ゆるやかな変革を

「藤枝殿、真に申し訳ない」

「いえいえ、我が家中の者も喜んでおりますれば、工藤殿が良ければ問題はございません」


 平助殿の長女綾子殿に弟子にしてほしいと押しかけられ、種や綾は同性の仲間が増えたと喜んでいたものの、俺としては手放しには喜べなかった。


 女性が学ぶことが悪いとは言わない。色々な議論は交わされていたけれど、この時代に比べれば男女同権が一応憲法で定められていた時代を生きていた人間だから、そこを問題視する気はない。


 ただ……せめて保護者の同意は必要よねという話なので、筋を通すためにやって来たのだが、平助殿は子細を聞くと「そうでしたか……」と何となく覚悟していた様子である。


「いや、綾子が学びたいと申しておったのは承知していたが」

「茂さんから色々聞いて居ても立ってもいられなくなったようですね」

「女子が学んだところで物の役に立ちはせんのに……」


 平助殿が言う物の役に立たないというのは、勿論綾子殿が無能と言う意味ではなく、才能の使いどころがないという意味だ。


 なにしろ男尊女卑の社会だ。女が口出しするな! なんてことが当たり前に言われる世の中で、男と対等に仕事を……というのは難しい話ではある。


「工藤殿が御懸念なされるのはごもっとも。されど私はそれを少しずつ変えていければと考えております」

「変える……とは?」

「女子にも才ある者はいる。それを上手く活用するべきなのです」




 本来は綾子殿自身が親を説得するべきところ、何故俺が出てきたのかと言えば、種に尻を叩かれた……からではなく、俺にも思うところがあるからだ。


 まず大前提として、人口の約半分は女性である。未来に比べて機械化されていない家事や子育てで大変という人も多いだろうが、中には働きに出ている女性もいる。その中には学問に適性のある人材も少なからずいるはず。そう考えればこれを活用しないのは勿体ない。


 さすがに肉体労働に関しては男の方がパワーもスタミナも上だから、重機の力でそれを補うことの出来ないこの時代にあって女性が活躍するのは少々難しいだろう。


 だが事務仕事に関して言えば性差は関係なく、単純に本人の向き不向きや能力によるところが大きいから、女子だから出来ないということは絶対に無いと思う。これからは農地開発に産業の奨励、それに付随して商業活動もより一層活発化するであろうから、性別にかかわらず人手は多い方がいいに決まっている。


 当然男たちの反発は大きいだろう。だからこそ最初に担う女性には、男が文句を言えないくらいの成果を出してもらいたい。少し話をして分かったが、綾子殿にはそれだけの才と意思を感じた。俺が交渉に乗り出したのは、そういうところも加味しての考えである。こういうときに周囲の無理解が足かせになることは多いからね。


「これからの世の中は大きく変わろうとしています。産業の規模が大きくなれば、自ずと女子の力も必要となりましょう。綾子殿にはその手伝いをお願いしたく。彼女はそれだけの才を持っておられる」

「たしかに田沼公の政策を見れば、仕事は増えていくだろう。だが、そこに女子が入り込む余地はあるのだろうか」

「当分はございませんでしょう」




 こんなことを言っては身も蓋もないと思うが、俺もこの場においていきなり男女平等なんて謳う気は無い。


 民主主義しかり自由経済しかり、未来の知識、常識をこの時代にそっくりそのまま持ち込んだところで、それが機能するはずもないことは分かっている。何故なら、それを理解出来る人間が俺以外に誰もいないからだ。源内さんの先進的な知見が誰にも理解されなかったことと似ていると思う。


 しかも男尊女卑の風潮については、世の中がそれで当たり前だと思っており、まかりなりにもそれで社会が回っている以上、一人の力でこれを変えようなどと言うのは烏滸がましいにも程があるというものだ。


 だけど、何事も変革というものには始まりの出来事がある。最初は小さいものでも、そこを起点としていつしか時代の流れが変わり、より良い仕組みに変わっていくというのは、世界中の歴史において枚挙に暇が無い。


 日本という国において最も変革のあった時代というと、明治時代がこれに該当するわけだが、あまりにも多くのものが目まぐるしく変わりすぎたが故に、時代に取り残され没落、貧民化する者も少なくなかったし、真っ新なところから急激に変革した反動が、強大な西洋に対抗しようという軍国主義につながった面もあるのではなかろうか。


 俺がやろうとしているのは、全ては緩やかな変革を成し遂げるための土台作りのため。史実では武士の時代が終わってからようやく始まった制度や考え方を、先取りして種まきすることで、西洋列強の影に怯えるよりも早くこの国の文化風習に溶け込ませることが出来ればと、偉そうな言い方かもしれないがそう考えている。


 そのために必要なのは教育だ。男性はもちろん、女性にもだ。




 なんだったかの記事で、幕末に開国した頃、日本人の識字率に西洋人が驚いたという話を見たことがある。当事はロンドンですら識字率は二割くらいだったのに、日本人は五割以上、江戸に限っては七割以上が文字を読めたとか。


