株仲間という仕組み

 近衛家の皆様に、新たな菓子『餡八橋』を披露したところ、狙い通り近衛家の方々に大ウケして、帝へ献上する手はずとなった。


 その正体は名前の通り、餡子入り生八ツ橋だ。この生というのは焼きに対しての対義語的な意味合いなんだろうけど、蒸してるから本当は生じゃないんだよなと考えていたら、餡八橋という安直なネーミングしか思いつかなんだ。


 そしてこれが今まで存在しなかった理由。それは一つに、「八ツ橋とは焼いたお菓子だ」という既成概念もあったのだろうが、それ以上に日持ちがしないところが大きいと思われる。


 蒸した生地なので、すぐに食べないと固くなってカビが生えるだけ。食品ロスなんてもってのほか、とはいえ適切な保存方法も存在しないこの時代、庶民のお菓子として売るのに一番大事なのは日持ちすることだ。故に焼いて供していたのだろう。


 よって、出来立ての生地に餡子を包んでその場で食べるというのは、この時代ではかなり高級な食べ方と言えるが、なんと言っても帝への献上品なのだ。むしろこれくらい贅沢な使い方をした菓子のほうが、やんごとなき御方には喜ばれるかもしれない。


 ちなみに……その製法に関してはちょっと工夫がある。


 実は昔、『生八ツ橋を焼いたら焼き八ツ橋になるか?』という実験動画で、焼けるには焼けるが、焼き八ツ橋と完全一致とはいかず、無理に焼かないで普通に生で食べたほうが美味しいという、元も子もない結論になったのを見たことがあって、そこで実は焼きと生で生地の材料配分が違うのだという話を知った。


 そしてこの時代の生地で餡を包んでも、やはり思ったような生八ツ橋にならなかったので、完全に別物の生地として考え、砂糖などの分量を変えながら試行錯誤を繰り返し、ようやく記憶に近い食感の生地が作れたのだ。


 そこまでいけば後は本職にお任せなので、俺がその場に居らずとも問題ない。そういうわけでそちらは近衛家の皆様に預け、俺は一旦京都を離れて、今回の目的である天文学者に会いに大坂へと足を運んできた。



 ◆



「相変わらず賑やかな町だ」

「お越しになったことがおありで?」

「うむ。長崎に向かったとき宿を取るのに一晩だけな」

「左様でしたか。ここは日ノ本一の商いの町。ここで手に入らないものはないと言って良いでしょう」


 今回、大坂行きの道案内も又三郎に頼んでいる。ここには薬種問屋も多く、薬売りの行商ならば間違いなく何度も足を踏み入れる町だからだ。この男、なんだかんだで役に立っているぞ。


 そして、お目当ての相手に会いに行く時間まで少し時があるので、俺は大坂の商業の中心とも言える船場の界隈を散策していた。


「このあたりは薬屋が多いんだな」

道修町どしょうまちは”くすりの町”とも言われるくらいですので」


 道を修めると書いて”どしょう”か。地元民以外は初見で読めない地名だが、この地は寛永年間に泉州堺の商人が薬屋を開いたことから始まり、後に多くの同業者が一帯に店を構えて今に至っているとのこと。


「たしかに。和漢の様々な薬やその材料が売っているようだな」

「おや、誰かと思えば又三郎さんじゃないか」

「おお、こりゃ番頭さん。ご無沙汰してます」

「お知り合いか?」

「へえ。ちょいちょい出入りさせてもらっているこちらのお店の番頭さんです」




 又三郎に街を案内してもらっていると、近江屋という薬種商の店の前で声をかけられた。


 その番頭さんは長兵衛さんと言い、年は三十を過ぎたかどうかくらいだが、既に二十四のときに別居を許され通い番頭となった方らしい。


「そう言えば、暖簾分けしてもらえると聞きましたが」

「おお、一国一城の主となられるのか。それはおめでとうございます」

「ええ……まあ、その……ちょいと色々ありましてね……」


 若くして暖簾分けを許されていることからも、長兵衛さんは優秀な方なのだろう。喜ばしいことだからこそ声をかけたのだが、意に反してあまり嬉しそうではないように見える。


「それより又三郎さん、こちらのお武家様はどなた様で?」

「申し遅れた。旗本藤枝治部少輔と申す」

「先日からお仕えすることになった私の主です」

「藤枝……治部少輔様……藤枝……!! もしや、解体新書の藤枝様でございますか!」

「如何にも。解体新書の藤枝外記は私のことです」


 長兵衛さんは俺の名前を何度か反芻し、思い出したかのように解体新書の名前を出してきたので、そうだと答えると驚いたような顔をしている。


「なんと! なんとなんと! かの高名な藤枝様にお目にかかれるとは」

「高名とはちと面映いですな。大坂の地で私の名を知る方がいるとは」

「何を仰せか。医術を志す者、薬を商う者で解体新書を知らぬ者など"潜り"も同然。いやいやいや、このような場所で立ち話は失礼だ。ささ、どうぞ中へお入りになってください。おーい誰か! お客様に茶を用意しておくれ」


