そのお菓子、いとをかし
〈前書き〉
知識の疎かなる物書き
(訳)
知識の足りない作者が公家言葉で書こうとすると、間違いなく全員おじゃる○になってしまうので、無理に使わないことにするでおじゃる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――千年の都、京都
って言うとなんか旅番組のナレーションみたいだな……
それはともかく、その名は即ち天子のおわす地であることを意味し、国の都ということだ。歴史に興味のない人にはどうでもいい話かもしれないが、この時代の都は江戸でなく、あくまで京都なのだ。
その始まりは延暦十三(794)年、この地に都が遷ったことに始まる。後に言う平安京だ。なので、現時点ではギリギリ千年に満たないのです。残念。
ちなみに当時の京域は今よりかなり西側に寄っており、北は一条通、東は河原町通から寺町通あたり、南は九条通付近を外周とし、二条城の西側を縦に伸びる千本通あたりが平安京の中央を南北に貫く朱雀大路となる。
これを北に行くと二条通の先がかつての大内裏のあった場所で、南に行って九条通と交差するあたりが芥川龍之介の小説で有名な羅生門、もしくは羅城門と呼ばれた京の正門だった場所だ。
そして、今言った範囲が大内裏から見て左側のエリア、所謂"左京"となる。ちなみに出典は定かでないが、中国の都になぞらえて右京を長安、左京を洛陽なんて呼び方をしていたようだ。
しかし後に、湿地帯が多くて住みづらく、発展の見込めなかった右京側が早々に放棄されたことで、左京側が市街地の中心となって今に至る。
こうして京都=左京、つまり洛陽となったことから、洛の字が都を意味するようになり、故に都の中は洛中、その周囲は洛外、都へ向かうことを上洛と言うようになったらしい。
また、この時代の御所はかつての京域の北東の角、元々は内裏と別に設けられた帝の在所を指す"里内裏"の
室町時代に北朝の皇統がここを皇居として以来、今はここが正式な御所となっている。そしてその周囲には、御所に昇殿する資格を持つ上位貴族の屋敷が建ち並び、一帯は公家町とでも言うべき町割りとなっている。
◆
「准后様、内府様にはお初にお目にかかります」
十二月のはじめ、祝賀の使者一行と共に都へと入った俺は、今回ご厄介になる近衛家のお屋敷へ挨拶に赴いた。
「姉上や因子は息災であるか」
こちらは前の関白太政大臣である近衛
准后とは正式には
昔は収入的な保証も一緒に与えられたようだが、今は功績のあった者に対し、勇退後の身分を保証する称号のような形になっている。
「宝蓮院様におかれましてはつつがなくお過ごしでございます。また因子様におかれましては間もなく第二子がお生まれになる頃かと」
「順調なようで何よりじゃ」
内前卿にとって、二人は姉と娘にあたる。文は届けられているものの、情報の届きにくい時代だから、実際にその目で見てきた者の話は貴重なので、予想通り俺の話を聞いて安堵しているようだ。
「姉上から文で聞いておる。色々と世話をかけたようだな」
「田安の皆様の御配慮があればこそです」
こちらは内大臣近衛
「謙遜せずともよい。慣れぬ地で難儀する姉上をお慰めしようと、京でも見ぬ雅な菓子を供したとか」
「雅かどうか分かりませぬが、御簾中様にはお喜びいただけたようで良うございました」
「治部少輔、そこでひとつ
褒められたり感謝されるのは有り難いが、そこで「スゴいでしょ、エッヘン」しては心証が悪くなるので謙遜に謙遜を重ねていると、内前卿が何やら頼みがあるようだ。
「お上に献上する新たな菓子を考えてはくれぬか」
「帝に……でございますか」
新帝の即位に際し、それを祝う新たな菓子を作ろうと公卿たちの中で話になっているそうで、近衛家はそれを俺に頼みたいらしい。たしかに未来でも、何か慶事があるときは限定品みたいなものを作るというのはあるけれど、今回に関しては荷が重いな。
なにしろこの国の頂点に立つ御方の祝いなんだからな。
「先程供してくれた芋羊羹。あのような新しき菓子にて、新たなるお上の御世の始まりを祝いたいと思っておる」
「芋羊羹では御献上品になりませぬか」
今回近衛家への手土産として用意したのは、甘藷菓子の秘密兵器「芋羊羹」だ。
元々お菓子としての羊羹は、餡に小麦粉や葛を混ぜて蒸した「蒸し羊羹」が主流で、後世で言う「練り羊羹」や「水羊羹」のような寒天を使って固めるタイプはこの時代になってようやく広まり始めた新しい作り方である。
甘藷を栽培し始めたときからいつか作りたいと思っていたが、細かいレシピは知らなかったため、いろんな製法で試行錯誤して、ようやくそれらしい仕上がりになったので、江戸を発つ前に寿麻呂様に実験台になってもらったわけだが、甘藷には煩いあの若君が太鼓判を押してくれたこともあって、こうして満を持して近衛家への手土産にしたわけだ。
