何本束ねる気?
「当然であろう。他に誰が決めるというのだ」
田沼との関係をどうするか。宗武公に判断を一任され、治察様が戸惑っておられる。
「父上はそれでよろしいのですか」
「余が
自分が決めては長年積もったものが判断を鈍らせる。だから家のために何が最善か考えるならば、過去に囚われず治察様が決断するべきだろうと仰せだ。
「難しゅうございます。田沼が何を考えているのか見えませぬゆえ」
田沼が十一代目の将軍として家基様を支える意思があるのであれば、治察様も力添えすることに異論はないだろう。
しかし、本当にその意志があるのか。単に依存先を一橋から田安に変えるだけであるなら、良いように利用される危険もある。
果たして正解は何なのか。治察様でなくとも頭を悩ませるところだね。
「難しく考えるな。アレに付くか付かぬか、どちらがこの家のためになるか、それだけを念頭に置いて動けば良い」
「それを選ぶのが難しいのですよ」
「一人で考えるな。お主には頼りになる弟が二人もおるではないか。のう上総介、外記」
定信様の名前と共にふいに俺の名前まで呼ばれた。種を嫁にもらうわけだから義弟には違いないのだが、兄弟ってそれだけでしたっけ?
「弟二人を頼れと?」
「治察は長州毛利家に伝わる"矢の教え"を存じておるか」
「矢の教え? それは如何なるお話で?」
「知らぬか。外記はどうじゃ?」
「……生憎と不勉強にて存じませぬゆえ、ご教示いただければ」
「毛利家にこういう話が伝わっているそうだ……」
矢の教え。それは一代のうちに国人領主から中国地方六ヶ国を支配する太守になった戦国武将毛利元就の逸話である。
元就は周囲の国人たちの元へ子供を養子入りさせ、毛利家の地盤を固める策を採った。
そして次男元春は吉川家、三男隆景は小早川家を継いだわけだが、そうなれば彼らも自身の家の安泰を考える必要があり、長兄と利害が一致しないケースも生じたことだろう。
しかし元就は、毛利の安泰が一番の大事であるから、息子たちに対し、「矢は一本では簡単に折れてしまうが、たくさんの矢を束ねればそう簡単に折ることはできない。各々が一本の矢と思い、力を合わせて本家を盛り立てよ」と結束を誓わせた訓示である。
後に言う"三矢の訓"というやつだね。
実際は膝を突き合わせて矢の話をしたわけではなく、息子たちに手紙を送り、弟は長兄を主として支え、兄は弟たちの声をよく聞けと訓示したらしい。これが毛利両川体制の始まりだ。
未来だとコントにもなっているくらいだから、勿論俺は知っている。例えば何本束ねても折れてしまい、お父さんが訓示を諦めて兄弟好きなように生きろみたいなオチになったり、逆に一本なのに全く折れなくて、目一杯力を入れたら床が抜けるとか、家が壊れてしまうみたいなオチのやつだ。
それが何を意味するかといえば、未来ではそれで笑いが成り立つほどに有名な故事として知られているということだが、宗武公が知っているかと尋ねてきたこと、そして故事に詳しい治察様が知らないと答えたところを見ると、この時代ではまだそれほど知られていない話だと感じ、空気を読んで知らないと答えてみたが正解のようだったな。
どうやら原典は、播磨姫路藩の酒井
「お主たちに当てはめれば、当主たる長男が大府卿治察、次男が上総介定信、そして三男が外記。毛利の三兄弟と全く同じではないか」
たしかに。治察様がしっかり者のお兄ちゃん毛利隆元、定信様が剛勇の将吉川元春というのは何となく分かるが、そうすると俺は……父親の知謀を一番受け継いだとされる謀将小早川隆景。そんなに頭がいいとは思わんけど……
「久松、藤枝と他に背負う家を持つ二人なれど、其方にとって頼もしい弟たちではないか」
「左様でございますな」
「羨ましいものよ。余は兄弟で手を取り合うことすら出来なんだからの」
宗武公が昔を思い出したのか、しみじみと語っている。
兄家重公と家督を争い軋轢が生じていたのは言わずもがな。そして、最初こそ行動を共にし、叱責された弟の宗尹公とも後々疎遠になったようである。
「弟は良くも悪くも風流に生きる男であった。共に謹慎処分を受けていたと思ったら、いつの間にか手作りの菓子を献上したりして兄とも和解したようだしな。なんとなく疎外感を感じたものだ。その点、治察には頼もしき弟たちが付いておる。三本の矢がまとまれば……」