 俺が間違いなく解体新書の訳者であると知ると、長兵衛さんはかなり興奮したようで、ちょっと強引な感じではあったが店の中へと案内してくれた。




「知らぬこととはいえ失礼いたしました。改めて、近江屋の番頭で長兵衛と申します」

「こちらも改めて、藤枝治部少輔と申す」

「それで番頭さん、先ほどの話を蒸し返すようで申し訳ないが、暖簾分けで何か不都合でもあったのですか?」

「ええ。少し厄介なことになっておりまして……」


 事情を聞いてみると、どうやら近年、不正な唐物の薬剤が多く流通していたらしく、近江屋も知らぬうちにそれを取り扱ったということで連座で罰を受け、"株"を取り上げられてしまったのだとか。


 ここで言う株とは、未来の資本主義で言う株式とは意味合いが違い、日本史で必ず習う"株仲間"に加入するための、所謂営業権や販売権のようなものだ。令和の世では、大相撲の親方になるための年寄株というものがこれに近いものと言えるだろう。




 同業者による組合というものの歴史は古く、戦国時代頃までは"座"という名前で存在しており、商売をしたい者は、座を支配する貴族や寺社に金を収め、彼らの庇護下という身分の下に営業権を与えられていた。


 故に無関係の者がいきなり参入してくるということが出来ないので、既存の者たちの権利を守るには非常に都合の良い組織なのだが、後にこれが自由な商業活動を阻むものとして、経済の発展とそれに伴う収入増を目論む戦国大名たちによって撤廃されていった。歴史でも有名な"楽市・楽座"である。


 こうして誰もが自由に商売出来ることになり、戦国期の頃から日本の経済は大きく発展した。そして徳川幕府も当初はこれを継続し、株仲間のような排他的な独占集団は禁じられていた。


 しかし時代が泰平の世となると、誰も彼もが自由に、言い換えれば好き勝手に商売を始めるとなると、逆に統制が取りづらくなるという弊害が大きくなってきた。


 そこで享保の改革において、冥加金を納める代わりに株仲間の存在が公式に認められるようになり、田沼公がそれを更に推進し、幕府の財源に充てているというのが現状だ。




 未来だと株仲間のような特定の業者が市場を独占する形態というのは、独占禁止法で禁じられている。公共工事の入札でカルテルを組んで談合して……みたいな話で摘発されたなんてニュースも珍しくなかった。


 その目的はひとえに、特定の企業しかその商材を扱えないのをいいことに勝手に価格を釣り上げたり、競争相手がいないが故に品質の向上に意欲的ではなかったりして、消費者が必要以上の不利益を被らないようにするためだ。


 それはそれで間違いではない。というか、それが健全な資本主義社会のあるべき姿なんだろうけど、この時代にあってそれを隅々まで行きわたらせるのは非常に難しいと言わざるを得ない。


 なんでかと言えば、今は近代的な資本主義経済を導入しようとして、田沼公が試行錯誤している始まりの時代だ。何につけても黎明期というのは、制度として確立しておらず、穴も多いし対策も十分ではない時期だからこそ、様々な問題やトラブルが発生しやすいものである。


 昔に比べて商業活動が活発化してきたとはいえ、誰も彼もが自由に商売を始められるという市場経済の原理を、日本全体で導入するほどの規模には成長していない。


 そんな中で新興事業者が雨後の筍よろしく現れれば、既存の事業者と顧客の食い合いとなって、採算度外視の価格競争が引きおこるし、新興業者によって商売の仕組みを乱されるなどすれば、両者共倒れとなって商品の安定供給に影響が及んでしまう可能性がある。


 そしてなにより、法整備が追い付かぬ現状では、少なからず法の穴を掻い潜る悪質低俗な業者が大量発生するであろうことは考えるまでもないだろう。


 株仲間という形態は一部の者のみが利権を貪る制度であり、それが故に不正や賄賂の温床となっている面は否定できないので、好むべからざるもの、その存在が経済の発展を妨げる悪なんて感じで思われがちだが、実はこの時代においては安定した商売を展開するために意外と必要な組織だったりするんだよな。

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