【他者視点】大府卿、論陣を張る(徳川治察①)

「此度の企みに加担した者は五十名を超えます」

「それほどか……」


 政変を鎮めて数日後、私は上様に招かれ、老中たちと共に評定に参加した。


 とはいえ、もう一方の当事者である一橋は代理の者だけで彼奴は来ておらぬ。おおかた責め立てられると考え、家臣に丸投げなのだろう。


「これは主体的に同心した者のみにて、事情が分からず巻き込まれた者を含めれば、その数は更に増えましょう」


 目的を明確に知りながら加担した者は、沙汰あるまで全て蟄居謹慎となっていると主殿頭は淡々と語るが、数が多すぎて時間がかかりそうだな。


「して、処分は如何様に」

「されば阿部、酒井、秋元の三名のほか、先に申し上げた者は改易が妥当かと」

「それだけの数を一気に処分すれば、浪人が溢れ、世情が乱れる恐れが……」

「されど、これは避けては通れぬ道ぞ」


 上様の下問に田沼が改易を口にすると、他の幕閣から懸念を示す声が聞こえたが、そんな弱気では困ると、私はその声を即座に否定した。


 たしかにこれほどの家が取潰しとなれば、浪人が溢れることになる。だが、ここで信賞必罰を示さねば、将軍家の威光は地に落ちると言っても過言ではないのだ。


「これは謀反である。三河以来の譜代であっても、処分無しはあり得ぬ」

「しかし……」

「人によって法が曲げられるのなら、法は法でなくなる」


 幕府が大名を統制出来るのは、その威光があってこそ。しかし今回の騒動により、それに陰りが見えている中、残った者をまとめ上げて引き締めを図らねば、国を統べることは難しい。


 それこそ身内に甘い処分で済まそうとするならば、外様はおろか、譜代ですら将軍家を軽んじることとなる。


「大府卿様の仰せのとおり、これは幕府の屋台骨が揺るぎかねない大事にござる。此度罪を問われる者の中には、各々方の親類縁者もいることであろうが、庇う者あれば同じく二心ありと見なさざるを得ん」


 私の言葉を受け田沼が群臣に断言すれば、誰もそれ以上口を出すことは出来ない。


「加担した者の処分については取り調べを進め、然る後にお沙汰を」

「うむ。そちらは主殿頭に任せる。して、一橋は如何いたす」




 そう言うと、上様は座の端で縮こまっている男に胡乱な目を向けた。戸部尚書の代わりに参上している一橋の家老だ。


「上様、まずは申し開きを聞きませぬと。疑いだけで処断して同列に論じられては敵いませぬ」

「大府卿の申す通りじゃな。されど戸部尚書がここにおらぬは如何なることか」

「されば……我が主は全く与り知らぬ話にて、斯様な疑いを向けられ非常に困惑しております」


 全ては豊後守たちが勝手に引き起こしたことであり、自身は何の関与もない。何も知らないからこそ、屋敷にあって移り変わる事態に戸惑うばかりであったという。


 が……その様子は額に大汗をかき、返答はしどろもどろ。そもそも御三卿の家老職は旗本の役職の一つでしかなく、彼自身は一橋の直臣ではない。むしろ面倒なことに巻き込まれたくらいに考えているのかもしれない。


「お取り調べにより、此度の首謀者は戸部尚書との証言もあるが」

「それは、罪を逃れたいからとその者が偽りを……」

「ほう……ではこれは如何かな?」


 惚けるなとばかりに、田沼が小納戸役の長谷川平蔵と申す者が調べた調書を突きつけた。


 その平蔵とやらは、以前定信が推挙してきた男だ。


 家臣に聞けばあまり素行の宜しくない男で、進物番の上役と揉めたとか聞くが、弟は我らにはない才を持つ者だからと、不思議なほど推してきた。


 以前ならそんな話を聞く気にもならなかったが、田安はその風変わりな才能持ちが富と幸せをもたらしたから、弟がそう言うのならばと、大納言様付きの小納戸に据えたが、大仕事をやってくれたものだ。


