師とのお別れ

<前書き>


久しぶりに『 』内、オランダ語です。

また、国名に関しては読みやすさを重視するため、現代日本での呼称表記としております。話中では当時の名称で呼んでいたと脳内変換していただければ幸いです。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



――安永六(1777)年四月


『お久しぶりです』

『ゲーキ、元気にしていたようだね』


 今年もまた、カピタン江戸参府の季節がやってきた。


 となれば、当然商館長付きの医師として、ツンベルク先生が同行してくるわけで、久しぶりの再会を待ちに待っていたわけである。手紙でのやりとりは頻繁にしていたが、やはり直接会って話をする方がより理解が進むからね。


『そちらが手紙の……』

『ええ、私の婚約者、種にございます』

『初めまして、種にございます』


 そして、俺からオランダ語を習い始めた種も会話をしてみたいと、今日は一緒に来ている。事前に先生から手紙で、『奥さんも連れてこい』と言われたことも理由の一つだ。女性が面会するのは本来あり得ないのだけれど、それを覆すのが種が種という少女である所以だ。


『おお、オランダ語がお上手だ。ゲーキが教えたのかい?』

『まだ挨拶程度ですが』

『いやいや、学び始めるのは若ければ若いほどよい』


 細かい単語までは分からないまでも、何となく褒められているように聞こえたのか、種も嬉しそうにしている。ネイティブ(厳密に言うと先生は違うが……)に自分言葉が通じたというのは、語学を学ぶ者にとって自信になる。


『それともう一人、種の兄上で……』

『先生にはお初にお目にかかる。松平定信じゃ』

『定信様は、先生が日本に来るより前にここでフェイトさんに一度お会いしたことがあります』

『そうでしたか。……ということはあの話も』

『ええ、そのために今日はお越しいただいております』


 あの話とは、以前フェイト氏に聞かされた西洋の話、そしてロシアのことだ。


 あれから定信様も西洋の動向には関心を持ち続け、今日もこの数年の間に起こった話など伺おうという目的で来ている。


 俺の記憶が確かであれば、そろそろヨーロッパも大きな動きがあるような気がするので、新しい情報があるのではと考えてだ。


『勉強熱心で良いことだ。遠く海を越えて届いた話だから、早くて半年から一年前の話であるが、そのあたりをゆっくりと話そうか』


 どうやら今日の俺たちには、先生だけで対応するようだ。なんでも、ここ数年で面会を希望する人がかなり増えたらしく、商館長の方にも多くの来客があるのだとか。


 先生が仰るには、俺たちが蘭学を効果的に広めているおかげではないかとのことであり、だとすれば世間の風当たりは、俺が知る史実より和らいでいるのかもしれない。




『そうでしたか。戦争が始まりましたか』


 やはり予想通り、アメリカが独立に向けた戦いを始めたそうだ。


「重い税に苦しんだ末の一揆ということか?」

「いえ、一揆ではなく、本国の支配から脱するための戦でございます」


 “代表なくして課税なし”、たしか独立戦争のスローガンになった言葉だ。


 イギリスという国は、古くから議会が存在した。元々はマグナ=カルタだと記憶するが、国王が軍役金を課するときは、諸侯の集まる会議で承認を得ろと定められ、後にそれが諸々の課税法案にも適用されるようになったはずだ。


 最初の頃こそ、国王が各地の有力者を代表として選び、課税策を承認させる形だったので、どちらかというと権力追認機構のような体であったが、諸侯が力を持ち始めてくると国王との対立が激しくなり、議会の停止から独裁、革命、共和制と目まぐるしく状況が変化した。


 そして名誉革命という二度目の革命の際にオランダから迎えられた王は、議会と内閣で決めた法案を、国王が元首として認めるという内容に誓約した。現在の立憲君主制とか議院内閣制の始まりと言える出来事だろう。


 これが今から九十年近く前の話なので、イギリスはとっくにその制度で動いているわけだが、それはあくまで本国の話であり、植民地の人間は議会に代表者を送ることも許されず蚊帳の外。自分たちの与り知らぬところで勝手に税を課せられたりと、本国の横暴に不満を溜めていたのだ。


 そして、たしかボストンで海水をお茶にするという、楽しいパーティーが始まったんだよな。


 と言いたいのだが、貴族の令嬢がヒロインを虐めて「オーッホッホッホ」って高笑いするやつとか、湯飲みを二、三度回してから飲んで、「結構なお点前で」とか、勿論そんな雰囲気ではない。戦争の引き金の一つになった暴動だ。


 要は新大陸の人たちは、「俺たちにも発言権を与えろ、勝手に課税すんな!」と要望したが、「そんなん知るかボケ」と言われたので、「ならば独立だ!」と実力行使に至ったわけである。


 本格的に戦闘が始まったのは二年前の四月ということなので、まだ情報として届いてはいないが、史実通りならば、昨年の七月四日がインディペンデンス・デイとなっているはずだ。


「……民がお上のやりように口出しを許される国なのか」

「民が一人一人というわけではございませぬ。代表となるのは各地の有力者であり、この国で言えば幕府に対する大名、商人、公家のような関係です。彼らが御政道に意見を申すことを許され、その中で合議によって物事を決めるといった感じでしょうか」


 そもそも権力の成り立ちが違うから、厳密に言うと違うんだけど、ここで定信様に西洋の政治体制を詳しく話しても、あっちの貴族とこっちの貴族の違いとか理解するのに時間がかかるだろう。


