惜別の晴れ姿

<前書き>

第四章最終話です。話の都合上、いつもよりちょっと長めなのでご了承ください。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


「そうか。大儀であった」


 家基様の意識が戻ってから十日ほど経った。


 あれからも桂川さんや千賀殿によって治療は続けられており、俺にも詳報が届いているが、今のところ後遺症で苦しむということも少なく、無事に快癒へ向かっているようだ。


 しかしその代償として、宗武公の身が予断を許さぬ状況となってしまった。




 あの日、俺とは別に登城した宗武公が向かったのは本丸の中奥。つまり家治公の御座所だ。


 半ば強引に対面し状況を具に伝えると、聞いていたことと違うと家治公が激怒。将軍が西の丸へ足を運んだのはその結果であったのだ。


 だが、途中で妨害は散々にあったらしく、宗武公はそれを力技で押し退けた結果、危惧していたとおり心身に負担がかかり、力尽きて倒れたという次第だ。


「して、その後の処置は」


 質問の意図は家基様の容態ではなく、今回の政変に加担した者たちの処遇についてだ。


「されば、まだ取り調べの最中にございますが、阿部、酒井、秋元をはじめ、加担した者は多くが改易、よくて隠居の上で減封となりましょう」

「一橋は」

「某から取り潰しを進言いたしました」

「そうか」




 治察様が吹っ切れた表情でそう語るのは、昨日家治公を中心に幕閣にて今回の処分を決める協議が行われた場での話だ。


 本来御三卿は政務に口出しすることは出来ないが、今回は事態が事態であり、また騒動に巻き込まれた当事者ということで、田安の代表として治察様も加わった。


「戸部尚書は現れたのか」

「いえ、全ては豊後守や摂津守が勝手に引き起こしたことと申し、現れませんでした」


 あの日、家治公に事の次第を最初に報告したのは秋元摂津守ほか一橋の意を受けた一味だった。


 将軍はその報に動転したものの、まずは家基様の治癒を第一とし、事の経緯については追ってよく吟味せよという指示を出したが、連中はこれを曲解して、池原殿を毒殺の下手人としてすぐさま処分しようとした。責任を取って自害したとでも言えばいくらでも誤魔化せると考えたのだろう。


 そして自害したのは罪を認めたからだと理由付け、次いで田沼公を首謀者として幕閣から排除すると共に、家基様がお亡くなりになれば、豊千代君を将軍の後継者にねじ込むという計画だったようだ。


 余計な手を下さずとも、致死量の毒は盛った。御典医たちは手の打ちようがないと処置にもならぬ処置をするフリをして静観すれば、いずれお迎えがやってくると思っていたはず。


 だが、ここで計画違いがあったのは、家基様が毒の対処を俺に教わっていたということ。これにより、あの世からのお迎えの到着が予定より遅くなったのだ。


 そして宗武公が動ける身であったこと。治察様一人であれば、城内で孤軍奮闘するも援軍は来ずになったかもしれないが、生憎と宗武公の命を受けた俺が現れたことで状況が変わり、止めにご本人様はおろか、家治公までお出ましになったことで計画はご破算と相成り、治療が間に合ったわけだ。


「そこまで調べがついておるか」

「されど戸部尚書は自身は与り知らぬ話で、勝手に名を使われて甚だ迷惑をしていると」


 そう、今回の騒動において蠢動していたのは一橋に関係の近い者であったが、当の治済本人は一切姿を見せなかった。


 それは失敗する可能性を見越して、自分は無関係だと言い張るための予防線だったのか、はたまた矢面に立つことを躊躇った末の結果論なのか、真実は分からないけど、どちらにしてもその中途半端な態度が明暗を分けたと言えるかもしれない。


「白を切ったか。自ら首を絞めたの」

「はい。西の丸小納戸役長谷川平蔵の調べ、そして薩州の証言により一橋の関与は明らかにて」




 家臣を身代わりに出して臨んだ一橋は、平蔵さんの調べを聞かされてもなお弁明に終始していたが、そこで切り札として薩州殿、つまり薩摩藩主・島津重豪殿にお出ましいただいたのだ。


