死せる田安、生ける一橋を誘い出す

「これは藤枝殿」


 平蔵さんから話を聞いて数日後、宗武公の診察のために田安邸を訪れると、俺と入れ替わりで帰る客人に声をかけられた。


「おや、今日はいかがなさいましたか」


 お相手は一橋家家老の伊藤殿。御三卿の家老というのは様々な経験を積んだ方が就くことが多く、この伊藤殿も昨年齢六十半ばにして作事奉行から転身されている。


 ちなみに今の田安家家老の石谷殿も年は伊藤殿と同じくらいだし、もう一人の山木殿に至っては八十を超えている。それで現役なことにビックリですわ。


「本日は主の遣いにてお見舞いに」

「それはお役目ご苦労様にございます」

「中納言様のご容態、実際どのような具合なのでしょうか」


 話を聞くに、どうやら体調が悪いとの理由で宗武公には直接会えていないようで、俺に容態を聞いてきた。


 普通ならば、それだけで病が重いだろうと理解出来そうなものだが、敢えて俺に状況を聞いてくるということは……更に正確なところを知りたいのだろう。


「最近は床に伏せる時間も多く、中々症状が良化しませぬ。私の力不足にて……」

「いやいや、何を仰る。名医と賞されし藤枝殿が手を尽くされておるのはよう分かっておりまする」

「畏れ入ります」

「我が主も中納言様の快癒をお祈りされておる。宜しく頼みますぞ」




「心にも無いことを……」


 伊藤殿が帰るのを見送ってから屋敷に入ると、宗武公は思いの外元気であった。


 かと言って仮病というわけではない。思いの外というのは、面会も出来ない程に悪いという状態と比較してのものであり、宗武公の体調が悪いことは間違いない。


「父上の様子を探りに来たということか」

「お会いしなくて正解だったかと」

「しかし今になって、どうしてわざわざ探りを入れに来たのか」

「実は先日白河藩邸にて……」


 治察様が仰る偵察の意図、それは平蔵さんが調べてきた話と紐付ければ、なんとなくその真意が見えてくるな。


「鷹狩りか……」

「大納言様ももう十七だからな。行かれてもおかしくない」

「しかし鷹狩りとなると勢子もおりますから、人を紛れ込ませるにはうってつけの場かと」


 鷹狩りというものは古くから支配階級の象徴と言える。


 徳川家においては家康公が鷹狩りを好んだのは有名で、以降代々の将軍も嗜んでおり、各地の大名にも愛好家は多い。


 だが、普段外に出ることの無い人物が少ない供連れで外出するとなれば、城の中で守られるよりも危険性は高い。


 当然警備はする。だが狙う側にとってまたとない好機であることも否定できない。たしか鎌倉時代の曽我兄弟の仇討ちも富士の裾野で巻狩りを行っていたときだったはず。


 とはいえそれで中止には出来ないだろう。初めての鷹狩りを急遽取り止めにすれば、要らぬ憶測を呼ぶし、もし暗殺を恐れて外に出ないなどと言われた日には、将軍世子の沽券に関わる。


「されば治察、大納言様に同道せよ。其方は馬の操りは上手いからの」


 不穏な空気を察し、宗武公が治察様に向かい鷹狩りに随行せよと仰る。


 治察様は父譲りの学才に加え、馬術や弓術にも長けており、以前家治公の御前で馬術を披露し、褒美をもらったほどの腕前がある。


 家基様の初めての鷹狩りに同行する人物としては、格・技量共に文句の無い人選だろう。


「大納言様をよくお守りせよ」

「されど、父上のご容態が……」




 一橋から探りを入れられるくらい、宗武公の容態が悪いというのは周知の事実だ。病状は一進一退……と言いたいが、状況は二歩進んで三歩下がるみたいな感じである。


 俺も手を尽くしているが、最近は体調の悪くなる頻度や長さが徐々に増えてきている。


 治察様はそのような状況で屋敷を空け、鷹狩りに……というのを少々気にしているようだ。


「要らぬ心配だ。外記がおれば事足りる。むしろお主なんぞが側におっても余の病が癒えるわけでもなかろう」

「それはそうですが……」

「彼奴が探りを入れてきたのは、お主が屋敷を空けられぬほど余の病状が重いかどうか知りたいからであろう。なればこそ、其方は敢えて同行するのだ」

「委細承知仕りました」


 そう言うと治察様は深々と頭を下げた。


「さて、そうと決まれば大納言様に遣いを出し、正式に同行のお許しをいただいて参れ」

「はっ」

「外記、其方には少し話がある。残れ」

「はっ」




 命を受け治察様が部屋を後にすると、床に臥せていた宗武公がやおら起き上がり、こちらに向き直った。


「動くかのう?」

「軽々に動くとは思えませんが……」


 一橋が権力に執着しているのは明らかだし、動くならば鷹狩りがまたとない好機であることも事実。


 しかし種の一件があったのだから、幕閣が警戒しないはずがないし、それでも動くかと言えば難しいと思う。

 

