仕事への敬意

――もつ料理を披露してから数日後


「いかがでござるかな」

「御覧の通り盛況にございますが、牛の臓物は渋い顔をされてしまいますな」


 直幸公にお願いし、彦根城下でもつ料理のお披露目を始めた初日。匂いにつられて覗く者でごった返す会場で担当する藩士に話を聞けば、上々の客入りのようだ。


 だけど……そのほとんどは元来肉として消費されていた部位を堪能するばかりで、肝心のもつ料理は芳しくないようだ。


「こんなに旨そうに焼けておるのになあ」

「お侍様、仕方ねえですよ。ワシらみたいな者が食う代物ですからね。無理ありません」


 町行く人に味を知ってもらおうと試食イベントを考えたのだが、穢多が食用としているものだと知ると、町の者は関わりになりたくないといった感じで踵を返すばかり。実際に調理している村の者も仕方ないといった顔をしている。


「よし、私に任せなさい。さあさあ皆の者、こちらも食べてみておくれ」




 彼らが蔑む穢多が食べていると知れば忌避される可能性は高い。悲しいけれども、これは想定内であった。


 食べてさえくれれば旨いと思う者も現れるだろうが、そのためにはきっかけが必要だ。そこで俺は肉を頬張る町人たちに向かい売り込みをかけることとした。


「お侍様、そうは言うが牛の臓物なんて食えるもんなのか」

「ふふふ、こいつは朝鮮や唐天竺、遠くはオランダでも食される、滋養に溢れた食べ物だぞ」


 俺の声に呼応するように、藩士の方が「この方は我が藩の客人で、江戸でも高名な蘭学者である」と皆に聞こえるように知らせてくれた。もちろん俺の仕込みでやってくれたものだ。


「特にこの肝は女子に食べてもらいたい」

「なんで女だけ……?」

「肝には血を作るための栄養が豊富にある。皆の知り合いにも目まいや立ち眩みを起こしたり、普段から疲れやすかったり怠そうにしておる女子はおらぬか。それは血が足りておらぬ証だ」


 女性にとって生理は避けて通れない。定期的に血が体外に流れ出る以上、男より血を生み出す栄養を多く必要とし、それが足りないから貧血という症状が起こりやすいわけだ。


 そしてそんな症状の多い女性が子を産むとなると、新たな血を生み出す力が足りずに出血多量で命を落とす要因ともなりかねない。


「牛の肝がそれを防ぐので?」

「全てが治るとは言わぬが、症状を軽くすることは出来る。熊の肝だって薬にしているんだ、牛の肝も薬と思えば怖くなかろう。少しクセはあるが、結構旨いぞ」

「ならご相伴にあずかろうかしら。アタシもちょいちょい目まいするから、これで治るなら儲けもんね」

「いいねえ。姐さんみたいな美人に食べてもらえるなら牛も本望だ。こいつは韮や生姜と一緒に炒めて醤油で味を調えた牛の肝だ」


 医者が薬効を語って売り込みというと、なんだかテレビで流れるサプリメントの通販みたいだが、おかげで威勢の良さそうな姐さんが試してみようと声をかけてくれたので、レバーの炒めものを食べさせてみた。


「どうだ? 苦くも渋くもないだろ」

「そうね。ちょっと臭みはあるけど、思ったより食べやすい。ご飯が欲しくなるわ」

「飯もたくさん炊いてある。肝だけじゃなくて他の部位も味見してくれ」

「ならあっちのお汁と一緒にいただこうかしら」

「良いものに目を付けたね。あれは牛の尾の肉を煮込んだ汁だ。尾の肉にはお肌の瑞々しさを保つための養分がたっぷり入っているから是非食べてみなさい」


 コラーゲンには他の効用もあるようだけど、女子相手だからと一番気になるであろう肌への効用を説くと、姐さんはウキウキでテールスープを飲み始めた。


「あ、あの、お侍様。あっしも食べてみていいかのう?」

「もちろんだ。遠慮なく食べるがいいさ」


 匂いにつられてやって来たのだから、食べてみたいと思う気持ちはあるのだ。それでも食指が伸びなかったのは、長年染み付いた忌避感ゆえであるが、誰かが食べ始めて旨いと言ってくれれば話は早い。俺が滋養強壮の薬のようなものだと言ったこともあるだろうか、後に続くように多くの者がもつ料理に舌鼓を打ち始めた。


「これ、旨えな」

「心の臓だと聞いたときには驚いたが、いい歯応えだ」

「こんな食い物があったんだな……」

「皆の者、楽しんでおるか」


 ようやく町人たちがもつの味を理解し始め、これは旨いと場が和み始めた頃、多くのお供を連れて直幸公がお忍びで姿を見せた。


「……!! これは殿。皆の者、井伊のお殿様であらせられるぞ」

「えっ、お殿様! へっ、へへーっ」

「畏まらずともよい。今日は無礼講じゃ。武士や町人の別なく、皆で肉やもつを食べ酒を飲み、親睦を深める場じゃからな」


 ホントにみんなで一斉に平伏するんだな。黄門様の印籠って大げさかと思ったけど、ガチだったわ。


「して、もつの味はどうじゃ」

「へ……へえ。とても旨いもので」

「それは重畳。これは日の本一の蘭学者であるこの藤枝治部少輔殿が彦根の民のためにと考えてくれたのだ」


 直幸公は皆に向かい、これを城下で売ったり宿場で旅人に供することで、彦根の特産物とする構想を話すと、町人たちもこれなら十分すぎるほど売り物になると答えた。


「取れる量が少なく、多くの店で売ることは難しいかもしれぬが、売れるかのう」

「この味を知れば、多少高値でもこれを求めに来る者はいるかと。宿場で逗留する者も増えましょう」

「そうか。だかこれも良き牛を育て、丁寧に仕上げたあの者たちの仕事のおかげよ」


 直幸公の視線が調理していた村の者たちに向けられると、町人たちは驚いた顔をしている。


 だろうな。誰とは名指しせずとも、お殿様が穢多の仕事を認め、褒め称えたのだからな。


「村長、余にも焼いてくれるか」

「へえ! 牛の舌の一番良いところをご用意しますです!」

「よいか皆の者。これからこのもつ料理が彦根に富をもたらす。これを売るは町人たちの仕事なれど、それはこの者たちが汗水流した働きによって得られるものだ。決して軽んじることなく、その仕事に敬意を持って接すべし」


