もつは旨いんじゃ
「ううむ。難しいか」
「左中将様のお考えは面白き案なれど、牛の住む場所と餌の栽培を増やすとなると、難しいと思われます」
牛を飼育していた村を訪れてから半月ほど経ち、上洛するために直幸公が彦根に入られた。
依頼された件の考察を伝えると、残念そうではあったが致し方なしという感じだ。俺の招聘はデモンストレーションの一環だから、あまり成果は期待していなかったのかもしれない。
「代わりと言っては何ですが、面白きものを披露させていただきたく」
「面白きもの?」
だけど、政治の道具として
意知殿がわざわざそれとなく教えてくれたのもちょっと引っかかりを覚えているし、だとすれば思惑にまんまと乗せられたということになるが、それはそれ、これはこれだ。新たな産物を生み出すことは悪い話ではないからね。
「これは?」
「牛の臓物にございます」
「臓物……」
直幸公の前に様々な部位の牛の臓物を並べてみせた。
もちろん原形のままではグロいので、血を洗い流したり湯通ししたりと加工処理を行い、焼肉屋さんで見かける形状になっている。一見すると肉を切り分けたようにも見えるが、これらは間違いなく"もつ"と呼ばれる部位だ。
「こちら心の臓から順に、肝、胃、腸、舌、頬肉、あばら周りの肉。全て食すことが出来るものにございます」
「肝に腸に舌……これを食べようと……もしや西洋の知識によるものか」
「たしかに西洋でも臓物を食用に用いる地域があるそうでございますが、我が国においても『万葉集』に獣の臓物を
あのとき木俣殿に妙案はないかと問われ、真っ先に思いついたのが"もつ"を活用出来ないかというところだった。
これもバイト時代に教わった豆知識なんだが、肉自体は明治期から食べられ始めたけど、所謂"もつ"や"ホルモン"と呼ばれる臓物に関しては、第二次世界大戦の最中で食料事情か悪かった頃から一般的になってきたのだと聞いたことがある。
それこそ今話したとおり、万葉の時代には乳製品と同様に内臓も食べられていたらしいが、やはり肉食への忌避感からか、江戸の世で食用として供されることはなかったと知り、ならば活用できるかもと思ったわけだ。そんな中で村人たちが食べていると聞いて、これはラッキーと思ったのよ。
本当に捨てられていたのだとしたら、下処理から加工まで全部を一から教えないといけないんだけど、既に食べているということは、そこを飛ばして次の段階に移れるからね。直幸公に披露したものも、俺のアドバイスを加えつつ、村人たちに下処理してもらったものだ。
「して、如何にして食べるのだ」
「これより藤枝流の調理法にてご賞味いただきますので、庭へお出まし頂ければと」
実際は未来の知識を使ったパクリなので藤枝流もクソもないが、俺が編み出したということにしておかないと、出典元に言及されたときに面倒だからな。決して功名のためではないぞ。
「七輪で焼くのか」
「肉と同じく、生のままで食べると酷い腹下しを起こし、命を落とすこともあります。故に煮るなり焼くなりして生の部分を残さぬようにいたします」
「なにやら香ばしい匂いがしてきたの」
「私が作りましたタレを付けてお召し上がりいただき、部位ごとに違う味と食感をお確かめください」
つけダレに関してレシピを持っていたわけではないが、長いこと料理を研究していると、試行錯誤しているうちに何となくそれっぽいものが作れたりする。そんなわけで焼肉のタレと塩ダレに近いものを作り出せたのだ。
あくまで”近い”だけなので、これが正解ではないけれど、広まるうちに本職の者たちがより良い味に改良してくれることだろう。
「ふむ……肉とはまた違うが、これはこれで旨いな」
直幸公以下、彦根の重臣たちが焼肉を食べ始める。肉食の経験が多い人たちなためか、概ね好評ではあったが、それでも生臭さや食感が気になるという声もチラホラあるようだ。
