治部少輔、帝に情勢を説く
――安永十(1781)年正月
「お上のお成りにございまする」
もしもし。私、治部少輔さん。今清涼殿の中庭で平伏してるの。……って、現実逃避したいくらいに緊張している。
しかし摂政様も人が悪い。帝が俺に興味を示していると知りつつ煽ったのだからな。先にそれを言えば、公卿たちもあんな態度は取らないだろうから、敢えて黙っていたのだろう。
なんでわざわざそんなことをしたのかと言うと、摂政様が九条家の家督を継ぐ際のいざこざが根底にある。
尚実卿は若い頃僧籍に入っていたものの、当主である兄の子が後嗣無く没したことで、急遽還俗して家督を継いだのだが、有職故実を知らない者が摂家の当主になるのは如何なものかという声が多く、家督を継ぐにあたり、将来摂関に就くことと自身の系譜が九条家を継ぐことを認めないことを相続の条件に付されたらしい。
もっともその件に関しては、相続に特別な条件を付けるべきではないという幕府からの意見によって撤回されたらしいが、そんなわけで当時の関白だった一条家をはじめ、反対の声を上げた公家たちに思うところが少なくないのだと思う。
そのあたりを総合すると、幕臣である俺にいちゃもんを付けさせるよう泳がせ、タイミングを見て「お前ら自分が何してんのか分かってんの?」とネタばらしすることで、目障りな公卿たちに赤っ恥をかかせつつ、自身を後押ししてくれた幕府に対する配慮も欠かしてませんよと見せることが出来る。
上手いこと利用された感がすごいんだが、内府様の話によれば、俺がこうやって帝に拝謁することが出来たのは、摂政様がそれとなく促したからだとのことだ。俺をダシにした見返りということかもしれない。
「藤枝治部少輔、面を上げよ」
「ははっ」
声に促されて顔を上げれば、清涼殿の南面には殿上人と呼ばれる公卿たちが各自の持ち場に座り、その奥に垂れ下がる御簾の中に人影が見える。それは考えるまでもなく帝であろう。
今上帝は年が明けて十一歳になったばかりの少年。ということは知っているが、残念ながら顔は見えない。
「参内、大儀である」
「勿体ないお言葉にございます」
そしてその言葉も側仕えが代弁して俺に伝えるので、当然声も分からない。
……と思ったら、なんだか様子がおかしい。帝の話を聞いた後、「え? え?」みたいな感じで側仕えが戸惑っているように見える。
するとやおら立ち上がって公卿たちの元に向かうと、こちらに聞こえぬよう何やらゴチャゴチャ話し込んでいる。
「それはさすがに……」
「いやしかし、お上の御
「摂政様、如何致しまするか……」
「
困り顔の公卿たちがああでもないこうでもないと議論する中、判断を仰がれた摂政様がそれを断ち切るようにピシャリと言い切ると、一同に静寂が訪れた。
……何があった?
「治部少輔」
「はっ」
「帝が其方と直接お言葉を交わされたいとのこと。もそっと近う寄れと仰せじゃ」
え……上がっていいの?
「早ういたせ。帝をお待たせするなどもってのほか」
「は……ははっ」
なんとなく納得していないような顔の公卿も何人かいるが、摂政様は帝の補佐役。その方が言う以上は文句も言えないようだ。
となれば……上がるしかないわな。
「御簾を上げよ」
「ははっ」
「会いたかったぞ、治部少輔」
「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
そのご尊顔は、お世辞でもなんでもなく美少年。それこそショタものの薄い本でお姉さんが色々教えてあげたくなっちゃいそうな感じだ。(不敬)
「其方が献じてくれた餡八橋。真に美味であったぞ」
「お喜びいただけたようで何よりでございます」
こちらの気持ちの持ちようかもしれないが、その言葉はなんとなく重みを感じる。純粋に子供がお菓子をもらってありがとうと言うのとはわけが違うな。
「聞けば色々と新たな食べ物を考案しているとか。その話を聞かせてくれぬか」
「されば主上、本日は変わり種の餡八橋をご用意しておりますれば、それを召しながらゆるりと」
待ってましたとばかりに内府様が声をかけると、帝が少年らしい笑みをもってこれに応じた。
「内府、変わり種とは?」
「はい。主上がいたくお喜びと聞き、治部少輔が新たなる味を用意いたしました」
「おおそうか、ならば早う持って参れ」
その声を受け、配膳係が恭しく帝と公卿たちの元へ運び込むと、一同が不思議そうな顔で八ツ橋を見つめている。
「この色は……?」
「何やら粉がかかっておりまするが、これは……抹茶?」
「お目が高い。仰せの通り抹茶を練り込んで蒸した生地で餡を包んでおります」
未来では抹茶スイーツなんてジャンルが存在するが、江戸時代にはまだ存在しない。
普通に考えたらこの時代の菓子は基本的にお茶請けなわけで、お茶を飲むのに抹茶味の菓子というのも変な話だから誰も考えなかったのだろうか。
