仲良しなダンスィとジョスィ
――安永九(1780)年秋
「よろしくお伝えくださいませ」
「委細承知仕ってございます」
新帝即位を祝う使者の供として京へ上る日が近くなってきたある日、俺が田安邸を訪れると、因子様から手紙と言付けを頼まれた。
その相手とは近衛家の現当主であり、因子様の弟君にあたる内大臣
「義父上も義弟殿も因子が懐妊しておることを聞き、詳しく話を知りたいところであろう。状況をよく話し、懸念無きようにと伝えてくれ」
目出度いことに今年の夏に因子様の第二子懐妊が判明した。嫡男誕生から七年近く経ち、中々次の子が生まれなかったことから、そろそろ側室を……なんて話が現実味を帯びて来たところでの朗報であった。
子供の数は多ければ多いほど良いという時代だから、いずれ側室を娶ることにはなるだろうが、治察様と因子様は政略的な縁組であるのに周囲が羨むほどの仲の良さなので、それより前に二人目が生まれたのは僥倖であったと思う。
そして、当然ながらその話は生家である近衛家にも伝わっている。とはいえ文による知らせだけで、実際にその目で様子を見るとか見舞いに来るなんてことは不可能なので、俺が厄介になるついでに江戸での暮らしぶりをお伝えするわけだ。
「御意にございます。治察様がどれほどご寵愛になられているかをよくお伝えいたしましょう」
「治部、余計なことまで言わんでもいいぞ」
惚気話……と言うと言いすぎだが、田安家が因子様を丁重に扱っているということを詳しくお伝えすれば近衛家の皆様に安心してもらえると思う。なにしろこの時代は嫁に迎えたらこっちのものだくらいに粗雑な扱いをする家も少なくないから、それが世の常とはいえ、実父実弟の立場であれば気がかりなところだろう。
そういう事例がつい最近もあったからね……
「治部~来ておるのか~」
そんな感じでしばらく治察様たちと都入りに際しての打合せをしていると、元気な
「若様! 走ってはなりませぬ!」
そして、それを追いかける足音と共に、今度は
悪ガキたちのお出ましのようだ。
「寿麻呂様、そのように慌てて如何なさいましたか?」
現れたのは田安家の嫡子寿麻呂様、御年八歳。未来だと小学校に上がったくらいのやんちゃ盛りなお年頃だ。
「治部が最近屋敷に顔を見せぬゆえ、退屈しておったのだぞ」
「それは申し訳ございません。なにぶんあちこちの大名家などに顔を出す用事がございましてな」
「ハァハァ……そうですよ若様。今もお義父上様と大事なお話の最中。邪魔をしてはなりません」
そして遅れてやって来たのは、寿麻呂様の許嫁となった島津重豪公の御息女篤姫様。一橋が取り潰しとなったことで嫡子との婚約は破談となり、代わって寿麻呂様の元へ嫁ぐこととなったため、田安邸で共に養育されているのだ。
「篤姫様もお久しゅうございます。しばらく見ぬ間に一段とお美しくなられましたな」
「嫌ですわおじ様、そういう誉め言葉は私などにではなく、お姉様にかけてあげてくださいませ」
篤姫様は俺のことを、「甘藷のおじ様」と呼んでいる。たしかに義父の妹の旦那(予定)だから、系譜的には義叔父で合っているには合っているが、二十歳そこそこでおじ様呼ばわりは何かしっくりこない。しかもその流れなら同じくおば様と言われるはずの種は、なんでかお姉様呼びなものだから余計に納得いかないんだよな。
鱈ちゃんなら、鰹も若布も兄ちゃん姉ちゃんのはずなんだが……
「寿麻呂、どうせまた治部に菓子でも作ってもらおうとせがみに来たのであろう」
「違いますよ父上。於篤のためにでございます」
「若様、そうやって姫をダシに使うのはいかがなものかと」
複雑な事情で婚約となった二人だが、意外と相性は悪くない。
将軍家一門の嫡子として生まれ、後生大事に育てられた寿麻呂様はよく言えば大らかな感じで、年相応に子供らしい子供と言えるのに対し、篤姫様は一橋邸で雌伏の時間を過ごしたこともあって、見た目以上に大人びてしっかりした印象の姫様だ。