 直幸公の言葉に周囲がしんと静まり返る。


 敬意を持って接すべし。おそらくこの場にいる町人の誰しもが想像すらしていなかった言葉だろう。


「あの……お殿様、穢多に敬意を持てと」

「穢多にではない。正しく生業に精を出す全ての者にだ。穢多や非人にも彼らのように真っ当に生きる者もおれば、其方ら町人や農民にも悪さをする者はおる。余が守るのは皆のため藩のために真面目に働き、富をもたらす者たちよ。無論其方たちも同じだ。そこを履き違えてはならん」

「お、お殿様。焼き上がりましたです」

「おお左様か。うむ、良い匂いだ」


 周囲の困惑をよそに、直幸公が牛タンをパクパク頬張っている。


「村長、良き仕事であるぞ」

「そんな……もったいないねえ」

「この先我が藩の牛が良き物となるも悪しき物となるも、ひとえに其方らの働きにかかっておる。其方らの暮らしは藩が責任を持って面倒を見るゆえ、益々の働きを期待するぞ」

「へ、へへーっ。必ずやご期待に沿いまする」

「よしよし。さあさあ皆の者も遠慮せず食べよ。今日この日、彦根の牛の新たな始まりを皆で祝うのだ」

「ははーっ」




 うん、これでいい。


 あの日、俺はもつを産物として活用する代わりに、村の者たちの処遇を良くしてくれとお願いした。


 藩の重役たちはそれを穢多の身分を改めよと言っているように聞こえたらしいが、俺の考えはちょっと違うのだ。


 冷たい言い方かもしれないが、俺は人権活動家でもないし、万人平等に扱うなんて聖人でもないから、身分制度を根幹から変えようなんてことは言わない、というか言えない。


 なにしろガチガチの身分制社会なのだ。人類平等など実現は難しいし、仮にそういう方向へ持っていったとしても、社会構造がそれに対応していないのだから、システムは早晩破綻して却って政情不安を煽るだけだ。


 なのにどうして彼らに報いてやってほしいと願ったかと言えば、ひとえに「真っ当な努力をした者が報われぬ世であらぬように」という信念によるものだ。




 真面目に仕事をした者が正当に評価される。至極当たり前の話に聞こえるが、彼らの立場は非常に低く周囲から蔑まれており、その影響がゆえか、食肉関係の仕事に就いている人は、かなり先の未来まで偏見とか職業差別があったらしい。


 これもバイト時代にマネージャーが教えてくれた先輩社員の話だが、昭和の頃でも肉屋を卑しい仕事と蔑む者は少なくなかったらしく、謂れのない誹謗中傷を受けたり、交際相手の親に結婚を反対されたりと、かつての名残と思しき偏見は根強くあったようだ。


 つまり何が言いたいかと言えば、穢多の仕事に対する偏見がそもそもの根底にあるわけで、身分だけを平等にしたところで意味は無いということだ。


 となれば如何にそれを取り払うかなんだが、その生み出す産物が貴重で利益をもたらす物だと広く認識させるのが、安直ながらも一番手っ取り早いかと思ったのだ。


 穢れが多い仕事という宗教的な観念によって、町人や農民は絶対に手を付けないものだからこそ、彼らの仕事に対して敬意を持ってもらう。そのために直幸公にもひと肌脱いでもらったわけさ。お殿様がそう言うのなら、文句は言えないだろう。


 もちろん何百年も昔から続く価値観がそう簡単に変わるはずもないし、藩主の発言を暗に批判する者も出てくるだろうが、今日の出来事で穢多の仕事に対する認識を改めてくれる人が一人でも多く現れてくれれば……それが未来につながるのではないかと思う。




「村長、よかったな。殿様がお主らの仕事を認めてくれたぞ」

「お侍様……もしかしてお侍様が」

「私はきっかけをつくっただけだ。それに胡座をかいて評判を悪くするも、頑張って評判を増すも、全てはお主たちの働き次第だ」

「へえ、肝に銘じておきます」


 子の代、孫の代、もしかしたらそれよりも先の話になるかもしれない長い道のりだろうが、今すぐに変わることが難しい以上、俺が出来ることはきっかけを作ってやるだけだ。それを生かすも殺すも本人たちの頑張り次第。


 例え相手が穢多であろうと、その仕事に敬意を持つべし。その想いをみんなで共有してほしいと願うよ。"もつ"だけにな。



 ◆



――こうしてその日は夜になるまで、彦根の城下では身分を問わず皆が酒を酌み交わし、肉やもつを肴に楽しい宴が繰り広げられた。


 そしてこの行事は翌年以降も年に一度、武士や平民という身分の垣根を越えて皆で仲良く酒を飲み、肉を頬張り、互いの仕事に敬意を表するという、江戸の世にあっては一風変わった催しとしてこの地の風物詩となり、後世日本三大奇祭の一つと称される、『彦根の肉祭り』として受け継がれていくのであった……

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