「これは……」

「戸部尚書殿は此度の騒動を起こした大名や旗本と頻繁に接触していたようですな」

「当家にとって、大名や旗本の家中が出入りするのは常のこと。それを以て我が主が教唆したという証にはなりますまい」


 その顔は焦る色が少し見えたが、さすがにあの男が身代わりに送ってきただけあって、襤褸ぼろを出す前に証拠足り得ぬと突っぱねてきた。


 あくまで白を切り続けるつもりだな……


「真に一橋は関与しておらぬと」

「如何にも」

「左様か」


 私がこれ以上の追求は無理かなという空気を出した瞬間、一橋の家老がホッとした顔が見えた。


 ……なんて許すわけがないだろうが。


「ならば上様、証人を招き入れたく」

「証人とは」

「戸部尚書の関与を明らかに出来る者です」

「良かろう。これへ」

「薩州殿、入られよ」


 私の声に促され、隣の部屋につながる襖が開けられた。


「島津薩摩守、お呼びにより参上致しました」



 ◆



 全ては決着した。


 薩州が全てを証言したことにより、今回の首謀者が戸部尚書であることは明白となり、顔面蒼白の一橋の使者は、両脇を小姓たちに抱えられたまま退出していった。


「後は奴が白状するかどうかだな」

「自白するとは思えませぬ。されば、察斗詰さっとづめでやむを得ないのでは」


 本来、罪を問うには本人の自白を必要とするため、白状しない下手人は拷問にかけられる。


 中にはそれでも白状しない者がいるが、証拠や証言によって罪が明白な場合、町奉行から老中に伺い出て自白無しで死罪とすることが出来る決まりが察斗詰だ。


 しかしこれは特例中の特例。そして武士にこれを適用した者は過去に一人もいない法だが、私は敢えてそれを適用せよと進言した。


 ここが勝負の大きな分かれ道だからな……


「主殿、如何じゃ」

「されば、左少将殿より遣いが参り、如何なるご処断であれ越前家は異議は申し立てぬ。とのことにて」


 越前の左少将こと、福井藩主・松平重富。叔父宗尹の三男であり、戸部尚書の同母兄だ。どうやら今回の変事を聞き、急ぎ使者を立てて身の潔白を示したかったのだろう。


 福井藩は家康公の次男、秀康公以来の名家だが、当時の経緯やその後に相次いだお家騒動で、御家門でありながら幕府に睨まれている。養家に入ったとはいえ、実の弟が引き起こした事態に巻き込まれては敵わぬというところか。


 身内にも見捨てられた格好だな……

 

「黒田は」

「兄である左少将様がそう仰せなれば、筑前殿も同意するほかありますまい」


 治済にはもう一人、筑前福岡藩主・黒田治之という弟がいるが、兄の左少将がそう言うのならば同意せざるを得ないはず。


「上様、こうなった以上、最後は徳川の者として少しでも役に立ってもらいましょう」

「その死をもって、諸侯に二心無きよう精励せよと訓示するか」

「御意。彼の者だけ生かしておいては、身内に甘いと誹られましょう」


 実の兄弟が庇う可能性が無いと分かれば、このまま話を進めて構わないだろう。まるで私がそれを進言するを見越して、お膳立てしていたかのように感じる手回しの良さは多少気になるがな……


 だが、後々の禍根をここで断つことが出来るのならそれでいい。たとえ田沼がそういう筋書きを書いていたとしてもな。

 

