座右の銘は……
あの日以降、田安家は田沼と接触した事実を見せず、表向きには平穏を装っている。
実際は源内さん経由で情報のやりとりをしているが、どうやらその動きは一橋に勘付かれていないようなので、俺もこれまでと変わらずの生活を送り、農学研究に勤しむかたわら、訪れる客人に教えを説く毎日を過ごしていた。
「突然の訪問にて失礼いたす」
「いえいえ、弾正大弼様のご高名はかねてより伺っておりますれば、某もお目にかかれて光栄にござる」
そして今日の訪問者は、出羽米沢藩主上杉治憲公。
上杉家といえば有名なのは謙信公だ。元は長尾氏を名乗っていたが、関東管領山内上杉氏から家督を譲られて今に至る名家である。
と言うものの、その暮らしぶりはお世辞にも楽とは言えない。
上杉家は関ケ原の合戦で西軍に付いたものだから、百二十万石あった所領のうち、米沢周辺の三十万石以外は取り上げられてしまった。
さらに二代下ると、藩主綱勝公が子を成さぬうちに急死してしまい、時の大老保科正之の計らいで末期養子が認められたものの、所領はさらに半分の十五万石に減らされてしまった。
ちなみにこのとき養子に入ったのが、綱勝公の妹の子であり、高家肝煎・吉良義央の長男である三之助。分かりやすく言えば、忠臣蔵に出てくる吉良上野介の息子だ。
そう、実の父が赤穂浪士の討ち入りを受けたと聞き、援軍に駆け付けようとして、「余計な手出しして上杉を巻き添えにすんな!(意訳)」と家臣に諫められ、「ぐぬぬ……」となった上杉綱憲公である。
そんなわけで、元の所領の八分の一にまで減った上杉家なのだが、家臣を切り捨てることはせず抱え続けたため、当初から人件費が財政を圧迫していたところに、ここ数十年頻発する飢饉で財政は火の車のようだ。
その当代が、今目の前にいる治憲公である。
この方は日向高鍋藩主の次男なのだが、綱憲公の外孫が産んだ子であり、義父である上杉重定公から見て、叔母の孫という続柄にあたる。
幼い頃から聡明だったことから、祖母の計らいで、当時姫しか子がいなかった重定公の婿養子にと決められ、後に男子が生まれたのだが、約束通り家督を継承したのだとか。
ところが、先に述べたとおり上杉家の財政は火の車。先代なんか本気で領地を幕府に返上しようとまで考えていたくらい窮乏していた。そこで治憲公は身分を問わず有能な人材を登用し、藩財政の建て直しを図っている。
しかし、新しいことを始めると反対する者は何処にでもいるもので、三年ほど前に守旧派の重臣たちが政策の撤回と改革を主導する側近の罷免を要求するクーデターが勃発した。
七人の重臣が起こしたことから『七家騒動』と呼ばれるそれは、前藩主の重定公が治憲公の改革を是としたこともあり程なく収束し、以降更に改革を推し進めている。
と、面会の依頼があってから上杉家のことを少し調べてみたんだが、改めて考えるとこの人って……
他にも改革に着手した藩主はいたのかもしれないけど、未来人にとって米沢藩の改革といえば鷹山公しか思いつかない。旧臣に実力行使で反対されたというのも、たしかこの人のはずだ。
……ホントこの時代の人はちょいちょい名前が変わるから、諱だけだと誰のことかすぐには分からない。鷹山も後々名乗る号なんだろうな。
「それで本日の御用向きは、私に農法の教えを請いたいと言うことでよろしかったでしょうか」
「然り。渋井殿から話を聞き、是非にもと」
渋井殿とは、佐倉藩の家臣で儒学者の渋井太室殿のこと。俺が下総に視察に赴いた際に知り合い、甘藷やジャガイモの栽培を伝授した方だ。
俺の師である青木昆陽先生とも面識があったように、渋井殿は学者仲間の知り合いが多く、その中に治憲公の師である細井平洲という儒学者がおり、細井氏の頼みで治憲公に教えを授けたこともあるそうで、その縁で依頼が届いたという次第だ。
「しかし、失礼ながらわざわざ太守自らお出ましにならずともよかったのでは?」
「いや、まずは藩主自らが率先垂範せねばなりません」
治憲公は自助・共助・公助という「三助」を信念としているそうだ。
まずは自分自身の力で生活していくことが出来るようにすること、これが「自助」である。
そしてそれを成すために、五人組・十人組など組織によって互いに助け合い、次に近隣の組や村同士で手助けをする仕組みも考えているらしい。これが「共助」だね。
それでもしのぎ切れないほどの危機が起こった場合、ここで藩が初めて手を貸す。これが「公助」となる。
自分のことは自分でやれよというのが基本だけど、困ったときは周りで助け合い、それでもダメなら藩が手を貸します。ということを制度として保障することで、人々に安心して暮らしてもらおうという考え方だね。
そのために治憲公自ら質素倹約に努め、その姿を見習って下の者も貧しい人々を助けるようになり始めたとか。
ただ、何の材料も無しに自分でやれと言われても、領民だってどうしていいか分からない。まして米の不作が続いているのだから尚更のことだ。
そこで治憲公は米作以外の産業を積極的に興そうとなされている。新たな特産品や仕事を生み出すことが自助に繋がるというお考えによるものだ。
藩主自らが率先して産業を興し、領民に生きるための素材を提供する。上に立つ者の鑑と言うべき人の有り様だと思う。娘さんが駐日大使として日本に赴任したときに米沢を訪問したというニュースで、JFKが日本で一番尊敬する人物は鷹山公だと答えたという逸話を聞いた記憶がある。
