女三人寄ればやかましい

<前書き>


 『 』内、オランダ語です。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 工藤平助殿との出会いで、俺の生活は一段と忙しくなった。


 まずは新たな弟子、大槻茂質こと茂さん。実質初めての弟子なので緊張したが、非常に優秀で、俺からの語学にしろ天真楼での医学にしろ、驚くほどの早さで吸収している。


 その才を見る限り、後の大槻玄沢で間違いなさそうだ。


 そしてもう一つ、平助殿との出会いで変わったことが、新しい作物の普及がより進みそうだということ。


 工藤家では客人に対し、平助殿自らが料理を作ってもてなしているとか。そこで俺が広めようとする新しい食材が彼の目に止まり、工藤家でも振る舞われるようになった。


 全国各地から名のある武士や学者が集う家で多くの者に食されたことで、これは一体何なのかという話から、俺が薦める新しい作物が一気に知れ渡った。


 元々目の届く範囲で広め、そこから波及していけばくらいの感覚だったので、急激な変化に戸惑いは隠せないが、やる気のある方に教えを請われるのであれば話は別だ。茂さんや種、綾の力も借りて、多くの者に教えを説いていた。




「茂さん、その子はどなたで?」

「はぁ……どうしても付いていくと言って聞かぬもので……」

「そうではなくて、どなたかと聞いておる」


 そんなある日、工藤家への遣いから茂さんが帰ってきたのだが、何故か少女が同行していた。


 年の頃は十四、五といったところか。種より少し年上かな? というくらいの女の子だ。


「藤枝様には突然の訪問にて失礼いたします。私、工藤平助が長女で綾子と申します」

「工藤殿のご息女であられたか。して、私に御用とは」

「大槻様が受けている教えを聞き、私も弟子の末席に加えていただけないかと思い推参いたしました」

「はい?」




 な……何を言っているのか分からねーと思うが、俺も何を言われているのか分からなかった……と、ポルナレフが登場しちゃうくらい理解に苦しむぞ……


 そもそも弟子の末席と言っても、茂さんが実質初めての弟子なので、最初も最後も無いのだが。


 それに、何をどうしたら工藤殿のご息女を弟子にする必要があると言うのか?


「お父上はご了承の話であるか」

「それはこれからにて」


 つまり許可はもらってないってことね……


「茂さんは杉田殿やお父上から是非にと頼まれたゆえお受けしたまで。申し訳ないが今は新たに弟子を預かる気は無いのです」

「それは私が女子だからでしょうか……」

「男でも女でも、勝手に推参されて困るのは変わらないでしょう」


 俺が弟子入りは難しいことを伝えると、少女はどうしても無理でございますか……と悲壮感溢れる表情で迫ってきた。


 その雰囲気、なんだかどこかで経験したような圧を感じる……




「旦那様、その女子はどなたでございましょうか」




 ゾクリ……そうそう、これこれ。この抑揚の無い低音ボイスと共に感じる圧。これです……よ……


 と、振り返れば種がいるぞっと……


「種、あまり驚かすでない」

「大槻様を迎えに出たままお戻りにならないので。で、そちらはどなたかしら?」


 うん、顔は笑っているが目は笑っていない。その表情の作り方、宗武公にそっくりだわ。


「奥方様にございますか。私、仙台藩医工藤平助が娘で綾子と申します。お目にかかれて光栄にございます」

「あ、あら……奥方だなんて、まだ祝言も上げておりませんのに」

「いえいえ、藤枝様が田安中納言様のご息女を娶られるという話、江戸で知らぬ者はおりませんよ」


 だから奥方様と呼んでも差し支えはないでしょうと言外に言われれば、種が照れに照れていた。


 ……チョロいな。


「オホン……旦那様、女子が弟子入りと申す以上、何やら深い訳があるのではないでしょうか。門前払いはいかがなものかと」

「だけどなぁ……」

「男でも女でも学問の出来不出来に変わりはない。旦那様のお言葉ではございませんか。綾子さん、中へお入りなさい。菓子でもいただきながら、お話を聞かせてくださいな」


 俺が何かを言うよりも早く、種が綾を呼び出して綾子を部屋へと通してしまった。


「あの……先生」

「種は言い出したら聞かんのでな。話を聞くだけ聞いてみよう」

「相済みませぬ」


 これが藤枝家だからね。居候するなら慣れてもらわないといかん。




「なるほど、お父上に」


 綾子殿を居間に通し、どうして弟子入りを志願したのかと問えば、彼女の幼少期の話を聞くことになった。


 工藤家は三百石取りの家ながら非常に裕福である。それは父の平助殿が多くの大名を患者に抱えていることにより、日々の付け届けに事欠かなかったことや、長崎通詞の吉雄さんたちから贈られるオランダ渡来の品を、大名や富裕な商人に販売して得た財貨によるものだ。


 そんな家に生まれた綾子殿は幼い頃から良質な教育を受け、七、八歳の頃には古今和歌集を諳んじるほどになったという。


 しかし、彼女の知識欲は古典のみに留まるものではなかったようで、並行して漢籍や儒学の書も嗜むようになり、才女としての素質は十分だったようだが、お父上がそれに歯止めをかけたのだとか。