 他にもこの時代の日本では、算術の研究がめちゃくちゃ進んでいる。後世で言う和算と呼ばれるもの、そして計算をするための道具であるそろばんも、みんな当たり前のように操っているところなんかを見れば、世界に比べて教育水準が劣っているとは思えない。要は何をどのように教えるかが重要なのだと思う。


 やり方次第では幕末の尊皇攘夷思想みたいにヤベー方向に行ってしまう危険もはらんでいるが、新たな制度や文化を築くためには、多くの者がそれに対する知識を吸収できる素養を持ってもらうのが一番早いと思う。


 この時代の日本人は知らないだろうが、世界には女王や女帝を戴く国は多い。今現在だってオーストリア大公はマリア・テレジア、ロシア皇帝はエカチェリーナ2世と女性君主だし、数十年先の話になるがイギリスはヴィクトリア女王の治世で最盛期を迎える。


 実際の政治は内閣が担っているのだろうけど、馬鹿に元首は務まらないだろう。西洋の女王、女帝の存在を見れば、女だから劣っているわけではなく、努力をしない者が劣っているだけだと言える。学問の出来不出来に男も女も関係ないのだ。


 最初は風当たりも強いだろう。当然史実のように女性が権利を獲得するまで様々な苦難があることと思う。差し当たってはいきなり重要な仕事を任されるという話も無いはずだ。


 それでもどこかで関わりになる機会を設けない限り、外の世界で女性が働くことが当たり前になる未来はやって来ない。史実では女性の社会進出とか参政権なんて今から百年近く先の話であるが、その下地作りを今のうちにやっておこうということだ。


 その先に関しては俺の力だけでどうにかなるものではないので、こればかりは長い時間をかけて少しずつ進んでいくしかないだろうけど、その種がいつか芽吹く日が来るはずだ。


 俺の考えでは、それを種や綾に担ってもらいながらゆっくりと世間に浸透させるつもりであった。最初は蘭癖旗本の俺が、何やら変なことをしているくらいに思ってもらえればと考えていたが、綾子殿にもそれに加わってもらい、嚆矢こうしとなっていただきたいと考えている。


 一人増えるくらいならどうにかなるでしょと考えていたのが二人になり三人になり……となってきたところは敢えて見ないフリをしておく。




「言ってることは何となく分かるが、それで綾子は幸せになれるものかね?」

「本人が希望する道を歩むのです。それを見守ってやるのが親の務めではないかと」

「おやおや、まだ所帯も持ってないのに一端なことを仰るね」


 俺の言葉に平助殿が豪快に笑った。たしかに二十歳そこいらの若造に親の務めの何たるかなどと講釈を垂れられれば笑いたくもなるか。


「時代が変われば人の見る目も変わってきましょう。とりあえずは当家に女中として奉公するという形にてお預かりさせていただければ。学者仲間の誼で頼んだという名目にすればそれほど不思議には思われますまい」

「茂質を頼んだ恩があるから無下にはできませんな。娘のこと宜しくお頼み申す」

「しかと承った」

「……で、お願いついでで悪いが、こちらの頼みも一つ聞いてはもらえないかね」

「何でしょうか」


 こちらが応じる姿勢を見て、平助殿が座を離れてしばらくすると、なにやら書物を持ち込んできた。




「赤蝦夷風説考……完成したのですか」

「まだ全部を書き切ったわけじゃないんだが、君に聞いた話も加味してまとめたみた。読んでみてくれ」


 赤蝦夷とはこの時代におけるロシア人のことを指す。平助殿が蝦夷地に関心があることは初対面の時から聞いており、この書物は多くの蘭学者や松前藩の者から話を聞き、その考察などをまとめたものだ。俺もオランダ人と交流があることから、ロシアに関する質問は多く受けており、それも反映させたようだ。


「……概ね同意ですな」


 細かい考察や主義主張に関しては再考の余地ありなところもあるが、書かれていることは鎖国の世にある日本においてこれ以上の情報量は書けないだろうというくらいには仕上がっていた。


「これの仕上げにご協力をお願いしたい」

「……よろしいでしょう。蝦夷地の件は早めに手を付けた方が良いと思っておりましたので」


 ちょっと記憶があやふやなので自信は無いけど、蝦夷地探索は田沼公が手がけたはずだが、程なく失脚して調査は打ち切りになった。たしか次に老中になった定信様が、蝦夷地は開発するよりそのままの状態にして対ロシアの防衛最前線にしようと考えたとかなんとかだったような……で、調査を打ち切って数年後くらいに大黒屋光太夫が帰ってきたんじゃなかったかな?


 それが何を意味するかと言えば、今このとき、ロシアは確実にすぐ近くまで迫っているということ。開発するにしろ防衛拠点にするにしろ、一日でも早く調査に入る必要があるかと思う。それをプッシュするために、赤蝦夷風説考の完成は早ければ早いほど良いだろう。


 それこそ、世の中が大きく変わる契機になるような話だからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る