限りある資源の有効活用

<前書き>

本話では身分差別の話が出てきますが、時代背景に沿った形で書かせていただきます。何卒ご了承ください。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「計り知れない労苦……でございますか」


 牛の数を増やし、その肉を商用に用いるという直幸公の考えは、この時代にあっては画期的なものだと思うけど……口で簡単に言えるほど易いものではないぞ。木俣殿は自分で育てているわけではないから知らぬのも無理はないが、正直効率が悪いんだよな。


「詳しい話は実際に育てている場でご説明したほうが早そうですね」



 ◆



「これは広いところで飼っておりますな」

「我が藩にとって大事な産物ですからな」


 何故牛の飼育数を増やすのが難しいか。その説明をするためには実際の現場を見たほうが早いだろうということで、木俣殿と共に飼育している牧へと足を運んできた。


「これは御家老様」

「こちらの藤枝殿に牛の飼育に関する知見をいただくために参った。案内を頼む」

「それはお役目ご苦労様にございます」


 牧を管理する藩士が出迎えてきた。飼育自体は村の者が担っているが、藩の管理する事業であるから、役人がいるのはおかしな話ではないな。


「早速ですがいくつかお伺いしたく」

「何なりと」

「まず、牛に与える餌でございますが、如何ほどの量になりましょうや」

「そうですな……その大きさや年、子を宿しておるかにもよりますが、草などは少なくとも日に四、五貫目ほど与えております」

「そんなにもか……」


 その量を聞き、木俣殿が驚いている。あの個体の大きさを見れば納得だが、牛という生き物は人に比べて大食らいなのだ。


「育てるこの牧の広さについては」

「生えている草も食むゆえ、あまり狭いと上手く育ちませぬが、この数に対してこの広さなれば十分かと」

「もし今より育てる数を増やすならば」

「牧を広げていただいたほうが宜しいかと」

「土地も必要か……」


 牛という生き物は、育てるのに大量の餌を必要とし、豚や鶏などの一般的な家畜の中で最も生産効率が悪いと聞いたことがある。


 それは食肉となるまで年単位の時間をかけて育て上げた末に得られる肉の量に対して、必要な穀物や草はその十倍は下らないという理由だ。だとすれば、人間が直接食べるものを植えたほうが効率は良いということになるからね。


 それでも未来に至るまで牛肉が生産されているのは、その価値が非効率による損失を上回っているかららしい。それは販売益とかそういう点も含まれているのだろう。


 ただ、日本という国は人間の数に対して可住地面積が狭い。アメリカやオーストラリアみたいに広い土地で大規模に営むならばスケールメリットもあるだろうが、この国でそれを成すのは難しい。


 高く売れるからと牛の生産とその餌の栽培ばかりしていたら、万が一のときに人間の食べるものが無い……なんてことになりかねないからね。




「それは困りましたな。殿はかなり乗り気のようで。藤枝殿、何かよい策はございませんかな」

「そうですな……あるにはありますが、そのためには現状を知りたいと思います。出来ますれば飼育や屠殺を担う者のいるところへ案内をお願いできますかな」

「え……? 直接……でございますか?」


 藩士の方に村の者のいるところへ連れていってくれとお願いすると、不思議そうな顔をされた。


 まあそれはそうか。身分を考えたら、俺が直接声をかけるべき相手ではないということだろうな。


「藤枝殿、この村の者は穢多えたにございますれば……」

「牛の話を知るならば、実際にその手で担う者に聞くのが一番早い。左中将様のご依頼なれば、この程度のことは何ということはありません」




――穢多


 江戸時代の身分制度として、士農工商なんて言われ方をしていた時代もあるが、実際はそんな制度や法律があるわけではない。農工商に上下があるわけではなく、支配する侍と支配される平民。それだけのことだ。


 しかし、それとは別に士農工商の枠に入らない、平民より下という身分の者が存在する。それが穢多や非人と呼ばれる者たちである。


 穢多の名前の由来は諸説あるが、その字の通り穢れが多い仕事を担う者を、何時の頃からかそう呼ぶようになったらしい。


 牛馬の処理、皮製品の加工や製造といった仕事は、殺生を禁じる仏教や神道において正に穢れが多い仕事。故にここ彦根でも、牛の飼育から屠殺、皮の加工まで、作業は全て穢多階級の人が担っている。


 そして俺は今、穢多階級の"人"と言ったが、残念ながらこの時代では他の平民と同等の扱いすらされない存在であり、それがごく当たり前の認識だったりする。


 実を言うと俺は学生時代にスーパーの精肉売場でバイトしていた経験があるので、食肉加工を穢れた仕事と言われるこの時代の常識に対し、そりゃないだろと思っているんだけど、安永の世にあってはそういう考え方をする者の方が異分子なんだよな……


