クセが強い、だがそれがいい

「本日はお招きに与り……」

「よいよい。堅苦しい挨拶は無用でざっくばらんに語ろうではないか」


 今日は三田の薩摩藩上屋敷に来ている。未来で言うところの慶應義塾大学がある場所のすぐ近くだ。


 長崎屋を訪れたとき、同じタイミングで商館長を訪問していた島津公と帰り際にばったり出会い、初対面だというのに何故か親しげに話しかけられたかと思えば、こうして屋敷に招かれたという次第だ。


「この部屋は……」

「出島のオランダ館のようであろう」


 通された部屋の中には椅子とテーブルが置かれ、床にはカーペット。壁などの装飾にもオランダ渡来の物が多く使用され、それはまるで洋館のような雰囲気だ。聞けば重豪公が物を買い集め、部屋を改築したらしい。


 純和風の武家屋敷に突如として現われる洋間、おそらくは板の間をむりやり改造したのだろう。さすがは蘭癖大名、クセが強い。


「其方、酒は嗜むか?」

「多少であれば」

「ふふ、ならば我が秘蔵の珍陀酒でも一献いかがかな」


 珍陀酒、つまり赤ワインだ。最後の晩餐でイエスが「これは私の血だ」と言った伝説から、キリスト教関連の品物と見なされ、日本国内での公的な流通が出来る代物ではないのだが、どうやらオランダ人から内々に入手したらしい。


 じゃあ同じくイエスが「これは私の体だ」と言ったパンは? というところに決して触れてはならない。酒は他にも種類が色々あるが、パンは替えが利かないんだから、御法度にされては敵わん。


「あまり興味がなさそうだの」

「長崎で飲ませてもらいましたが、渋味がキツくて美味いと思えなかったので」


 それほど質の良くない物を遠くヨーロッパやバタヴィアから持ち込んできたためなのかは分からないが、記憶の片隅に残っているイ○ンで売っていたチリワインの方が個人的には飲みやすかった。元々ワインの味に関して何の知識もない人間だったので、あくまで個人的な感想だ。


「ならば他のものを用意するか」

「薩摩では甘藷で酒を造られているとか。もしこちらに備えがあればですが、是非頂戴したく」

「ほほう、これは面白い。江戸の者に芋の焼酎を所望されると思わなんだ」




 実を言うと、この時代の人が飲む日本酒というのはアルコール度数が非常に低い。正確に言うと、原酒の度数は未来とそれほど変わらないのだが、これを水で割って飲むのが一般的なのである。


 それは何故かと言えば、この時代の酒はアルコール度数に関係なく、作った量に対して税が課せられているから。費用を抑えたい蔵元はなるべく濃い日本酒を造って出荷し、酒屋がこれを薄めてかさ増ししたものを販売しているのだ。


 そんなことをしたら味が薄まって不味くなるのではないかと思うかもしれないが、この時代の日本酒は精米技術がそれほど発達していないこともあって、甘みや酸味が強く、みりんに近い感覚なんだよね。


 米というものはそのまま醸造すると、表層に含まれる色々な栄養素が雑味の原因になる。だから米を磨いて表層を削ることで、タンパク質や脂質などの余分な栄養素を減らし、香りの良い酒を造るのだ。


 たしか未来だと、材料の米を三割以上削れば「本醸造」、四割以上なら「吟醸」、五割以上なら「大吟醸」とランク分けされ、米を削れば削るほど雑味が減って美味い酒になる分、価格が高くなるという仕組みだった。


 ところが、この時代は三割も五割も精米する技術など無いので、どうしても雑味の多い酒が出来上がるのだが、どういうわけかこの酒は、三倍とか四倍に希釈しても味に大きな変化が無い。なのでどうせ味が変わらないなら、たくさん飲めた方が良いじゃないかということで、日本酒は水で割るものというのが当たり前なのだ。


 未来でも路上で客引きするようなタチの悪い居酒屋なんかで、クッソ薄いサワーとか出しがちではあるが、この時代ではそれが普通なのである。


 なんでそんなことを調べたのかと言うと、実は焼酎造りを模索しているのだ。単に原料を醸造するだけの日本酒と違い、焼酎はそれを蒸留させることでアルコール度数が高くなる。しかも材料は米に限らず、甘藷や麦、蕎麦、変わり種ではジャガイモなども原料に出来るから、俺の作物栽培と並行して新しい産業として興せるのではと考えてのことだ。


 そして焼酎と言えば九州だ。薩摩は米が取れない上に、温暖な気候がゆえにもろみが腐りやすいという事情から、日本酒造りはあまり盛んではなく、代わりに甘藷を原料として焼酎造りが広まっているらしい。


 他にも壱岐国では年貢で取られてしまう米の代わりに大麦で焼酎を造っているとか、参考になりそうなものが多くあるのだが、日本酒と異なり、酒蔵とか杜氏のような専業者はほとんどおらず、その都度仲間内で資金や原料を出し合って製造している地産地消が基本の品だから、江戸にそれが回ってくることはほとんど無い。