 重豪殿は治済の義兄弟であり、豊千代君の未来の義父。一橋の内情をよく知るこの方に助力を頼むのが、俺が進言した策だ。


 外様の力を借りることで幕政に介入する余地を与えてしまうのは難点だが、仮に一橋が天下を取ったとしても、次期将軍の義父という立場になって幕府に大きな影響を与えることになるのだから、大して変わりはないだろう。


 島津の第一は家の安泰であり、そのために将軍縁者と近づく算段をしていたのだから、その目的が果たせるならば相手は一橋と田安のどちらでも構わないわけだ。むしろ甘藷や蘭学繋がりで、田安の方が組むのに家中も理解しやすい。そのあたりを説いて味方に付けたのだ。


「これにより戸部尚書は当分の間、蟄居謹慎。まだ決定はしておりませんが、某の進言に皆頷いておりましたので、厳しいお沙汰が下されるかと」


 将軍一門を廃すとなれば、他の御家門が騒ぎ立てる可能性もあるが、信賞必罰を示し綱紀粛正を図ること、そして何かと不満が溜まっている外様大名に向けても、身内だからとなあなあで済ませるような、自浄作用の無い政権ではないぞと示すことで、むしろ将軍権威の誇示につながるという治察様の発言に、幕閣たちも同意したようだ。


「致し方あるまい。分を弁え、慎ましやかに暮らして居ればよいものを。無駄な野心が身を滅ぼしたな」

「とりあえず後の処置は某が務めます。父上は養生に専念してくだされ」

「だのう。さすがにちと疲れたわ」






<半月ほど後>

 

 懸命な治療を続けたものの、この日の明け方頃から宗武公の体調が急変した。


 俺は日が明けるか明けないかというくらいで田安家に呼び出され、種と共に向かったものの宗武公は昏睡状態が続いており、治察様や定信様、そして通子様や因子様と共にお側で様子をうかがうことしか出来なかった。


「父上!」


 そして遅れることしばらく、最後に松山藩邸から辰丸様、もとい松平中務大輔定国様が見舞いのために田安邸へとやって来たのだが……


 ドカドカと駆け込んで来た上に、病人の前でデカい声。見舞いに来る人間の行動としてどうなんでしょうか?


「兄上、ご容態は」


 定国様はそんな周囲の目など気にする素振りもなく容態を問われるが、治察様は静かに首を横に振る。正直に言って、もう手詰まりに近い状態なのだ。


「なんと……外記! 其方何をしていた! 病人一人治せぬとは、江戸一番の蘭学者が聞いて呆れるわ!」

「よさぬか。如何なる名医とて治せぬ病はある。それくらい分かるであろうが」

「兄上……しかし……」


 気持ちは分かる。親の死に目に会って、平静でいられるほうが珍しい。ただ定国様の場合、俺憎しの私情が前面に出すぎているような気がするのは穿ちすぎだろうか?