「お父様、三本では足りませぬ」
宗武公がイイ話をして結束が更に強まるか……? と思ったそのとき、これに異を唱える声がした。
「種、なんぞ異論でもあるのか」
声の主は共に見舞いに来ていた種である。納得いかないという表情で、俺たちが座を囲むところへササッと寄ってきた。
「異論ではございません。お兄様たちが協力なさるのは当然のこととして、矢は他にもございますと申し上げたいのです」
「はて? 他に矢種になる者がおったか?」
「……まさか種、お前が四本目とでも言いたいのか?」
治察様が怪訝な顔でそう尋ねたが、種の顔が我が意を得たりと言っているように見えるから、おそらくそういうことだろうな。
「……外記」
「なんでしょう」
「お前、旦那様と呼ばせてるのか?」
種と治察様がわーわーとやりとりしている間に、定信様がボソッと聞いてきた。
「ちと早くはないか」
「婚儀もまだなのに、私が言わせるわけがございませんでしょう」
「では何故……まさか」
「まさかでも何でもなく、そういうことです」
本人が早く慣れるためだと言って聞かず、嬉々としてそう呼んでいるのです。それを定信様が分からないはずもないでしょうに。
「お主が種と呼び捨てなのも?」
「いつまでも姫などと呼ばれては寂しいと言われましてな」
「もしかして……」
「私がそれを拒否出来るとでも?」
「……迷惑をかける」
「まあ、そのときが早いか遅いかだけですので」
俺がお察しくださいと頭を下げると、野暮なことを聞いたなと定信様が苦笑する。そしてその間も、種が治察様相手に熱弁を振るっていた。
「其方が四本目と言われてもな……」
「それは私が女子だからでございましょうか。軽んじてもらっては困ります。私とて旦那様から蘭学農学などをご教示いただいております。新たな食の提案も進めておりますれば、その辺の木偶の坊より余程役に立つ自信がございます」
たしかに種も熱心に学んでいるし、新しい作物を如何にして食べやすい料理に仕上げるかという研究も手を抜かない。
それはひとえに俺の役に立ちたいとか、俺と一緒の時間を過ごしたいという想いからのものであり、そのためにも中途半端には出来ないとのことだ。本人がそう言っているから本当だろう。
嬉しいやら恥ずかしいやら……(惚気)
「待て。種が四本目である理由がそれならば、五本目もおらねば道理が通らんぞ」
種の熱弁に治察様が、「お、おぅ……」と気圧されているのを見て、定信様が話に割って入った。
……って、五本目ってアレか? 忘れ去られている実の兄弟のことか? 仲が悪かったとはいえ、定信様もそこは気になったのだろうか。
「其方が矢となる理由が蘭学や農学、料理にあると申すなら、綾も入れねば道理が立たん」
……違った。
「……外記、綾とは誰だ?」
「はっ。私めの家の女中にて、年は種の二つ下にございますが、共に勉学を修める者にて」
宗武公が何者かと俺に問われたので答えると、公は「ほほぅ……」と意味有りげに目を細められた。
「上総、その綾と申す女子、それほど有用か」
「早くから外記の教えを受けており、女子といえど侮れませぬ。種よりは役に立つかと」
「お兄様!」
「あー、よいよい。信頼出来る者は多ければ多いほどよい。三本より四本、四本より五本の方が、より一層折れることはあるまいて」
そう言いながら、何故か宗武公はニヤニヤしながら、俺に顔を向けてきた。
「外記、その娘は武家の子か」
「いえ、町人の子にございます」
「左様か。そういうことなら考えねばならんの。外記、その綾と申す女中、大事にせよ」
「……? はっ、仰せの通りに」
何のことだか良く分からないが、宗武公にそう言われれば頷くほかあるまい。
「お前が四本目ねえ……」
「何本あってもよいと、お父様の仰せにございますよ。それに、私が矢とならねば綾も矢にはなりませんよ」
「うっ……」
「では、矢仲間としてよろしゅう」
五本の矢……ねえ。男が三人に女が二人となると、なんか戦隊モノみたいだな。
◆ ◆ あとがき ◆ ◆
治察(レッド)
定信(ブルー)
外記(グリーン)
綾(イエロー)
種(ピンク)
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