ニンニン忍者の末裔だ

 彦根を出立した使者一行は脇往還から中山道へ入り、野洲郡の守山宿で今日の宿を取ることとなった。


 ここは京の三条大橋からおよそ八里六町(約32km)という距離にあり、京を出立した者の最初の宿として選ばれることが多いことから、「京立ち守山泊まり」と言われる宿場町だ。それは逆に言えば、こちらを朝出立すればその日の夕刻には京に入るということになる。


 つまり、明日はいよいよ都入りというわけだ。以前長崎に行ったときは単なる通過点でスルーしてしまったので、しっかりとこの目で見るのはこれが初めてだ。


 未来でも江戸時代やそれ以前からある寺社仏閣や町並みは残っていたけど、焼失したとか再建されたなんてものも多いだろうから、ちょっと楽しみではある。




「殿、お客人が見えております」

「客人?」


 そして本陣に入り荷支度を解いてくつろいでいると、今回の京入りに同行している家臣が来客の到来を告げてきた。


 のだが、生憎と俺はこちら方面に知り合いはいないぞ……


「どなたかな」

「彦根でお話しさせていただいた薬売りの商人だとか。薬のことでお願いの儀があるとかで」

「ん……? ああ、あの行商人か」


 そう言われて思いだしたのは、肉祭りの会場で俺が肉食の効用を説いていたのをずっと真剣な表情で聞き、話が終わるや色々と質問してきた薬売りのことだ。


 商売柄そういうことに興味があるのだろうと思って蘭方医学の知識などを教えてやるといたく感激して、お礼に彦根のもつ料理の噂を行く先々で宣伝しますよなんて言っていたが、ここに居るということは彼も西に向かっていたのだろうか。だが願い事とは一体どういうことだ? 言い方は悪いが一介の薬売りが訪れるには敷居が高すぎるだろう。


「追い返しますか」

「いや、時間もあることだし話くらいは聞いてやろう。其方は万が一に備え、廊下で控えていてくれ」

「御意」


 相手の確かな素性が分からないのに、無闇矢鱈と面会するのもあまり良くないのかもしれないが、話を聞いて無理なら無理と言えばいいだけだ。そのために家臣には側に控えていてもらう。それにこの本陣には彦根の家中も多数泊まっているから、相手一人で無体なこともしないだろう。




「突然の推参にもかかわらずお目通りが叶い恐悦至極に存じます」


 連れられてきた男は、座るや否や武士の礼をとってきた。それを見ればこの薬売りがただの商人ではないと誰でも気づくだろうし、より一層頼み事の内容が面倒な話ではないかという予感がしてきた。


「面を上げられよ。御名をまだ伺っていなかったな」

「はっ。甲賀古士、大原数馬が子にて又三郎と申します」

「甲賀古士?」

「我ら忍びの一族にございます」


 甲賀郡は近江国の南部にあり、戦国の頃までは郡中惣ぐんちゅうそうと呼ばれる、土豪や地侍などの小領主が郡内で連合して、それぞれの集団の代表が合議で領地運営を行う形態で営まれていた地域だという。そして、それを担っていたのが「甲賀五十三家」と称された在地領主。所謂忍者の集団らしい。


 つまり目の前にいる又三郎なる青年は忍者の末裔ということだ。たしかに甲賀と言えば伊賀と並んで忍者の故郷で有名だな。ハット○君が伊賀ならば、こっちはケム○キ君というわけだ。


「その者が如何なるご用件でありましょうや」

「願わくば治部少輔様の配下の末席にお加え願えればと」

「仕官したいと申すか」


 その忍びの術によって裏社会で暗躍していた甲賀衆。古くは室町時代、近江の守護六角行高が幕府から征討の軍を向けられたとき、居城観音寺城を放棄して甲賀郡の山中に撤退しながら幕府軍を相手にゲリラ戦を展開し、足利将軍の病死によって痛み分けとなるまで持ちこたえたのも、甲賀衆の功績が大きかったという。


 そしてもう一つ、本能寺の変の後にあった出来事にも甲賀衆が深く関わっている。当時堺の町にいた家康公が変事を聞きつけ、命からがら居城浜松まで落ち延びた、所謂神君伊賀越えである。


 とは言うものの、又三郎によれば警護を務めた者の多くは、実は甲賀衆の地侍たちだそうだ。事実この時代では伊賀越えという単語は出てこないので、なんで伊賀を越えたという話になったのかは俺も良く分からない。


 そしてこの功績から、徳川家に取り立てられて旗本となった者や、関ヶ原の戦いで功を挙げた甲賀出身の武士に与えられた恩賞を元に、甲賀百人組という鉄砲隊が組織され、今でも千駄ヶ谷にある組屋敷を拠点として幕府に仕えている者がいる。


 しかし、取り立てられたのは一部の者のみで、残る多くの者は豊臣秀吉によって領地を召し上げられ、武士の身分を失って平民化した。その者たちが甲賀古士と名乗っているらしい。士とは言うが、実際は農民同様の暮らしのようだ。




 と、ここまで甲賀古士の歴史を又三郎から聞かされたわけだが、それがどうしてここにきて急に仕官を望むようになったのだろうか。


「古士一同、仕官を諦めたわけではないのですが……」


 かつて、仕官が叶わなかった者たちは幕府に対し、徳川家に大きく貢献したという点をもって武士階級への復帰を何度となく嘆願していたようだが、願いは認められることなく、この百年近く直訴した形跡は無いらしい。


 しかし、その間に社会環境は大きく変わった。惣の中の合議で物事を決め、本家と分家が同列に扱われていた時代から、上下の別が明確になったことで支配する本家とされる側の分家の格差はどんどん広がっていき、古士たちの窮乏はその度合いを増しているそうだ。