とは言っても作った物を持ってきたわけではない。甘藷のペーストは小豆餡に比べて糖度が低いので、日持ちしないのが難点だ。故に京都に着いてから炊事場を借りて作った次第だ。二人も美味しそうに食べていたので、帝に献上しても喜ばれる自信はある。
「うむ……これは良きものなれど、当家への土産として貰ったものだからのう。それを帝へ奉るは……のう」
「これは是非我が近衛にて広めさせてもらえればと思うのだが……」
そういうことか。芋羊羹を近衛家の手で都に広めようという魂胆だな。当然そこには菓舗からの見返りを期待しての話だ。当然ながら帝に献上した時点で、賞賛される栄誉はあれど、そのライセンスは手元から離れてしまい独り占めは出来なくなる。名より実を取りたいわけね。
「そうですな。これは近衛の皆様に差し上げた品でございますれば、別の物を考えたほうが良さそうですな」
「おお、おお、そうしてくれると有り難い」
この時代は摂家という貴族の最上位でも生活はそれほど楽ではないらしいから、金づるを手放すのは惜しいのだろう。
雅じゃねえなあと思うが、朝幕の橋渡し役も担ってもらう家だし、なにより篤姫様を養女入りさせて……の件もあるので、ここで近衛家に貸しを作るのも悪くないだろう。菓子だけに。
「又三郎、お主洛中の道案内は出来るか?」
そんなこんなで二人の御前を辞し、宛がわれた居室に戻った俺は、又三郎に地理に明るいか聞いてみた。
「はっ。商いで数えきれぬほど参っておりますれば造作もございません」
「左様か。ならば菓舗へ案内を頼む」
「菓舗でございますか?」
頼まれたのはいいものの、どんな物をどうやって作れば良いか検討もつかない。となれば、巷のトレンドを取り入れるべきと考え、洛中の菓舗を案内してもらうおうというわけだ。予想通り彼は都の地理に明るいようで、だいたいの町割りは頭に入っているとのことだ。
「有名どころはこんなところでございますかね」
「左様か」
「あまりお役に立ちませんでしたか」
「いや、都の菓子が如何なるものかは良う分かったが、私が作るとなるとな……」
道案内に従い洛中を歩いていると、とらやに亀屋に笹屋……それこそ未来でも聞いたことのある和菓子屋がそこかしこに店を出しているのが見えた。それが未来までずっと同じ屋号で受け継がれた看板なのか分からないが、なんとなく親近感を覚える。
そこで作られていたものは、確かな技術と洗練された技の成せる、いかにも雅な京菓子だった。それはそれで素晴らしいものなんだけど、多分俺に求められているのはそういうのじゃないんだよな。
そもそも俺は菓子職人ではない。あくまで西洋の技法と称して未来の菓子作りを真似ていただけだし、彼らは彼らで即位祝賀と称して新たな商品を作っている可能性がある。であれば、俺が本職に張り合うのは無茶と言うものだ。
「他に何かアテはないか。多少変わり種でも、庶民の口にする物でも構わん」
「そうですな……おおそうだ。ならば鴨川の向こうへ渡ってみませぬか」
「鴨川の向こう?」
「聖護院の森という場所があります」
三条大橋から鴨川の東岸に渡り、その南側にある祇園で芸者遊び……ではなく、真逆の北にある聖護院村を目指すと言う。そもそもこの時代のお茶屋さんも一見さんお断りだとすれば、入る術はありませんし……
そして聖護院村とは、その名の通り聖護院という寺院があって、周囲を森に囲まれた場所ながら参拝客の多い地であるという。京都の市街地とは一線を画した郊外なわけだが、その名を聞いて俺は何となく察した。又三郎が紹介したい物はきっとアレなんだろうなとね。
(だよな。京都と言えばコレだわな)
こうして門前の茶店までやって来ると、供された菓子はおそらくアレだろう。
「これは八ツ橋と申します」
「八ツ橋……」
未来の京都でもお土産の定番商品である八つ橋は、
そして、聖護院といえば八ツ橋だ。京野菜で聖護院かぶとか聖護院大根なんてのもあるが、その名を聞いて真っ先に思いつくのは八ツ橋だろう。
なんだけど、俺が知るそれは、こう……アーチ状に焼かれた形なのよ。時代と共に形が変わるということもあるから、この平べったいのがこの時代の八ツ橋なんだろうか。
「これは聖護院を訪れる参拝客が茶屋で食べていく干菓子でして、米粉と砂糖の練り物を蒸し、焼き上げた物にニッキをまぶしております」
製法を聞くに、おそらく未来の物と変わりは無さそうだ。
が……俺がまず想像する八ツ橋ってのは、焼く前のアレなんだが、それは置いてないのだろうか?
「ちなみに焼いておらぬ八ツ橋はあるのか?」
「えーと……八ツ橋は焼いたものにございますが」
「蒸した生地を柔らかいうちに食べるというのはないのか」
「焼く前に食べるというのは聞いたことがございませぬ」
……ってことは、この時代にアレはまだ存在しないのね。
これは……つまり……俺が
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