくらいはあるだろう。


 令和の世ならばそれほど珍しくもないが、中学生や高校生ならば間違いなく籠球部や排球部からスカウトが来るくらいには高い。


 まして未来より平均身長がさらに低いのだから、余計に大きく見えてしまうのだと思う。




 乳幼児の死亡率が高いこの時代、女性に求められるのは子供をたくさん産める健康な身体である。


 なのであまりにも体格が小さすぎると、それはそれで困りものなのだが、そもそもの基準が未来と違うので、現実的には「小学生かよ!」くらいの背丈の奥方様も沢山いる。


 そんな中で、自身よりはるかに背の高い女子を娶るというのは中々に覚悟の要る話だ。


 なにしろ男のプライドが山よりも高い世の中だ。妻に見下ろされることを屈辱と感じる者は少なくない。


 このお公家様の話を聞くに、故に綾子殿を婚姻相手として見ようとする公家衆などいないといったところか。


 男の俺ですら影で「大天狗」だのなんだのと、人外の化け物扱いする者がいるのだ。そこには蘭学の大家などど持て囃されて調子に乗ってる的なニュアンスも含まれているのだろうけど、それが女子ともなれば、嘲笑の的とか見世物的な扱いを受けるのは想像に堅くない。




「治部殿もそう思われませぬか」

「そうですかね。私には凛々しい御姿に映りますが」


 たが、仮に彼女をお勧め出来ない理由が背丈にあるのならば、俺は別に何も気にしないんだよな。


 前世でそれくらいの身長の女性は沢山見てきたから違和感は無いし、なにより綾子殿は背筋がスッとして凛とした立ち姿だ。


 未来でも背の高い女性はそれをコンプレックスに思って猫背になりがちみたいな話を聞く。


 綾子殿も確実に自身の評価が耳に入っているはず。にもかかわらず、彼女からはそんな雰囲気は微塵も感じず、堂々としたその姿勢がカッコいいと思える。


 まあ……カワイイじゃなくてカッコいいなんだけど、素敵な女性であることに変わりはない。


「いやいや治部殿、だからなのじゃ。あの者は小賢しらゆえ、余計に男受けせんのじゃ」




 曰く、綾子殿は家業の和歌のみならず、儒学や国学、その他の学問、果ては武芸にも通じており、更には弁も立つということから、男たちから煙たがられているらしい。


 たしかに"女だてらに"なんて言われ方をするくらいで、実学なんて女の学ぶものではないし、それで男と競おうなんて分不相応とむしろ蔑まれる時代だからな。


「綾子殿はそれで知識をひけらかすようなことをされておるのですか?」

「いや、そこまでではないが、女子が学ぶようなものではないものを習うだけで似たようなものじゃ」


 古くは平安の頃、紫式部が清少納言のことを、『あの人は文章に漢字をよく使っているけど、よく読むと結構間違いが多いのよね。「私、賢い女なの」と誇示したいんだろうけど、むしろカッコ悪くて草生える(意訳)』と評したように、同性からも評判が悪い。


 古典で知る限り、清少納言の場合は自己顕示欲の塊みたいなところもあるので余計にそう思われた節はありそうだけど、他人にひけらかすマネをしていなくても、悪しざまに言われてしまうのだな。


「あのような女子、相手にするだけでくたびれるわ」

「そうでございますな。女子など愛嬌があって側でニコニコしておればよいのじゃ」

「然り。余計な知恵など要らぬわ。顔は少々よろしいが、全部台無しじゃ」

「お公家様はそうなのですね。私などは学問の話が出来る相手の方が有難いのですが」


 最初に綾子殿を貶した者に続き、周囲の若い公家衆もそれに乗ってきたのを見て、ちょっとムカッとしてきた。


 なんで勉強が出来るだけでそんなに非難されるのかとね。


「先日綾子殿に和歌の手ほどきを受けましてな。その知識もさることながら、教え方も非常にお上手であられた。私も新しき実学を多く学び取り、後進に教授する身でございますれば、女子と申せその勉学の姿勢、深く感銘を受けたところです」

「お、おお、そういう見方もございまするな……」

「公卿の皆様におかれては、男女の別なく学びの機会を設けておられると感心いたしたのですが、違うのでございますか?」

「いや、まあまあ……」

「皆様お話が盛り上がっておられますね」


 俺が公卿たちに対しちょっと圧をかけた言い方で問いかけると、彼らは一同に口ごもり、微妙な空気になったところへ綾子殿が顔を見せたので、更に空気がおかしくなってきた。


「あら、如何なされましたので?」

「綾子殿が学問に通じておられるという話をしておりました。ですな皆様方」

「さ、左様左様。おお……いかんいかん、他にもご挨拶をせねば。麿はこれにて失礼いたす」


 余計なことを言われては敵わんと思ったのか、彼女を誹謗していた男たちが蜘蛛の子を散らすように席を外していった。




「で、何を話しておられたので」

「その顔は知ってて聞いてますな」

「無駄に図体ばかり大きくて、余計な知恵ばかり付けた可愛げの欠片も無い女。でございましょう?」


 自身に対する周囲の評価を十分に理解しているというのに、綾子殿は随分と落ち着き払っている。


「あのような酷い言われようをされて悔しくはないのですか」

「あれが世人の私に対する評価なんです。とうに承知の上で生きておりますれば、今更にございます」


 そうは言うものの、一瞬だけ見せた悲しげな表情を見て、あの日、綾子殿の機嫌が悪くなった理由がなんとなく分かったかもしれない。


 おそらくだけど、この娘は自己評価が低いのだ。それは学問の面ではなく、女としての自身の価値という点においてだ。


 好きなことをやる代わりに、男たちから異性として評価されない。それを自身でよく分かっているから、俺が美人と持ち上げたのを過剰なお世辞だと受け取ったのだろう。


「ですから、治部少輔様も無理に庇い立てなさらずとも……」

「庇ったつもりはありません。己が美しいと評した女子が悪しざまに言われておるのに、少々腹が立っただけです」

「またそういうことを……」

「綾子殿、一献くれまいか。その良さを分からぬ者に酌をする必要などありません。よろしければしばし貴女が学んだ学問の話を聞かせてはくれませぬか」

「……ええ、喜んで」


 そう言うと、綾子殿の顔が少しほころんだ。


 憂い顔もそれはそれで絵になるが、やはり笑ってくれた方が素敵だね。



◆ ◆ あとがき ◆ ◆


種の折檻が怖い展開になりかけてますが、落とし所は考えてますので、次回以降をお楽しみに。

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