「そこで、我が父が近くお上に請願に向かおうと考えているようです」

「ならば私に仕官する必要はないのでは?」

「某は無理だと思っております」


 二百年近く昔のご先祖様の功績を持ち出して、だから武士にしてくれ、禄を与えてくれなんて話が通るわけが無いと、又三郎はお父上の考えをバッサリ斬り捨てたようだ。


 うん、俺もそう思うわ。先祖の功績で禄を与えられただけでふんぞり返っている無役の旗本たちと何も変わらねえもん。


 ……おん? お前が言うなと? あたしゃ無役じゃねぇだぁよ。


「そのせいで父と少々疎遠でございまして、最近は家に戻ることも少なく……」

「で、当家で面倒を見て欲しいと?」

「無論タダでなどど虫の良いことは申しませぬ。某の力が治部少輔様のお役に立てると考えてでございます」

「どう役に立つのでしょう」

「忍びの技です」




 未来のイメージだと、忍者といえば千葉○一や真○広之のような派手なアクション満載JACのみなさんなんだけど、実際はこそっと忍び込んでこそっと仕掛けてみたいな、危険なのに地味な仕事だ。戦うのも万が一見つかったときや奇襲くらいで、それだって敵を倒すというより隙を見て逃げるとか時間を稼ぐみたいな防御・攪乱のためだ。


 なんだけど……この太平の世にあってその技術必要かねえ? 甲賀古士が取り立てられないのもそういうことじゃないかな。


「さにあらず。某の最も得意とするところは薬作りと薬草の知識にて」


 彼が言うには、甲賀の忍びは薬を用いるのに長けていると言う。ここで言う薬は毒薬とか痺れ薬のようなマイナス方向に作用するヤベー薬や火薬のことなんだろうけど、マイナス方向を知っているならプラスに作用するものも知っているわけで、甲賀出身の薬売りが多い理由はそのためなのだ。


「彦根で伺いましたる治部少輔様の西洋医学の知識には感服いたした。出来ますればその知識を学び、某の持つ薬草の知識と合わせて新たな薬が作れればと」

「ふむ。漢方医学はあまり詳しくはありませんから、面白き提案ではございますな」

「それに、先程荒事の技は不要と仰せでしたが、身の回りを警護する者は必要かと。忍びの技が廃れて久しくなりますが、某も武芸一般は身に付けております。必ずやお役に立てるかと」

「待て待て。知り合って間もないのに警護させると思うのか? だいたい、貴殿がかもしれぬというのに」




 自慢じゃないがこの藤枝治部少輔、結構恨みを買っている。


 それは先の政変で潰された家中の者とか、蘭学を忌避する守旧派とか。俺は正しいことをやっているつもりでも、それを快く思わなかったり逆恨みされたりと、一部でヘイトが溜まっているのは事実だ。


 となれば、こうやって現れた彼がそちら側に雇われた人間、という可能性は否定出来ないよな。


「つまり治部少輔様は某が何者かに頼まれて命を狙いにきたと」

「可能性は否定できまい。門前払いすれば今度は夜陰に乗じて忍び込んで……なんてこともあるかと思ったゆえ、こうしてお通ししたまでよ」

「これは考えが行き届かず失礼いたしました。されど、今の甲賀古士にそのようなことを依頼する奇特な者はおりませんし、今の我らでは単身で忍び込むなどとてもとても……」


 あり得ない話だと少し自嘲気味に又三郎が笑う。大藩ならばお抱えの忍びがいるし、そうでなくても荒事の得意な者はいる。忍びの術も廃れ、半ば忘れ去られてしまった存在である甲賀古士にわざわざ頼む者はいないと。


「お抱えいただけるならば、粉骨砕身お仕えする所存。何卒、何卒……」

「相分かりました。すぐに武士として取り立てるというわけにもいきませんので、取りあえずは試行期間ということで家人といたしましょう」

「試行……期間?」

「お試しということです。その間真面目に働き、良ければ士分に取り立てるし悪ければ放逐する。それでよろしいかな」

「か、かたじけのうございます! この御恩、必ずや報いてご覧にいれます」




 なんだかよく分からないが、害意は全く無さそうだし、医学薬学を学びたいというなら受け入れてもいいだろう。


「ときに又三郎。野良仕事は得意か?」

「の……野良仕事ですか。はあ……まあ故郷に居たときは畑仕事もしておりましたので一通りは」


 よし、労働力もついでにゲットだぜ。



◆ ◆ あとがき ◆ ◆


又三郎は架空人物ですが、その父の大原数馬は実在人物です。

物語の時間軸より九年後の寛政元(1789)年に仲間たちと共に地位回復の嘆願を行い、その際に忍者の力を知ってもらおうと、門外不出の忍術書である「萬川集海まんせんしゅうかい」を幕府に献上し、これによって甲賀忍者の存在が広く知れ渡るようになったのだとか。


そして神君伊賀越えですが、これは天保年間に編纂された「徳川実紀」が初出のようですが、なんで伊賀なのかは伊賀者が地位向上を図るため先祖の功績を強調したためとか、密偵である御庭番に伊賀者を採用した将軍吉宗の意向とか諸説ありです。

後世の研究者によれば、伊賀国内より甲賀郡を通った距離の方が長いと唱える人もいるようですし、個人的にも当時の伊賀は反信長の感情が強そう(天正伊賀の乱で皆殺しとかあったから)なので、その同盟者だった家康が緊急とはいえ、わざわざ経路に選ぶとは思えないので、逃避行は事実としても実態の全容はよく分かりません。

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