「仔細は主殿に任せる。沙汰あるまで自害させぬよう、厳しく監視の目を付けよ」

「御意にございます。さればもう一つ、薩州殿は如何なさいます」

「如何とは?」

「戸部尚書様の義兄にして、豊千代君の義父にございますれば、何の関与も無いとは思えませぬが」




 やはりそうか。この男、これを良い機会と薩摩も巻き込む気であったか。懸念した通りになったな。


「待て。薩摩守はむしろ一橋に自重を促していたのだぞ」


 幕閣の誰かがそういうことを切り出したのならば、必ずや島津を庇う。これは父上や外記と打ち合わせの上だ。


「薩州とて身内も同然の男を糾弾するは苦渋の選択であったはず。されど幕府の安寧のためにと、田安を頼って参ったのだ。これを罰しては我らの面目が立たぬ」

「されど、関わりがあるのならば無罪放免には」

「主殿、これは司法取引と申す」

「司法……取引?」


 これは外記の知識によるものだが、西洋では組織的な犯罪の加担者を捕えたとき、企みの全容を明らかにさせる代わりに、その者の罪を減じるという考え方があるのだとか。


「此度の仕儀にあっては、薩州の証言無くば戸部尚書の罪は問えず、蜥蜴の尻尾切りになるところであったのだぞ」


 内心は分からないが、今回の島津は一橋の野心を知るも、同心はせずに我らにその凶事を知らせたということになっている。それでも罪を問うのであれば、今後同じ手は二度と使えないし、外様に協力を求めることも難しくなるのだから、罰するは下策と言えるだろう。


「信賞必罰。罪ある者を罰し、功ある者を賞す。譜代であれ外様であれ、これは信の礎であると考えるが?」

「主殿、余も大府卿の申すとおりであると思うぞ」

「御意。薩州殿の処遇については大府卿様に一任致します」


 これ以上やりあって上様や私の心象を悪くしたくないのか、思いの外田沼があっさりと引き下がった。こちらは島津を庇うことが出来ればそれで良いので、とりあえずは落着であろう。


「主殿頭、もう一つ其方に申し置くことがある」

「承りましょう」


 だが、掌で踊らされるばかりでは私が面白くない。もうひと押し釘、それも特大のものを刺しておきたい……




「此度の変事の要因、主殿頭は何処にあると考えるか」

「……戸部尚書様の野心でございましょう」

「それだけでこれ程多くの者が同心するかのう」

「では他に何か理由が?」

「全ては其方のやり方の拙さにある」


 秋元摂津守は元より、阿部豊後守、酒井播磨守が反旗を翻した理由。全ては田沼主殿頭の専横に全てが詰まっていると言っていい。


「豊後守は備後福山の分家、そして播磨守は若狭小浜の分家。本家に負けぬ家格を持ちたいと願うも、今の御公儀にあってそれは叶わぬ」

「……それだけの能力が無い故でしょう」

「それもある。されど、今の其方の登用の仕方を見ておると、果たして純粋に能力で選んでいるのかと疑わざるを得ない」

「その様なことはございませぬ」

「お主がそう申して、真実それが確かなものであっても、疑う者はごまんといる」


 田沼は周囲を親類縁者で固めている。意思疎通も図りやすく、自身の意向を反映しやすいから、政策を進めるには都合が良い。


 だが、その枠から外れた者にはどう映るか。たとえ能力優先で登用していたとしても専横、幕政を私物化していると見る者は多い。そして権力の中枢から外れた者はすべからく田沼に反発し、政敵となる。


 そして、取り入りたいと願う者はなんとか媚を売りたいと考える。そのために必要なものは……金子だ。それが余計に腐敗の温床と言われる要因となる。


「主殿頭の周囲では、金がよく動き回っているようだな」

「……」

「そう睨むな。別に付け届けの類いを全て否定はせぬ。されど、やり過ぎては其方が本当にやりたいことに対し、聞く耳を持たぬ者が増え過ぎる。再び其方を追い落とさんと企む輩も出てこよう。それは御政道のためにも宜しくないと考えるが?」


 利権に金が絡むと腐敗が進むのはこの世の常。全てを断ち切るのは難しいだろうが、あまりやり過ぎて世間の反発を招けば、今回のようなことになると身に染みたことだろう。


 さあ……どうする田沼?

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