「肉よりも身体の内側にて、生きるために必要な血や脂を蓄えていた部位にございますれば、匂いや食感、脂の濃さなど、好みは分かれるところでしょうが、滋養に溢れた食べ物にございます。左中将様はいかがでございましょうか」
「儂はこれが気に入ったぞ」
「それは舌にございますな。脂乗りも程よく、肉とはまた違う独特の食感があり、非常に美味なものです」
直幸公は特に牛タンが気に入ったようだ。舌を食べると考えると少しゲテモノ食いのようにも聞こえるが、脂乗りや歯ごたえも良いし、牛一頭から取れるのは一本だけという希少部位で旨いのじゃ。俺も好物だぜ。
「治部に言われなければ舌を食べるなど考えもつかなかったわ。しかし、これを食うと飯が欲しくなるの」
「そう仰られると思いましてご用意しておりまする」
「これは……麦飯か?」
「はい。麦飯は栄養も高く、東照神君様も好んでお召し上がりになられたとか。さらにこれに”とろろ”をかけた麦とろ飯でお召し上がりいただければ、肉と飯で互いに足りない栄養を補う形になりまする」
牛タンには麦とろ飯。未来では当たり前になった組み合わせなんだけど、実はこの食べ合わせが最高だと学術的に証明されたというわけではないらしい。
諸説あるようだが、栄養価が高い割にカルビやロースより低カロリーな牛タンを酒のつまみだけに用いるのはもったいないから、ぜひ女性にもたくさん食べてもらおうと考えた結果、いかにもヘルシーそうな麦とかとろろを組み合わせて定食にしたのがその始まりらしい。
とはいえ麦やとろろを併せて食べることで、栄養も補えるし食物繊維も取れるしで健康に良いのは確かだから、遠慮なく
「そして汁物はこちらでございます」
「この肉はなんじゃ……?」
「牛の尾の肉を野菜と共に煮込んだ汁にございます」
「尾も食べられるのか……」
そして牛タン定食と言えばもちろんテールスープだ。
下茹でした牛テールに、ショウガ、ミョウガ、セリやネギなどの香味野菜を加えてお鍋でコトコト煮込む。圧力鍋ではないから、肉が柔らかくなるまで丁寧に灰汁と脂を取り除く作業は時間がかかるが、最後に塩コショウで味付けすればテールから出た美味しい出汁とコラーゲンたっぷりスープが完成だ。
「これらを臓物から名をもじり、"もつ料理"と名付けたく」
「もつ料理か。これは良きものを見つけてくれた。我が藩の新たな特産品になりそうだな」
「されど、難点が二つほどございまする」
「何か難しいことがあるのか」
「まず一つに、これら臓物は肉に比べて腐りやすいのです」
内臓は血と栄養の塊だ。それは言い換えると、腐敗が進みやすいということ。
肉食動物というのは、獲物を狩ると真っ先に内臓から喰らうと聞いたことがある。それは内臓が最も栄養のある部位というのが一つ目の理由で、腐りやすいから先に食べるというのがもう一つの理由らしい。
冷蔵冷凍技術が発達し、その日のうちに遠方へ運ぶことの出来る未来であれば可能かもしれないが、この時代に他国へ流通させるのは難しいだろう。
「外向けには出せぬか」
「元より滋養に溢れたものにて、薬として家臣領民で消費するか、彦根のご城下や鳥居本など近隣の宿場にて旅人に供する食材としてご活用になればよろしいかと」
「なるほど。名物目当てに彦根や鳥居本で泊まる者を増やし……」
「さすれば商家などに金を落としていきましょう。藩はそこから税としてお取立てになれば」
未来の大都市だと、わざわざ現地に行かずとも各地の郷土料理なんてものを食べることは難しくないが、それでも旅行や出張に行ったときは、現地で地のものを食べたくなる。
仙台に行けば牛タン、広島に行けばお好み焼きなどなど。ましてもつ料理に関しては
「相分かった。それで、もう一つの難点とは何かな」
「元々これらは彼の村の者たちの大事な食糧でございました。売れるから、旨いからと取り上げては、彼らの食うものが無くなってしまいまする」
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