「なりませぬ。我らが主に叱られまする」


 だから家臣にしてみれば、主の招いた客人に何をさせたのだと怒られる懸念があるわけで、渋い顔をするのはもっともだろう。


「ご懸念なく。左中将様には私から仔細をお話しします。皆に迷惑はかけませぬ」

「……そこまで仰せならば」


 とはいえ頼まれた以上は何か成果を出したいし、俺の頭の中ではあれこれと活用できそうなものが浮かんでいるので、試す価値はあると踏み、構わないからと頼むと、藩士の方は本当に大丈夫か? といった顔で俺を村の者がいる小屋へと案内してくれた。




「これはお役人様」

「今日は殿の大事なお客人が其方らの話を聞きたいとお越しになっておる。くれぐれも失礼無きように」

「お殿様のお客人がこんなところへ?」


 小屋に入ると何人かの村人が牛の解体作業をしていた。


「臭い……」

「木俣殿、ここはそういうところでございますよ」


 と言ってはみたものの、想像していた以上に臭い。獣の臭い、血の臭いが容赦なく鼻に突き刺さってくる。


 観光牧場や動物園で乳搾りや餌やりなんかをした経験はあるが、今思えばあれは飼育員や清掃員が客を迎えるために丁寧に清掃や脱臭を行った状態なのだ。ここでは最低限自分たちが困らない程度に整理整頓されていればいいんだからな。家畜を飼う以上は臭いもするわ。


「あの、お侍様。ワシらは何かしてしまったのでしょうか」


 俺が現れたことで村の者も不安そうな顔をしている。普段は牧を管理する藩士相手にも平身低頭で接しているだろうから、その人がヘコヘコしているのを見れば、誰と分からずとも自分たちが関わるような身分の人間ではないと直感しているのだろう。


「心配要らぬ。叱りにきたわけでもないし罰を与えに来たわけでもない。牛の処理をどうやってやっているか、それを聞きに来た」

「牛の処理……でございますか?」


 村人に皮を剥いだ後の残りの肉はどうしているのかと聞けば、血をよく洗い流した上で藩士に渡しているようだ。


「木俣殿、相違ございませぬか」

「間違いではありませんが、あまり大きな声では……」

「ご心配なく。漢方には薬食同源という言葉があり、これに基づけば滋養に溢れた牛の肉はまさに薬を飲むに等しき効用がありまする。あくまでこれは薬の増産を図る行いでございましょう?」

「さ、左様左様。これは薬にございましたな」


 俺は肉食肯定派だけど、それでも肉食を勧めるのは、食事の質を変えて滋養を養うという医学的見地に立った処置だと謳っている。建前も建前なのは承知しているが、牛肉を流布しようとするのであれば、今のところ薬であるという名目は外せないだろう。


 幸いにして関わった方々が身をもってその効用を証明してくれたから、今回の井伊様のように俺の提言に一理ありと認めてくれる人が増えてきたが、仮に俺が最初から食用を前面に出して広めようとしていたら、大バッシングだったろうな。


「つまり、肉はあらかた藩に納めておるということだな」

「その通りです」


 そして話を進めてみれば、反本丸に使用されているのは主にロースやサーロイン、ヒレと呼ばれるあたりで、ばら肉などのその他の部位を藩士たちが美味しくいただいているらしい。俺が肉の部位に詳しいのはバイト時代に売場のマネージャーから色々レクチャーされた経験のおかげだ。


 当時はただの学生バイトに何でそこまで……と思っていたが、まさかその経験が藤枝治部になってから生かされるとは思わなんだよ。


「それ以外の部分はどうしておる」

「あ……えー、捨てておりますが……」

「全てか?」

「いや、その……」

「先ほど申した通り叱りに来たわけではない。どのように扱っているか、包み隠さず申してみよ」


 もう一度言うが、俺は精肉売場でバイトしていた。それが何を意味するか分かるだろうか。


「もしかしたら、処理した後に骨に付いていた肉などを食してはおらぬか」

「あ……え、ええ。骨に近く、塊で取ることの出来ない端肉などは……」

「あとは臓物や骨あたりであろうか」

「お侍様がどうしてそれを……」


 どうだろうなあと思いながら聞いてみたらあったよ。俺が活用出来るかもと考えていたものが。


 そうさ、牛の可食部はロースやサーロインのような高級な部位だけじゃない。飼育数を増やすのが難しいなら、食べられる部位を余すところなく消費しましょうってことだよ。

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