ロシア、蝦夷地に来てるってよ


――安永八(1779)年秋


「やはり来ていましたか……」


 と、さも訳知り顔でそうなることを見越していたかのように話を聞いているが、実は俺も驚いている。


 ロシア船が蝦夷地、それも北海道本島に寄港していたというのだ……



 ◆



「……という次第にて」


 その報告を行ったのは、長谷川平蔵殿の遣いで江戸に報告のため戻ってきた、普請役の青島俊蔵という方だ。俺は家基様や田沼公と共にその報告を聞かされたのだ。


 なんで平蔵さんが? と思うかもしれないが、巡検使というのは若年寄を責任者として、その支配下にある使番1名を正使、小姓番と書院番から各一名を副使として派遣するのだ。つまり、使番の職にある平蔵さんが今回の正使なのだ。


 使番とはその名のとおり、かつては陣中での伝令や敵軍への使者などを務めた役職であるが、戦乱の世が終わると、目付とともに官吏たちの業務を監督する立場となり、長崎や佐渡などの遠国奉行や各地の代官のように江戸の外にあって職務に就く役人や、江戸市中における大名火消・定火消の監督のほか、今回のような諸国巡見使の任を担う職である。


 分かりやすく言えば監察官だな。杉下○京さんが主人公のドラマで言うところの大○内さんよ。逆に分かりにくいとか言うな。


 おそらくだが平蔵さんが使番に就いたのは、その諜報能力を買われてのことかもしれない。史実では凶悪犯を捕らえるために使われたそれが、この世界では内部統制のために使われることとなったが、まさかいきなりの大手柄となったわけだ。




 巡検使の派遣はあのときの話の中ですぐに決まった。


 もちろん船の手配や要員の人選諸々の準備があるからすぐの出発とはいかないが、それでも雪が解けて探索が始められるであろう四月頃までには現地に着いて活動を始めるというスケジュールは、事の重要性を考えれば家基様や田沼公の即決果断であると言えよう。グダグダと無駄な議論ばかりに時間を費やし、何も決めることの出来ないどこかの政治家に聞かせてやりたいくらいの早さだ。


 これで驚いたのは松前藩のほうだ。急にお上が監察に行く、期日は二カ月後だと言われれば、慌てふためくのも無理はない。しかも理由が八年前に送られた正体不明の異国人の書簡の真偽を確かめるというのだから、向こうにしてみれば「あれれ~、おかしいぞ~」と、どこかの少年探偵みたいに疑問を持つであろう。


 幕府はあくまで蝦夷地の実情や地理を確かめるという名目だが、理由が理由だけに自分たちに疑いの目が向けられているのでは? と思ったのか、応対の準備をしたいから翌年まで待ってくれないかと渋ったらしい。まあ田沼公がそれを許すはずもないんだけどね。


 で、無理を言って松前に乗り込んだわけだが、最初は和人地の視察ばかりだったとか。松前藩の藩政査察ということもあるから、それも職務のうちなのだが、視察とは名ばかりで、宴席など饗応の場に招かれることがほとんどだったとか。


 一番の目的はその外にあるアイヌの人々の暮らしを見ることであり、交易の実態を調べることなので、平蔵さんがその旨を伝えるも、松前の者たちはアイヌ人は野蛮なのでみだりに近づいては危ないと言って彼らとの接触を認めず、お役目であることを盾に、たまたま松前にやって来ていたアイヌ人と話をすることが出来たものの、向こうの言葉が分からず、間に松前藩の通詞を介してのやり取りだったため、収穫は無かったと言ってもいいくらいであったらしい。


「そのため長谷川様は夜陰に紛れて秘かにアイヌ人の宿舎に向かわれまして」

「言葉も分からないのに?」

「いえ。松前に来る者には、僅かながら我らの言葉を話せる者もおります」


 どうやら平蔵さんは松前藩の通詞が訳す言葉に違和感を感じていたようだが、そのときアイヌの人たちが困惑したような、悲しそうな表情をしていたのに気付き、彼らが自分たちの言葉を正確に伝えてられていないと分かったのではと直感したらしい。それで直接話せば意思疎通が図れるかもしれないと思い立ったようだ。


 そして案の定、会って話してみれば片言ながら日本の言葉の意味を理解し、話すことも出来るのを知ったとか。恐るべき直感力だな。


「その話で、先年ロシア船が蝦夷地に参り、交易を求めてきたという事実を知りました」


 アイヌの人たちは国家的な統治機構が無いため、当然ながらそれに対応する言葉というものが無い。なので相手がどういった素性なのかは漠然としたものらしいが、その風貌を聞くにロシア人であることは間違いなかったようだ。


