星はいい

「わざわざのお越し、歓迎いたします」

「こちらこそ、高名な麻田先生にお目にかかれて光栄です」


 近江屋で薬の未来について語った後、俺は船場の中ほどにある本町に居を構える天文学者、麻田剛立あさだ ごうりゅう殿の家を訪ねていた。


 麻田殿は、元は豊後杵築きつき藩の生まれで、幼い頃から天体観測に興味を持っていたそうだ。


 長じて医学を修め藩医として務めながら、独学で太陽や月の運行を観測し、宝暦十三(1763)年、当時の暦に記載のない日食を予言しその名を上げるなどしたこともあってか、天文学への思いが高じ過ぎてついには脱藩し、大坂に移り住んでからは麻田剛立と名を変えて、医業のかたわら天体観測に力を入れている方だ。


 宝暦十三年というと、俺が青木昆陽先生に師事するかしないかくらいの話だね。




「藤枝殿は江戸でも有数の蘭学者とお伺いしたが、天文に関しては如何でござろうか」

「専門ではござらぬが、長崎でカピタンから幾ばくか教えを受けております」

「それは有難い。我らも西洋の天文学を取り入れようとしておりますれば、是非その知見をお伺いしたい」


 これに関しては嘘ではない。元々文系人間なので医学とかを学ぶのは苦労したが、学生時代に唯一理系科目で苦手ではなかったのが地学だった。


 子供の頃から星を見るときは、なんとなくワクワクしたもので、地学の授業でもそのあたりは比較的真面目に聞いていた。おかげでなんとなく覚えていたという程度ではあるが、うろ覚えの知識でもこの時代では大きなアドバンテージがある。なのでカピタンの話も意外と理解できたのよ。


「では早速ですが、藤枝殿は地球が太陽の周りを回っているという理について、如何お考えでしょうか」


 そう。何故かと言えば、この時代の日本はようやく地動説の考え方が広く知れ渡り始めた頃だからだ。俺は普通に惑星と言ったのだが、その言葉もまだ生まれてはいない。




 太陽系は地球などの惑星が太陽の周りを一定周期で周回し、さらには惑星も衛星と呼ばれる天体がその周囲を回る。未来では誰もが知っており、疑いようのない事実だ。


 しかし、かつての人類は天動説、つまり地球を全ての中心として、太陽をはじめとする星々がその周りを回っているというのが通説であった。


 もっとも、当時は自分たちの暮らす大地が球体なんてことも知らないから、お日様が登って沈んでとか、星が規則的に動いているのを見れば、自分ではなく周りが動いていると思うのは仕方ないことだったろうな。


 とはいえ、かなり昔から少数ながらも地動説に近い説を論じる学者もいたらしい。


 しかし、仮に自分たちの大地が動いていたとした場合に起こる様々な疑問を解決する論拠に乏しかったことから、長らく天動説が支持されており、それが変わるのは、コペルニクスの登場まで待たねばならなかった。


 彼が唱えた太陽中心説、所謂地動説は当初誰にも信じられることはなかったが、後にガリレオの慣性の法則、そしてニュートンの万有引力の法則が発見されるに至り、これが地球が回っているとした場合に生じる疑問の解となったことで、ヨーロッパでは既に地動説が正解と認識されている。


 一方で我が日本にそれが伝わってきたのは、つい最近のことだ。


 万有引力の法則が百年近く前の話のはずなんだけど、知る範囲で地動説が地動説として初めて日本で紹介されたのが数年前。長崎留学でお世話になった通詞の本木仁太夫殿が訳した『天地二球用法』という書物で、コペルニクスの太陽中心説を紹介したのが初めてかと思う。


「専門ではございませぬゆえ、あまり軽々に申すことも出来ませぬが、おそらくは間違いない説でございましょう」

「やはりそうでしたか。実際に観測した記録と漢書に記された理論にいささかの食い違いがございますれば」


  この時代、西洋天文学の知識は、『崇禎暦書すうていれきしょ』や『天経或問てんけいわくもん』、『暦象考成れきしょうこうせい』など、中国で記された天文学や暦学の書籍から学ぶことがほとんどなのだが、これらに記載される星の動きは、前時代的な天動説を基にした解説が主になっている。


 一部では、そこから一歩踏み込んだティコ・ブラーエの説を紹介している節もあるが、完全なる地動説については全く触れられていないと言っていい。


 一方で麻田殿は、オランダから輸入した高性能な望遠鏡を用いて天体観測を行っており、二年前には月面の観測図を記しているほど精緻な記録を収集しており、理論と実態に乖離があることを肌で感じているようだ。




 もっとも、これに関しては致し方ないところもある。


 この時代、暦を正確に作ることは権力者の大きな役目である。しかし為政者からすれば、天動説であろうが地動説であろうが、星の運きや日食・月食の予測が正確に出来れば問題とはならなかったということにあるのではないかと思う。


 一説には、中国に西洋天文学を伝えたのがイエズス会の宣教師だから、カトリックの教義に反する地動説は受け入れられないということで、敢えて地動説に触れなかったなんて話も聞いたことがあるが、これは正確ではないだろう。