……JFKってジョン・F・ケネディ大統領のことだからね。ジェフと藤川と久保田のことじゃないぞ。
「収入を増やすために農地を増やそうと考えておったのだが」
「出羽は気候が稲作向きではございませんからね」
「やはり稲作は難しいか」
「稲は元々温暖な土地で育つものゆえ、思うようにはいかぬかと。これは置賜郡に限らず、陸奥出羽の各地に言えることです」
米沢藩では、非常時の備蓄用に貯め込むことも視野に、農地の拡大を企図しておられるとのことだ。
農地が増えれば生産量は上がる。間違いでは無いが、それは作物を植えるために必要な環境がちゃんと揃っているという条件においてだ。植える作物が米であっては、いくら植えたところで飢饉や冷夏の下で育つはずもない。
鷹山公は政策を進めるうちに、過去の飢饉の経験から、田んぼをいくら増やしても無駄じゃね? と気づいてしまった。そんなとき、堀田領である出羽村山郡での栽培の話を聞きつけ、それで俺に教えを請いに来たわけだ。
「そこで藤枝殿にご指南いただければと」
「よろしいかと思います。置賜郡は最上川の水もあり、農産自体は適した土地にございます。米に代わる作物を適切に植えることで、無理に農地を拡大せずとも増産は図れましょう」
上杉は財政破綻寸前だし、このまま手をこまねいては破産する。
外様なんて勝手に破滅すればいいと考える幕臣もいるが、あまりに痛めつけては政情不安の火種になるし、その恨み辛みが後に維新の原動力になったことを考えれば、外様だからこそ手を貸し、恩を売るというのは大事だと思う。
家基様もそれでよいと仰せであったしな。
「ただ……心配なのは、米に代わって麦や芋を植えることなると、家臣や領民は戸惑いましょう。藤枝殿は如何にして栽培を広めようとなされるのかお伺いしたい」
「たしかに。さればこの外記、麦や芋を美味しく食べる料理法も併せて研究しております。弾正大弼様にも御賞味いただきましょう」
これまでずっと稲作が当たり前だったから、米の取れない土地というのは一段も二段も格下に見られてしまうのがこの時代の常識なので、殿様がいきなり「ウチの領地は米取れないから別の物植えるぜ!」なんて言ったら、領民たちも「えぇ……」となるのは明白。
だからこそ、米が取れなくても美味いものは他にもあるということを教えなくてはいけないのだ。
「これは……?」
「麦の粉から作りましたパンという食べ物です。中に入っているのは茹でたジャガタライモを味付けしたものです」
「では失礼して……ふむ、食べ慣れぬ味だが悪くない。食べ応えもあり、腹も十分に満たされますな」
口で言うより自分で試したもらった方が早いので、早速ポテサラサンドを食べてもらうことにした。ちなみにパンはサワー種のやつね。
「芋も麦もいざとなればそのまま茹でて食すことも出来ます。四圃式農法を活用していただければ、米だけに頼らぬ農産が出来ましょう」
必要であれば上杉家の家中の者に農法や製法を教えましょうと申し出れば、治憲公はいたく感激している。
「素晴らしい。まずは植える前にどういう食べ物なのかを知らしめる手法、藤枝殿は天才にございますな」
「いや、オランダ人に教わった製法を真似ただけです」
「それでもだ。我が国の者でそれを成そうとした者はいなかったのだから、偉業と呼んでいい」
すると治憲公が、とある一節を諳んじ始めた。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」
「それは?」
「私が座右の銘としている言葉です。元は甲斐の武田信玄の言葉だとか」
きたよ名言。治憲公、もとい鷹山公といえば、"なせば成る"だよな。まさかご本人様の口から聞くとは思わなかった。
「とても奥が深い言葉ですな」
「左様。やらなければ何も成せぬ、当たり前だからこそ難しい。ときに藤枝殿はそういった座右の銘をお持ちかな」
「私ですか……」
いや困ったぞ。なんなら、「なせば成る」が未来人の座右の銘になるくらいだもん。歴史上の偉人の言葉で言ったら、五本の指に入る名言と張り合うような座右の銘なんて……
でも治憲公は俺が何を言うか期待してる感じだな……なんかあったかなぁ……
あるにはあるか。張り合えるかは分からないけど……
「この道は何処へ続くものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その歩みが道と成り その歩みが道と化す 迷わず進め 行かば答えはその先にあらん」
「聞いたことがありませぬが、もしやそれは藤枝殿が考えたものでござるか」
「まあ……そんなところです」
ウッソでーす! またパクりました!
えーと……元はどなたかの詩文らしいけど、俺が知ったのはタバスコを日本に広めた燃える闘魂の言葉としてだ。ちょっと漢詩風に改変したが、俺の言葉ではないのは間違いない。言えないけど……
「なるほど。だからこそ藤枝殿は新たなことを始める一歩を踏み出せるわけですな。いや、実に良い言葉にござる」
……ありゃ、治憲公が思いのほか感じ入ってるぞ。
結構名言だったのか……
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