「…………辰丸、騒々しいわ」

「殿?」

「父上!」

「お父様……」


 何のお導きか、参集できる家族が全員揃ったところで宗武公の意識が回復した。というか、定国様の馬鹿でかい声で気が付いたのかもしれない。


 たまには役に立つじゃん。面と向かっては言えないけど……


「ったく……揃いも揃って泣きそうな顔をするでない」

「そんなことを仰られても……」

「余は将軍吉宗の子として、立派に宗家を守り抜く力となったのだ。恥じることも悲しむこともない。笑え、よくやったと褒めよ」


 意識が戻ったとはいえ、身体の至る所に痛みが走り、呼吸もままならぬはずなのに、宗武公の言葉は往時のように明朗にして、教え諭すような声をしている。


「通子、其方には長いこと苦労を掛けたな。こんなつまらぬ男の元に嫁に来てくれて、感謝するぞ」

「何を馬鹿な。つまらぬ男であれば、とうに離縁して京に戻っております」

「治察、昔は何度も頼りないと思ったが、此度の仕置は重畳であった。これからも頼むぞ」

「無論にございます。父上は雑事を気にせず、養生なされませ」


 通子様、治察様に続き、因子様に定国様、定信様と、宗武公が一人一人に言葉をかけ、皆がそれに対して感謝の意を述べると、続いてその視線は種の方に向けられた。


「お父様……」

「種、すまんな。其方の嫁入り姿を見ることは叶わないようだ」

「そのように弱気でなんとなさいます」

「其方とて外記に教えを授かっておるのだ。余の容態が如何ほどか、分からぬわけではあるまい」


 種もそのことは分かっているのだろう。気丈に振舞っているが、口元はグッと何かを堪えているようだ。


「……お義母様、お願いを一つ、聞き届け願えませんでしょうか」

「おや、何かしら」

「旦那様もこちらへ」


 種は泣きそうになるのをしばらく堪えていると、何かを思いついたように通子様と俺を部屋の外へ連れ出した。どうやらそのお願いとは、宗武公には聞かせたくない話らしい。


「可能であればでございますが……」






――しばらく後


「それは……」


 願いに従い、とある衣装に着替えて隣の部屋で種とともに横並びで座し、合図とともに襖を開かせると、俺たちの姿を見た田安家の面々が呆気にとられたような顔をしていた。


「お父様、これが種の嫁入り姿にございます」

「……一体、いつの間に用意したのだ」

「殿、私が嫁入りした時の衣装でございますよ」

「ということは、外記の装束は……」

「相済みませぬ。通子様のお許しをいただき、中納言様のものを」

「道理で見覚えがあるわ……」


 俺たちが着ているのは宗武公と通子様の婚礼衣装だ。


 嫁入り姿が見れないというのなら、この場で見せてやりましょうと考え、種が義母である通子様に衣装を借りることは出来ないかというのが願いの中身だ。


「殿は親思いの子に囲まれ、幸せ者ですね」

「そうじゃな、余は幸せ者であるな。それもこれも外記、そなたのおかげぞ」

「滅相もない」

「謙遜するな。子らが健やかに育ち、孫の顔も拝め、将軍家をお守りするという大業を成せたは、其方が居てくれたからこそだ」


 俺は俺でやりたいことを、田安家の権力を使って進めることが出来たのだから、ギブアンドテイクなのだが、そう言われれば悪い気はしないな。




「のう、外記」

「なんでございましょう」

「其方があと五十年早くに生まれ、若かりし頃から余の側仕えであれば、もしかしたら将軍になれる未来があったのではと、時々思うことがあった」

「父上、それは……」

「分かっておる。一橋があのようなことをして直ぐに、こんなことを言っては同じ穴の狢だと言いたいのであろう。だが、今でなければ聞くことは出来ん。のう外記、そうは思わぬか」


 宗武公も将軍の地位を望み、諦めざるを得なかった一人。つまりその機があったら、今回の一橋のようになる可能性もあったわけだ。だからこそ聞いておきたいのかもしれない。


 さて……その問いに対し、俺の答えは考えるまでもなく決まっているのだが、どうやってそれを伝えるべきか……


 その想い、バッサリと断ち切るが上策か……


「されば、無理かと存じます」

「外記、其方父上にその器量が無いと言いたいのか!」

「止めよ辰丸。外記、それは如何なる理由か」

「先人の積み重ねがあってこそ、今の私があるのです」


 俺が引き立てられたのは、ひとえに蘭学のおかげだ。しかし五十年前といえば、ようやく吉宗公が蘭書の導入を認めたばかり。昆陽先生や野呂元丈先生がオランダ語を学び始めたのはさらにその後の話だ。