 たしかガリレオが、「それでも回っている」とかなんとか言った話が有名になりすぎて、カトリック=地動説否定派みたいなイメージがあるけど、実際はガリレオ(とその支持者)対カトリック教会(とその支持者)による、宗教的・政治的な対立で異端審問にかけられただけで、教会も地動説は認めていたなんて話も聞くからね。


 アジア諸国にとって一番必要なことは、暦を作るための知識と技術。故に宣教師たちも彼らが必要とするものを授けることに重きを置き、無理に新説を落とし込む必要はないと判断した可能性もありそうだ。


 例えばだが、『天経或問』では地動説こそ触れていないが、地球球体説は記されているし、今から七十年近く前に刊行された『和漢三才図会わかんさんさいずえ』という書物でも「地球」という言葉が載っているので、地動説はともかくとして、地球が丸いというのはこの時代の知識人でも共通の認識なのだが、これに強く反発する存在があった。仏教界である。


 この時代の仏教では「この世界の中心には須弥山しゅみせんという高い山がある」という説が昔から唱えられており、地球球体説には強い抵抗があって、日本でも多くの僧侶によって、これを否定する論文や書籍が刊行されていたりする。


 ただでさえ寺社仏閣の発言力が強い時代だから、地動説による急激な常識の転換、それこそコペルニクス的転回と言うべきものが発生すると、政教入り交じった大論争になることだろう。


 あくまで個人的な推論なんで正解がどこにあるかは分からないけど、地動説がアジアで未だ浸透していない現状にはそういった事情もあるように思われる。



「藤枝殿がお越しになられた理由は改暦の件でございましょう」

「如何にも。あまりにも今の暦が正確性を欠きます故、幕府でも改暦を考えております」

「それは良く承知しておりますが、まだ今の段階では新たな理論がありそうな気がします。地動説然り、天体の動き然り」


 そう言うと、麻田殿はある計算式を俺に見せてきた。


 ……文系人間にとって確実に頭が痛くなる系の公式っぽいやつだ。


「これは?」

「これは五星距地之奇法ごせいきょちのきほうと申します」

「五星距地之奇法……?」


 それは麻田殿が長年に渡って天体観測を行った記録を基に導いた計算式で、簡単に言うと「惑星の公転周期と軌道の長さは比例する」とかなんとか。全く簡単ではない理論だ。


「太陽や月の動きを計算するだけならば、これまでの手法でも十分に改暦は可能でしょう。されど、その他の星々の動きまでを含めんとするならば、最新の西洋の天文学を学び、地動説による手法を取り入れた方がより精緻な暦が出来るものと考えます」

「つまり、今はまだその時ではないと?」

「左様」


 天動説準拠でも改暦は出来るようだが、研究者からすると、それだけでは十分ではない。研究者とは即ち、『研ぎ澄まし究めようとする者』だからだ。


 為政者にとっては、ある程度正確な暦が作れればそれで良く、多少のズレは誤差の範囲で処理するだけの話だが、研究者となるとズレが生じれば、それが何故に発生したのかを極めないと気が済まないのだ。麻田殿の想いはそんなところだろう。


「それと……非常に申し上げにくいが、某は脱藩した身でござれば」

「あっ……」


 そう言えばそうだ。源内さんも田沼公と懇意にしていたけど、それは個人的な付き合いだ。


 公職に就こうとなると故郷高松藩から出された奉公構を解いてもらわなくてはいけないから、非常に面倒になるはず。麻田殿も脱藩した後の処分が不明瞭らしいので、敢えて日の当たる舞台に立つのは避けたいのかもしれない。


「そういう事情がございましてな。今しばらくは研究を続けたいと」

「では御公儀のお召しがあっても受けてはいただけませぬか」

「元々宮仕えの身を捨ててまで星を見ることに心血を注いだ身。いずれ送り出しても問題ない弟子が育てば吝かではございませぬが、誰かに言われて仕事とするのは好みませぬ」

「星を見るのがお好きなのですね」

「ああ、星はいい」


 招聘を受ける可能性が無いというのは残念だが、学者肌の人は大なり小なり頑固者が多いからな。気に入らぬ状況でやれと命じても意欲モチベーションが湧いてこないだろうし、無理強いは出来まい。


 麻田殿はお弟子さんも多く抱えているようだし、その方々が了承すれば送り出しても良いと仰せなのだから、気長に待つしかあるまい。現時点でこれだけ西洋天文学の理論を理解していれば、その日が来るのもそう遠くないだろう。


「西洋天文学の理論? いやいや、まだまだ知らぬことも多いですぞ」

「しかし、この五星距地之奇法は西洋天文学の知識によるものでは?」

「えっ?」

「えっ?」


 麻田殿が不思議な顔をしているけど、この五星距地之奇法って、詳しくまで覚えていないけど……ケプラーの第3法則……だよな? 多分……


「なんと……西洋でも同じような理論を唱えた者がおりますのか」

「もう百年以上前の人物ですが……」

「えっ? 百年以上前に?」

「えっ? 本当にご存じない?」


 もしかして……ケプラーの法則を知らずにこれを独自に導き出したのか?



◆ ◆ あとがき ◆ ◆


星はいい。数が増えれば増えるほどランキングが上がるし、何より気分がいい


|д゚)チラッ ゾクブツテキスギルワ……

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