 それにこの時代は、代議員を普通選挙で選ぶわけではなく、それなりに金と権力を持つ、未来で言う上級国民の集まりであるから、ある意味大名や商人、公家などが幕府に陳情するのと似ている。自由な発言が許されるか否かの違いはあるが、今はそれくらいの説明で十分だろう。




『それで、オランダはどうするのですか?』

『今のところは静観のようです。イギリス相手となるとねぇ』


 やはりこの時代でも最初はイギリスが優勢のようだ。圧倒的な海軍力と物量を背景に、アメリカ側を圧迫しているらしい。


 その状況でアメリカに加勢すれば、イギリスから目と鼻の先にあるオランダが真っ先に血祭りだろうから、静観するのも無理はないな。


『ゲーキはこの戦い、どうなると思う?』

『うーん……戦術家ではないので大したことは言えませんが、最後はアメリカが勝つような気がします』

『それはどうしてだい?』

『地理的要因……ですね』


 両国の間には大西洋という大きな隔たりがある。


 今回の場合、攻めるために海を渡るのはイギリスであり、そのために動員する物資は大量になるだろう。


 さらに言えば、アメリカは十三州だけでもイギリス本国よりはるかに広い。測ったことはないけど多分広いはず。海を渡って送り込んだ兵力だけで、その全土を抑えるというのは無理だと思う。まして相手は独立に燃える人たちばかりなのだから。


 多分だけど、A地点を占拠したらB地点で蜂起され、その鎮圧に向かったら今度は手薄になったA地点で再び蜂起されみたいな、イタチごっこだったのではないかと思う。


 で、そのうちにイギリスが疲弊してきて、ここがチャンスとばかりにヨーロッパ各国がアメリカ支援に回って最後はアメリカが勝ったと記憶している。


『なるほど。兵站が追い付かずにイギリスが撤退すると』

『流石の強国といえど、本国の守りを疎かにして戦争は続けられないでしょう。フランスやオランダ、プロイセンにオーストリア、スペインにロシア。イギリスの権益を奪おうと考える国はいくらでもいるのですから』

『まるでその場を見てきたかのようだな』

『何となくの想像ですが……』


 流石に生で見てはおりません。強いて言うなら教科書の挿し絵くらいですかね……独立宣言を採択するときの会議か何かの絵でしたっけ?


『まあ、ゲーキならそれくらいの想像を働かせても驚きはないけどね。……そうそう、そう言えばロシアで思い出したよ。頼まれていた物を渡さないと』

『そうでした。それも目的でした』

「外記、頼んだとは? もしや父上に申していた……」

「それです」


 それが何かはまだ表には出せない。言うとハレーションがすごそうだからね。ただ、この国の未来を考えたら絶対に必要なものであることは間違いないよ。




『多くの来客があるが、やはりゲーキと話すのが一番面白いな』


 先生の元にも毎日のように来客があり、多くは新たな知識を求めて……という目的だから基本的には教える一方の会話だ。


 別に先生はそれが嫌ではないのだが、中には素頓狂なことを聞いてくる人物もいるみたいだし、通詞経由の会話なので結構神経を使うらしい。


 その点、俺にはその正体と真の目的を知られているから、先生も気兼ねなく話せるというところだろうか。


『……残念だな。私は今年の秋にはバタヴィアに帰らねばならん。君に教えてあげられるのもあと僅かの間だ』

『残念ですが、先生には先生の研究があります。むしろ滞在を一年延ばしていただき、その間に色々と教えてくださったことを感謝します』

『いや、感謝するのは私もだ。君のおかげで日本の植物もたくさん採集できた。目的は果たせたよ』


 その言葉は、先生が再びこの地に足を踏み入れる可能性が限りなく薄く、九分九厘これが今生の別れとなることを意味する。


 うーん、寂しいね。未来と違って気軽に会いに行くというわけにいかないからなぁ……そもそも行ったら最後、帰国することは叶わないからね。


 ただ、先生に会ったらどこまでも付いていきそうで怖いと言っていた前野さんの言葉が、今なら何となく分かる気がする。


『先生の教え、生涯忘れません』

『嬉しいことを言う。祖国に帰ったら、必ず向こうから手紙を届けるから、君も出来るなら返信してくれ』

『はい、必ずや』




 それからしばらく、海外情勢に農学の質問などをに時間を費やし、面会の時間も終わりとなったところで先生に入口まで見送られ、長崎屋を後にしようとしていると、奥の方から賑やかな声が聞こえてきた。


「カピターン、よろしく頼むぞ」

『ええ、こちらこそ。シマドゥ様』


 シマドゥ……?


『ああ、どうやら商館長の客人もお帰りのようだね』

「おお、こりゃツンベルク先生ではないか。先生にもお客人が来て……ほぅ、これは白河の若君と江戸一番の蘭学者様か。こんなところでお目にかかるとは奇遇だな」


 その男は、なんとなく豪放磊落で、偉い身分なんだろうと思わせる雰囲気を醸している。


 向こうは知っているようだが、生憎と俺は会ったことがない。しかし会話の内容と、衣服に記された轡十文字の家紋を見れば、この人が誰なのかは一目瞭然だ。




 島津左近衛権少将重豪しげひで。外様の大藩である薩摩藩の主であり、蘭学にかなり興味を示し、昨今「蘭癖大名」と呼ばれている方。




 そして、俺にとって要注意人物の一人だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る