「何故に学んではならんと?」

「女が博士ぶるのはよくないと言われまして」


 江戸時代にも職を持つ女性はいるが、お針子や芸事関連、産婆など、知識より技能の善し悪しが重要な仕事が多い。店の売り子にしたって重要視されるのは見た目と愛嬌の良さ、つまり看板娘としての価値であり、頭のほうは簡単な読み書きと計算がこなせれば十分な戦力になるレベルだ。


 そんなところへ男勝りの知識を持つ女性が現われるとなると、間違い無くバッシングの対象になるよね。


 自分より才能のある女性が存在することによって、自身の存在価値を否定されたような感覚に陥った男たちから憎悪を向けられ、そんなに勉強したって何の役にも立たないのにと同性から嘲笑されといった具合だろう。


 無論女性が勉強していないわけではない。女性は女性で学びの機会はあるものの、それは嫁入り修行の一環ということが多い。


 武家の娘は言わずもがな、町人の娘の間でも、教養を身につけるのは少しでも格式の高い家や、財力のある者に見初めてもらおうとするための手段でしかなく、世のため人のために役立つ知識を習得するのは、むしろ女性としての価値を落とすこととなりかねない。


 だから平助殿の言わんとしているところは分かる。娘の幸せを願えばこそ、必要以上に修学する必要はないと言いたいのだろうが、裏を返せば、この時代にあっては先進的な知見を持つはずの平助殿ですら、そう考えるのが当たり前の環境であるということだ。




「それがどうして今になって弟子入りを」

「父に学びを止められてからも、私は何が人の益になるのかと考えてまいりました。そのときは、自分が世の女性の手本になるべきと考え、古典や和歌、書などの芸事に邁進しましたが……」

「思っていたものと違うと?」

「あれは十歳のときでした……」


 今から五年前、彼女が十歳のとき、江戸は大火に見舞われた。目黒行人坂の大火である。


 その惨状、そしてその後の物価高により人々が困窮する姿を見て、「経世済民」とは何かを改めて考えるようになったらしい。


 経世済民とは、漢籍にある「世をおさめ、民をすくう」、つまり国を治めるための考え方であり、略して経済。


 未来では英語で言うところのエコノミー、つまり商業活動にフォーカスされた言葉となっているが、この時代の経済という言葉は政治学、社会学などを含めた、国家運営全般を指すものである。


 ただはっきりしているのは、どちらにせよこの時代に女性が学ぶ学問とは思われていないこと。女性蔑視ではないが、社会環境がそれを許さない時代では、間違いなく奇人変人の誹りを受けるだろう。




「それを承知で学びたいと仰せか」

「藤枝様の元では奥方様や女中も教えを受けていると聞き、居ても立ってもおられず」


 たしかに教えているが、種に関しては表立って文句を言える存在は少ないし、綾は俺の助手的な立ち位置、内輪だからこそだ。


 工藤殿は仙台藩の家臣であるから、その娘となると少し事情が異なってくる。ましてや自身が範として経世済民をと言うのであれば尚更のことだ。


「旦那様、よろしいのではありませんか」

「簡単に言ってくれるな」

「私や綾に教えを授けた時点で、こういう話があるというのはお考えではなかったので?」


 俺の心を見透かしたかのように、種が問いかけてきた。想定していたのは事実だがな……


「殿、綾子様は古典や芸事にも通じておられる様子。なれば子供たちに教えを授ける者の一人として適しているのではございませんか」


 今度は綾が援護射撃をしてきた。


 実を言うと、最近町人の子供たちを集めて農作業を手伝わせる代わりに、読み書きや簡単な計算を教えたり、昼飯を食べさせている。


 江戸の市中や郊外でも畑を作れるところはいくらでもあるので、この経験が後々生かされること、そして幼いうちからパンやジャガイモなどの食べ物に触れさせ、慣れさせることを目的としている。ある意味英才教育かもしれない。


 発案は町人の子である綾であり、子供たちに教えるのも彼女、そして時々種が手伝っているが、教えを広めるには先生も増やしたいというところなのだろう。


「女子が学問を修めるのはけしからんなど、努力をしない男の戯れ言。そんな者には『クソ野郎!』とでも申し上げればよいのです」

『そうね、クソ野郎よ!』

『二人共、汚い言葉を使うな』

「今のは……お、お二方もオランダ語を話せるのですか!」

「当然です。日の本一の蘭学者、藤枝外記の教えを受けているのですから」


 二人が胸を張って言う言葉を受け、綾子が感極まった顔をしているが、まだ簡単な挨拶くらいしか知らないからね、この人たち。


「やはり……藤枝様こそ我が師と仰ぐ方。是非私にもその教えを!」

「旦那様、決まりですわ。女子がこれだけの覚悟を決めて参ったのです。断れば天下の大蘭学者藤枝外記の名折れですよ」

「で、ございますよ。殿」


 だから簡単に言うなよと言いたいところだが、三人はもう本決まりになったかのようにキャーキャーしてやがる……


「私、お仲間が増えて嬉しゅうございます」

「私も頼もしいですわ」

「お二方にはよろしくお導きくださいませ」




 女三人寄ればかしましいと言うが、ありゃ嘘ですわ。正しくは"やかましい"だ。


 しかし、綾と綾子ってややこしいな。子が付いて区別出来るだけまだマシか……


◆ ◆ あとがき ◆ ◆


詳しい解説は四章終わりの人物解説に回しますが、工藤綾子も実在の人物です。後世では只野真葛ただの まくずという名で知られております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る