「そのこと、松前は承知しておるのか」

「承知も何も、すぐには答えられないから来年また来るようにと言って追い返したのは松前藩の者だそうで。しかも幕府に判断を仰がねばならぬという理由で」

「御老中?」

「聞いとらん」




 ロシア人がやって来たのは、松前とアイヌ人が交易を行う場所の一つである"アッケシ"という港だという。


 青島殿の話から推測するに、おそらくそれは未来で言うところの厚岸町。釧路と根室の中間くらいに位置する港町だ。


 何でそんな地名を知っていたかというと、厚岸駅の名物駅弁で「かきめし」というものがあることを知っていたからだ。


 北海道の駅弁と言えば森駅の「いかめし」が一番有名なんだけど、全国各地の百貨店やスーパーの催事で駅弁大会が開催されると、長万部おしゃまんべの「かにめし」や厚岸の「かきめし」も比較的高頻度で出店しているので、その筋の人にはまあまあ知られていたりする。実際に現地へ行ったことは無いんですけどね。




 そして先年に来航があった事実を知ってからしばらく後、本当に再度の来航があったのだとか。


 当初、松前藩は巡検使に気づかれぬよう、内々に処理しようと企んでいたようだが、あの平蔵さんのことだ、役人たちがバタバタしているのを見て何かあるなと察し、強権を発動して松前の者たちと共に船で厚岸に向かったのだとか。


 するとどうであろう、現地には金髪碧眼で毛むくじゃらの熊……ではなく、ロシア人と思しき西洋人がいたという。


「しかし……どうして松前は来年また来るようになどと申したのか」

「これは長谷川様の推測ですが、そこで断って争いになるのを避けるため、追い返す口実にしただけではないかと」

「来るかどうかも怪しいから適当に追い返したら、本当に再び現れたと」

「そのようでございます」




 ロシア人とのやり取りは困難を極めたらしい。


 何しろお互いに言葉を知らない。やり取りはロシア人から彼らに同行した千島に住むアイヌに伝え、千島のアイヌが厚岸のアイヌに通訳し、厚岸のアイヌが平蔵さんに伝えるという、ほぼ伝言ゲーム状態。


 何日もかけてやりとりをして、ようやく彼らが交易を望んでおり、去年もそのためにやって来たのだが、すぐに答えられないから翌年に再び訪れよと言われたので、それに従ってやって来た。ということが判明したようだ。


「長谷川殿が、『治部少輔殿が居ればもう少し容易に解せたかもな』と零しておりました」

「私もロシアの言葉は知りませんよ……」


 平蔵さんにしてみればオランダ語もロシア語も理解できない異国語という一括りなのだろうが、俺だってロシア語は知らん。知ってるのはハラショーすばらしいとかスパシーヴァありがとうとか、あとはピロシキ、ボルシチ、ウオッカくらいだぞ。




「して、報告では平蔵自ら交易は丁重に断ったとのことだが」

「はっ。いずれそういう未来が来ることがあるにせよ、現時点においては国禁を犯すもの。こちらも蝦夷地の探索に着手したばかりで受けるという選択肢は無いと」


 賢明な判断だ。平蔵さんも僅かながら俺の考える展望を聞いているから、ロシアと交流する可能性も視野に入れての探索であることは知っているが、今の段階でそこまで進めようとすればハレーションが大きいし、何より平蔵さんだけで決められる話ではないからね。


「詫びではございませぬが、彼らが求めていた食料や日用品などを贈り物として渡しております」

「その程度は致し方あるまい。下手に争いにするわけにもいかんからな」


 ロシア人たちは交易を拒絶されたことには落胆していたものの、物資を贈られると喜んで帰って行ったとか。その様子からも高級品や嗜好品などの交易のための交易品はもとより、自分たちが極東で暮らしていくための生活必需品を求めての交易である可能性は高いな。




 しかし……話が上手いくらいに進みすぎているな……


 ロシア人が来航していることが判明した以上、蝦夷地探索が喫緊の課題となったのは事実。なんだけど……もう少し時間に余裕があると思っていたから、今回の一件には驚きを隠せない。


 この先、蝦夷地をどうにかしなくてはいけないのは間違いない。だからこそ、ロシアのことを調べて領土問題に警鐘を鳴らそうとしていたわけだし、田沼公もその必要性を感じたから探索を始めたわけだが、今回は急ぎの支度だったから、まずは雰囲気を掴むくらいの意味合いだった。


 松前が怪しい動きをしていた形跡については、ついでに何かを掴めれば御の字くらいだったのに、去年のうちにロシア船が来航しており、それを幕府に報告せず隠していたという、初手から大失態が発覚してしまったわけだ。


 個人的にはもう少し穏便に探索が進めばと希望するが、これは松前を徹底的に調べ上げる流れになりそうだな……



◆ ◆ あとがき ◆ ◆


ヤクーツクの商人ラストチキン(美味しそうな名前だ)が日本との交易を企図し、部下であるシャバリン(宇宙刑事はシャリバンだ)、そして皇帝エカチェリーナ2世の勅書を携えたイワン・アンチーピン(ゴルフ好きと麻雀好きには親近感の湧く名前だ)という貴族を乗せて前年とこの年に厚岸に来航したのは史実のお話です。

ご都合展開を加速させるために創作したわけではないので念の為の補足です。

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