 それらの積み重ねにより、無から一なり二なりの有が生み出されたおかげで、俺はそれに掛け算をするかの如く有を増やせていけたのだ。


 五十年前では零に何を掛けても零でしかなく、未来知識を活用していきなり有を生み出しても、周りに理解者が全くいない状態では訝しがられるだけで、今のようなムーブメントを作り出せたとは思えない。


「某が今あるのは、今の中納言様がおわすからにございます。色々なものを経験した中納言様なればこそ、某をお認めいただけたものと考えます。五十年前、蘭学というものが海のものとも山のものとも分からぬ時代にあっては、理解されたかは分かりませぬ」

「なるほど、今の余であればこそ、お主を重用する器量を持てたと」

「御意」

「そうか。それはそれで、余も人の役に立ったのだな」


 人の役に立ったどころか、俺にとっては大恩人ですよ。


「父上も褒めてくださるかのう」

「もちろんです。将軍家をよくぞ守ったと、きっと喜んでおられます」

「そうか……そうかそうか……」


 この日は宗武公の体調が奇跡的に回復したこともあり、時を惜しむかのように家族団らんの時間をお過ごしになられた。











 だが……家族が笑いあって座を囲む場は、この日を最後に訪れることはなく、翌日から再び人事不省に陥った宗武公は、それから数日後の三月二十三日夜、家族に看取られながら静かに息を引き取った。


 享年六十三。その最後は、何かを成し遂げて満足したかのような、穏やかでとても幸せそうな顔であられた。






<それからしばらく後、安永七年の暮れ>


「蘭書和解御用掛、藤枝外記」

「ははっ」

「大納言様の命をお救いせしその功を賞し、従五位下治部少輔じぶのしょうに補する」

「有難き幸せ」



――こうして一つの時代が終わり、新たな時代が始まる。その行く末がどうなるか、それは俺にも分からない……



<第四章 新たな時代へ・完>






◆ ◆ あとがき ◆ ◆


 「旗本改革男」をお読みいただきありがとうございます。例によってこの後、他者視点のお話と登場人物のまとめで第四章を終わりとさせていただきます。


 今回は島津重豪と治察の視点で騒動の顛末&後始末を描きます。ちょっと頼りなかった治察くん初めての活躍の舞台ということで、治察視点の話は文量が増えてしまいまして、二話に分けての投稿となります。


 そして、ここまで外記の成長を見守ってくれた大恩人である宗武が、ついにその生涯を終えることになりました。史実より七年長生きしたのは、外記と関わったことによる歴史改変の結果ですね。


 さらに……やっちまいました。一橋潰しちゃいました。余計に歴史が変わっちゃいます。(汗)


 ちょっと急すぎない? とか、そこへ至る経緯が雑、というご意見もあるかもしれませんが、


①身内の権力争いが続くと、改革を進めて史実の幕末をぶち壊す下地を作るには時間が足りなくなりそうなので、それは避けたいこと


②歴史上の様々な出来事と並行して、権力争いの話を書いていくだけの技量が私に無い


 という理由で、宗武の死という一大転機に、まとめて消し去ろうと考えた次第です。どちらかと言うと②の方が理由として強いですかね。


 ダカラヒトツバシハルサダハナマエダケデイチドモトウジョウサセナカッタンダヨ……


 なにしろ史実と少しずつ乖離して、オリジナル要素がこの先更に増えていくもので、そこまでカバー出来ねえです……しかも敵は一橋だけじゃない可能性もありますからね。(不穏発言)


 とはいえ、一つのヤマは越えたかなと思います。が……時系列的にヤベー出来事が次々と起こるタイミングに差し掛かってきておりますので、そのあたりがどういう展開になるか、第五章開始までお待ちいただければ幸いです。


 そして、またかよと怒らないでほしいのですが、次章開始までちょっとお休みさせていただきます。


 以下、今後のスケジュール予定です。


1/14 島津重豪視点

1/18 徳川治察視点その①

1/21 徳川治察視点その②

1/22 第四章人物紹介

2/1 第五章開始


 予定が変わる場合は近況ノートでお知らせしますので、よろしくお願いします。

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