「治察様が同行すれば田安も警戒していると示せます。中々難しいかと」

「普通ならそうであろうな」

「中納言様には何か思うところがおありで?」

「あるにはある。だがそれを話す前に、余の病について聞いておきたい。外記、余は保ってあと如何ほどじゃ?」


 話をしていると、ふいに宗武公が自身の余命について問われた。それが何の関係があるのかと思ったが、正確なところを知っておきたいと言われれば答えないわけにいかないな。


「されば、保ってあと半年から一年」

「思ったより長いの」

「しかし、それは薬を服用し、今まで通り床に就いて安静にしていればという条件において。心身に負担のかかることをなされた場合、その限りではございませぬ」


 宗武公の病の原因は加齢による身体全体の衰えによるものだ。


 臓器全体が衰えてくると、心臓は生命を維持するために若いときよりも活発に動かざるを得なくなるらしい。中年以上に高血圧が多いのは必要以上に心臓が動いているからだ。


 だが、心臓も同じく衰える。許容範囲を超えて動き続ければ、いつか限界は来る。心筋梗塞や心不全が起こるのは、心臓が活動限界を超えたということだ。未来で聞いた素人知識なので正確ではないだろうが、概ね間違いでもなかろう。


 未来の医学は良く分からないが、この治療には外科手術のようものを必要とするのだろうか。しかし将来的に治す術があったとしても、残念ながらこの時代にあっては医療器具も揃っておらずそれを施すのは無理な話だ。


 だから今の俺に出来ることは、強心に効用のある薬を処方し、衰えの速度を抑制するくらいなのだが、薬も長く使い続けると効用が薄くなり、次第に服用量が多くなる。


 そして服用出来る許容量を超えたとき、打つ手が無くなる。宗武公の身にそのXデーが近付きつつあるのだ。


「そんな悲しそうな顔をするでない。其方の診立てがあればこそ、今このときまで生き永らえておるのではないか」

「畏れ入ります」

「それに、今生きておるというのは、余に最後の仕事をせよと父上が仰せのような気がする」


 そう言って宗武公が遠い目をしておられる。一体何を企んでいるのだろう……


「よいか外記、今から余は明日をも知れぬ危篤の身となる」

「縁起でもない……」

「良いのだ。そういうことにしておけば、手を出してくるかもしれん」

「死せる孔明……でございますか」

「流石だな」




――死せる孔明、生ける仲達を走らす。三国志演義が原点の故事だ。


 中国の三国時代、北伐の兵を興した蜀の丞相諸葛孔明は、五丈原にて魏の名将司馬仲達と対峙するも、戦線は膠着したまま。


 人材や国力に乏しく、内政・軍事・外交と全てを一手に担った孔明の身体はこのとき既に限界を迎えており、戦場で寒風に晒され心労が重なる中、程なく陣中にて没した。


 大将を失った蜀軍はこれを機に撤退を開始。このとき夜空に流星が降り注ぐのを見て、仲達は孔明の死に気付き、ここが好機とばかりに追撃を開始した。


 しかし、しばらく追いかけた後、前方の山上に車椅子に乗った孔明が現れ、誘い出すための罠だったのかと判断した仲達はそれ以上深追いすることはなく、蜀軍は無事撤退することが出来たのだ。


 ところが土地の者に話を聞けば、孔明が死んだのは蜀軍の様子から間違いないところであり、山上の孔明は似せて作った木像だったと知ることになった。


 後に死人に散々振り回されたとして、これを人々が揶揄したが、仲達は「死人が相手ではどうにもならん」と語ったという。これが死せる孔明……の由来だ。


 つまり、宗武公は自身が死の床にあると見せかけて一橋に好機と錯覚させ、事に及ぶよう誘い出そうとしておられるのだ。




「余がおらぬと知れば、動く可能性は高かろう」


 既に当主は治察様に代わったとはいえ、宗武公がいるといないとでは重みが違う。だからこそ一橋はその病状、言い換えればその死期を正確に知りたいのだろう。宗武公の邪魔が入らないと分かれば、動き出す可能性は十分だ。


 けどなあ……


「医者として申すなら、命を削るような行いはお止めせねばなりませぬ」

「別に余が出張るわけではない。何かあれば対処は治察や其方に任せる。あくまで余は誘き出すための撒き餌よ」


 ……嘘だろう。その顔を見れば、宗武公がただ床にあって状況を見ているつもりとは思えない。おそらくは自身の死期を悟り、最後の大仕事と考えておられるに違いない。重病人とは思えないその眼光を見てしまえば俺が返す言葉は無いし、一廉の武士の決意を翻す手立ては無いと思う。


「……となれば、当面の私の仕事はそのときまで中納言様の命脈を保つように尽力することになりますな」

「左様。本当に木像になっては意味が無いからな」

「して、一橋が本当に動いたとき、その処遇は如何いたします」

「潰さねばなるまい。下手に温情を与えても、いずれ再び牙を剥きかねん」

「されば……その一助に、私の策もお聞き届けいただけますでしょうか」

「その申し様だと、またぞろ突飛もないことを考えているようだな」


 さすがに長い付き合いだから良く分かっておられる。たしかに今から言う策は、これまでの幕政においてあり得ない策だ。


 だけど、これ以上内輪で揉め事ばかりでは、史実と同じく世界に立ち遅れることになる。宗武公が一橋を潰すとご覚悟ならば、これは避けて通れない道になるはずだ。


 正解など分からない。だけど俺は俺で出来ることを成すだけだ。踏み出さねば道は出来ないのだから……

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