なので、普段から自由気ままに振舞う寿麻呂様を、篤姫様が都度窘めるといった具合だ。同い年のはずなのに、なんとなくお姉ちゃんが弟の面倒を見ているような雰囲気である。
こういう場合、言われたダンスィのほうは「うるさいな~」と煙たがりそうなものだが、そこは将来のお殿様として教育を受けている寿麻呂様だ。篤姫様がちゃんと自分のことを見てものを言ってくれることを十分に理解しているし、その後のフォローもしっかりしてくれることを分かっているから、こうして姫のためにと何かをする気遣いを欠かしていない。
そこには、因子様から「姫を大切にするように」とキッチリ言い聞かせていることも大きい。なんでも縁談を重豪公から持ちかけられたとき、治察様より因子様のほうが前向きで、姫が田安邸に入ってからも何かと目をかけ、今や実の母娘以上に母娘らしくなっている。
さらに言えば、寿麻呂様と篤姫様に共通する好物が甘藷だったことが、二人が仲良くなる大きなきっかけになった。
田安では日ごろから甘藷が食卓に上がる。それこそおかずとしてもおやつとしても食される定番の食材なのだが、一橋では出されたことが無かったらしい。そこには、田安家が広めているものを食卓に出して勘気に触れては敵わぬという家人たちの忖度もあったのかと思う。
しかしだ、篤姫様はその甘藷の一大産地の生まれである。食べた経験は幼い頃のうっすらとした記憶しか残っていないが、それが薩摩にとって大事な食べ物であることは重々承知している。食卓に上がらないだけならまだしも、野暮な食い物として悪し様に言われれば面白くはないだろう。
それが一転、田安邸に来てみれば、初日から甘藷が膳に上がっていた。最初は薩摩生まれの自分を気遣ってのことかと思ったようだが、田安家の面々が文句一つ言うこともなく当たり前のように口に運んでいくのを見て驚いたらしい。
そして寿麻呂様が甘藷が出たことを殊の外喜び、パクパク頬張っては美味しい美味しいと言って、自分にも美味しいからお食べと勧められるに至り、篤姫様は泣き出してしまったのだとか。甘藷を美味しそうに食べる姿を見て、何となく薩摩生まれの自分自身が認められ、受け入れてくれているのだと感じたらしい。
当然ながらそんな理由で泣かれるとは思わなかった寿麻呂様は、何か粗相をしてしまったかと大いに焦ったようだが、事情を聞くと篤姫様の頭をそっと撫で、「ここでは好きなだけ食べていいからね」と慰めたが、それが余計に姫の涙腺を崩壊させたのは今では笑い話となっている。
というわけで、この二人は何かにつけて一緒に甘藷を食べている。将来の殿様と奥方様が仲睦まじくおやつで十三里にかぶりついている姿は、一見シュールにも見えるが、家中の者からは微笑ましい光景として映り、その仲の良さを知らぬ者はいない。
とはいえ、毎回十三里というわけにもいかないから、日によって供される菓子は変わる。
大学芋にポテチにおさつチップス、あとは
それは篤姫様のためにという言い分であり、その言葉通り最初は姫に食べさせているのだが、最終的には若様のほうが多く食べてしまって、姫も良かったらどうぞと残りを差し出すのだ。一度姫様に良いのですかと尋ねたのだが、若様が美味しそうに食べているのを見るのが好きなのですと、なんともお姉さんな発言をしておられたのが印象的だったな。
「というわけで治部、何か新しい菓子はないか?」
「若様、人の話聞いてませんね……」
何がというわけなのか分からんが、手札はまだまだあるにはある。ちょうど近衛家への手土産にと考えていた"アレ"があるから、ここで試しに披露してみるか……
◆ ◆ あとがき ◆ ◆
"アレ"が何かは京都に行ってからのお楽しみです。
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