 なのでその製法等々を勉強する機会があればと思い、折角薩摩藩邸にお邪魔したのだからと聞いてみれば、領国から持ってきているという。


 まさに僥倖。ここで焼酎を勉強して江戸で広めることが出来れば。グフフ……




「これが薩摩の芋焼酎じゃ」

「おお、芋の香りがこんなに……」


 重豪公に命じられ、家臣が持ってきた徳利から酒が注がれた途端、芋の甘い香りが広がる。それはかつての俺が経験した香りより、はるかに強烈で新鮮なものだった。それは製造技術の違いから、良くも悪くも素材の風味を生かした状態で作られているという証なのだろう。


「さ、遠慮は要らぬ」

「では失礼して……」


 (ぐびっ……)日本酒よりも強いアルコール感の中にもふっくらとした甘み。そして鼻へと抜ける芋の香り。クセは強いがこれが却って心地よい。未来の物と比べて洗練されていないが故に、芋本来の風味が存分に味わえる酒だ。人によってはこれを臭いと感じて敬遠されるかもしれないが、酒とはそういうものだ。


 どんなお酒にも特徴というものがある。それが良いか悪いかは人それぞれであり、万人に受ける原酒というものは中々存在しないのではなかろうか。だからこそ飲みやすいものとしてハイボールみたいな提案がされているわけだからね。


「これは美味いですな」

「この香り、儂らにとっては落ち着くものだが、どうも江戸では芋臭い芋臭いと言われてな。お主は気にならぬか」

「むしろ良い香りにございます」

「それは重畳」


 実を言えばクセのあるお酒は苦手ではない。前世では焼酎は麦より芋だったし、バーで頼むのはアードベッグやラフロイグのストレートと言えば察してもらえるだろうか。


「しかし、よく焼酎を存じておったな」

「ええ、甘藷の普及に役立つ物はないかと色々調べておりましたので」

「次はこれを江戸で売ろうとしておるか」

「私がでございますか?」

「十三里も蜜甘藷も、其方の段取りと聞いておるぞ」

「ご存じでしたか」


 おやおや、すっかり見抜かれていましたかね。俺を招くと言うことは、少なからず俺に興味があり、何をやっているのか把握していたということだろう。なればこそ、甘藷の普及のために手を打っていたことも知っていておかしくはないね。


 ただ、この人にそこまで見られていたというのが、少し引っかかるところはある。七十七万石の太守が、たかだか四千石の旗本を注視する理由が何かと考えるとね。


「そう警戒するな。我が家中は其方に恩義を感じておるゆえ、其方の力になれればと見ておったのだ」

「はて? 島津の御家中と関わった記憶はございませぬが」

「直接の関わりは無い。だが其方が唐芋の普及に努めておるのが我らの助けになっておるのだ」




 薩摩といえば桜島、未来でも度々噴火とそれに伴う降灰を繰り返す火山。そして薩摩国や大隅国は、その火山から噴出した火砕流の堆積物が長年に渡って積み重なった地形が多い。未来ではシラス台地と呼ばれるそれだ。


 この土地は水はけが非常に良い。むしろ良すぎて言い換えれば保水性が無い土地とも言える。しかもその上に火山灰が幾重にも降り積もる環境のため、稲作には向かない。先程薩摩では米が取れないと言ったが、それはこのシラス台地という土壌の問題によるものであり、だからこそ甘藷の栽培が普及したわけだ。


 そのため薩摩では、武士階級も普段から甘藷を食べることが多い。そして日本で一番費用がかかるであろう参勤交代のとき、経費節減のために道中では保存の利く甘藷を主食として食べていることが多かったため、道中の庶民には、薩摩藩=芋しか食わない連中という印象が根付いてしまい、それが後に各地に伝播して、いつの頃からか「薩摩の芋侍」と馬鹿にされるようになったのである。


「江戸でも影で散々言われておるのは知っていた。それで家中の者が悔しい思いをしていたこともな。だが、其方のおかげで世間の見る目が少しずつ変わり始めた」


 野暮の象徴であった芋だが、俺が普及に努め、中には蜜甘藷スイートポテトのようなオシャレな菓子も生み出したことで、江戸では甘藷に対する認識が改まってきた。これまで芋侍と揶揄され続けた薩摩藩の人たちは、それを肌で感じているのだという。


 言われてみれば、俺に対しての遇し方も丁寧だったし、応対した藩士が揃いも揃って温かい笑みというか、友好的な雰囲気を出していた。裏に何かあるのかと逆に勘ぐってしまうくらいだったが、事情を聞いてなるほどと納得した。


「おかげで芋侍などと揶揄する者も減ったし、女たちも新しい料理や菓子が出来て喜んでおる。だから家中の者は皆、お主に感謝しているのだ」

「そのお言葉はありがたく頂戴いたしますが、戸部尚書様に聞かれては不味いのでは? 島津公は次期一橋御当主の義父になられる御方でございますれば」

「お主は顔に似合わず辛口じゃのう」




 辛口と言われるのは心外だな。事実この人の娘である茂姫様は、豊千代君の婚約者なのだ。


 つまり、この人は一橋の縁者。俺が薩摩を警戒する理由はその一点に尽きるのだが、向こうもそれを承知で俺と誼を結ぼうと仰るのならば、それはそれで面白い。


 大国の主たる者、それくらいのクセの強さでなくてはやっていけないだろうからね。




◆ ◆ あとがき ◆ ◆


アードベッグやラフロイグが好きなのは作者の趣味である。

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