唯一、かき氷に砂糖と抹茶をかけ小豆餡を乗せた、所謂"宇治金時"は存在するけれど、これはお茶請けの菓子じゃないし、そもそもかき氷なんて贅沢中の贅沢で一般的ではないから、例外と言うべきだろう。
「ふむ……茶を飲みながら茶の味がする菓子とは、何やら奇妙な組み合わせかと思いましたが、案外悪くありませんな」
「そうですな。茶の渋みが餡の甘さを一層引き立てておるように感じまする」
最初は奇妙な取り合わせと訝しがっていた公卿たちも、口々に悪くないと言っている。ここで言う悪くないは良いと同義だと思っていいだろう。
「続いては変わり種の餡でご賞味ください」
皆が抹茶八ツ橋を堪能すると、内府様の声がかりで次なる品が運び込まれる。
「今度は中の餡が少々違いますな……ふむ、この黄色い餡、小豆餡とは味も食感も異なれど、中々に甘いですな」
「治部、これは何じゃ」
「甘藷を用いました餡にございます」
「甘藷……とは?」
「持って参れ」
帝の問いに対し、摂政様が現物を持ってくるよう命じられると、一同が興味深そうに眺めている。
「これは……?」
「芋の一種でございます」
「芋が斯様に甘いのか?」
この時代、日本で芋と言えば里芋のことを指し、芋類に範囲を広げても自然薯、山芋にクワイなど、甘みの多い食材ではない。
甘藷については、かなり栽培地も増えてきたが、それでも比較的最近の話であり、救荒食としての側面も強いから、帝に供するには至っていないのかもしれない。であれば、帝が甘さに驚いたのも無理はない話だ。
「甘藷は異国より海を渡って伝来した作物にて、痩せた土地でも育てやすく、滋養に富んでおります。煮る、焼くなど様々な料理の手段があり、使い勝手のよいものでございます」
「異国の作物とは……如何にして手に入れたのだ?」
「かつて、我が国に渡来せし異国の船から伝わったものにございます」
「……我が国に異国の船が渡来しておるのか?」
「……? はい、肥前長崎の港に。かつてはポルトガルやイスパニア、今はそれに代わってオランダの交易船が来ております」
「そのような話、朕は聞いたことがない」
どうにも話が噛み合わないように思えたが、話を聞いてみれば帝は西洋の船がこの国に寄港している実態を知らなかったらしい。それこそ二百年以上前、ポルトガル船が漂着して以降、数多の外国船が渡来しているという事実があるにもかかわらずだ。
"
しかし、実際に政務に就くわけではないから、実学よりは有職故実や和歌などの、未来人がイメージするやんごとなき貴族の学びというものに特化した教育が中心なのだろう。元々皇太子として育てられたわけでもなく、即位から日も浅い帝が知らないのも無理はないかもしれない。
「異国の者を我が国に招き入れて大丈夫なのか?」
未知の存在は分からないからこそ怖いものだ。治天の君とはいえ、まだまだ少年の身には恐ろしいものに映っているようで、その声はかなりの懸念を示すものであった。
「言葉は違えど彼らも同じ人にございます。決して物の怪の類に非ず。それに、交易は幕府の厳重な管理の下で行われておりますれば、ご
もしかしたら、今俺がこのことを話すのは、幕府の朝廷対策にそぐわない可能性もあるが、異国船がバンバン来航してくる未来はそう遠くないわけで、ここで黙っていてもいずれは実際に事が起こり、その不安が現実のものとなる日は近い。
となれば、今のうちにしっかりとした認識を持ってもらい、いざというときに報告を受けてもアタフタせずに応じてもらえるよう、多少突っ込んだ話をするのも悪くないだろうと思い、俺はこの国を取り巻く環境を説明することにした。
「我が国は四方を海に囲まれた国にて、異国船が渡来しようと思えばどこにでも現れる可能性がございます。来てしまうものを防ぐ手立てはごさいませぬゆえ、これらに過たず応ずる術を持たねばなりません」
「敵を知り己を知れば、ということか」
「御意にございます」
同じことを家基様に話したときは、小姓たちにわーわー言われたから、今回もそうなるかと思いきや、帝は俺の言葉に冷静に耳を傾け、孫子の格言をもって示すように、何を言わんとしているのか理解しておられるようだ。
……何気に優秀じゃね?(不敬その弐)
「我が国を取り巻く状況については幕府もよく承知しており、某は徳川大納言の命により、他国の情勢やその文化風習、言語などを詳らかにする役目を仰せつかっておりまする。蘭学はそのために学んでいると言っても過言ではありません」
「事あらばすぐに応じられるようにか」
「御意にございます。故に帝におかれましては、心安らかにお過ごしいただけるものと心得ております」
◆ ◆ あとがき ◆ ◆
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