家族会議

「ほう……主殿頭が」


 今日は宗武公の診察のために田安邸を訪れている。


 実を言うと、ここのところ宗武公の体調が思わしくない。最近は色々と騒がしいことが続いており、俺たちの思っていた以上に心労があったのだろうか、床に伏せる時間が多くなった。


 田安家付きの御典医もいるのだが、宗武公から直々に診察をしてくれと言われれば、まだ未熟者なのでと言って断るわけにもいかない。なにしろ近い将来義父になる方だからね。


「耳障りな話とは思いましたが」

「よい。むしろ包み隠さず話してくれたその忠義を嬉しく思う」


 その診察終わりに病状の説明と共に、田沼公との話を治察様に報告した。俺一人で秘しておけるものではないし、田沼側もそれは想定内だろう。


「一体何を考えておる……あの古狸め」


 定信様もたまたま見舞いに訪れていたので一緒に話を聞いてもらったのだが、予想通りの反応であった。


「話を聞くに、田安家の助力を求めているのは確かでしょうが」

「益々分からん。なればこそ、父上や兄上の元に参上して申し開きすべきであろう」

「余に合わせる顔が無いのだろう」


 定信様が憤慨しているところへ、宗武公が姿を見せた。その言葉から、どうやら公には思い当たる節があるようだ。


「これまでのことがあるのだ。今になって擦り寄ってきたところで、余が喜んで受け入れるなどと、主殿頭とて思っておらぬはず」


 仮に自分なら、恥ずかしくて合わせる顔が無いなと、宗武公は苦笑する。


「されど、筋は通してもらわねば」

「それは当然だ。だが、種の件はこれ以上の話は不要と余が突っぱねたのだから、ここで主殿頭が会いに来るとなれば、何を話しに行ったのだと一橋が詮索してくる。だからこそ内々に渡りを付けてきたのではないかな。外記、主殿頭の印象はどうじゃ」

「食えない御仁ですね」




 一橋の野心がかなり見え始めたことで、上様と大納言様の治世を守るため、田沼公は別の協力者を必要とした。そして江戸城内でこれに負けない力となると、現状でそれは田安家しかない。


 これまで監視も兼ねて行動を注視していたからこそ、田沼公は俺のやろうとしていることを分かっていたし、田安家は純粋にそれを支援していることも知っていたようだ。俺を長崎に送ったのも、一橋に配慮しているように見せかけ、布石を打ったのだと思う。


 しかし、表向きには一橋へのポーズとして、その声に応じて田安を排除しようという動きにしか映らないから、どこかで真意は別にあると話す機会は欲していても、田沼公も簡単に接触するわけにいかなかった。


 ところが、種の一件で事情は変わってくる。


 定信様の養子入りも俺の長崎送りも、これまでの田安家への対応の延長線上でしかなかったが、直接人の生死に関わることとなればそうは言っていられない。これ以上放置すると取り返しが付かなくなると判断したのだろう。


 それでも事態が事態だ。軽々しく動けば一橋の知るところとなり、余計に面倒なこととなる。そこで独断で動いた大和守の行動を逆手に取って、俺に接触してきたのだろう。


 あのときの会談、最初は気乗りしないといった感じで、大和守や源内さんに無理やり連れてこられたといった雰囲気だったが、その実は俺の真意を確かめるつもりで来ていたのだ。


 途中までは大和守が先走るのを宥めながらという流れの中で、俺の動きをまあまあ厳しく追及してきたから、これは警戒されてますねと構えたものだったが、あれは二人が余計なことを吹き込んだせいで俺が態度を硬化させたのを知り、その話に乗って自分はお前を怪しんでいるぞという体での芝居だったのだ。


 田沼公の中で最初から目的ははっきりしており、最後の念押しのつもりで問いかけ、俺の話す内容から権力への執着無しと判断するや、田安家との連携協力を持ち出し、断れば将軍の名を借りて引きずり出すことも厭わないと言ったわけだ。


 とんだ狸だと思ったよ。完全にあちらのペースに嵌められてしまったもんな。


「してやられたの」

「勉強不足でした」


 考えてみれば六百石から加増に加増を重ねて、今や三万石の城持ち大名にまでのし上がった男なのだ。一筋縄ではいくはずもない。こっちは嫌悪感とか敵愾心が先行してしまったが、あちらにしてみればそれも織り込み済みでの接触だったのだ。




「外記、田沼の言い分は分かったが、ならば私が白河へ入ったのはどう説明する?」


 俺が長崎に行った理由がなんとなく見えてきたのか、今度は定信様が自身の養子入りの真意を問われる。一橋の子は越前福井に筑前福岡という大藩であるが、自分は白河十一万石というのが納得いかないようだ。


「久松は御家門なれど白河は分家ゆえ、後々幕閣に入ることも出来ると」


 御家門とは将軍家の一族および初代家康公の兄弟の家系の大名家や旗本家を指す、言わば名門の家柄。


 ただし御三家や御三卿はそこに含まれないので、未来の日本史で習う”親藩”とは少し定義が違う。というか、この時代に親藩という呼び方は無く、御三家、御三卿、御家門に譜代という括りになる。


 そして家康公の異母弟を祖とする久松も御家門に該当するのだが、どこの家も代が下れば分家も多くなる。それらが全部御家門となるわけではなく、久松で御家門と目されるのは伊予松山だけであり、それ以外は分家なので譜代という扱いになる。明確な線引きは無いが、概ねそういう認識でいるという話だ。


 これが何を意味するかと言えば、幕府の役職は基本的に譜代の者がしか就くことは出来ないので、定信様が家督を継ぎ白河藩主となれば、いずれ幕府の要職を担うことが出来るようになるということだ。


「田安は治察様、将軍家は大納言様。お二人がご健勝ならば、定信様にはいずれ幕政を担うお方にと」


 一つ難があるとすれば、定信様は吉宗公の孫なので、純粋な譜代と見なされるか分からないところだが、そのあたりはどうにでも出来るというのが田沼公の見解であった。


「私が田沼を追い落とす可能性もあるぞ」

「田沼公は上様、大納言様の御世が続くことを第一に願っている様子。もし自分が外されても、定信様の才があれば大丈夫だろうということでしょう」

「買い被られたものだな」


 思いがけず高評価だったと聞き、定信様が満更でもない顔をしている。田沼公が本当にそう思っているかは知らんけど……


「そこまでは分かった。だが種の件はどういうことか」


 そこへ今度は治察様が種の件を持ち出した。まあ、そこが一番のネックだよね。俺も納得してないし。




「あのように早く手を打ってくるとはと、己の不明を恥じておりました」

「まったく……肝心なところで手抜かりするとは」


 種が家治公の養女になるというのは、将軍の娘としてどこかの大名に嫁がせること、そして関係の良くない将軍家と田安家の縁を繋ぐというのが表向きの理由であった。


 だが、あのとき宗武公が推測したように、その行き着く先が家基様の御台所である可能性に至るのは、それほど突飛もない発想ではなかったから、治察様が呆れるのも無理はない。


「そのあたりは懇意にしている大奥の御年寄たちに手配りしていたようですが、大奥は大奥で色々とあるようですな」


 色々と濁したが、要は大奥の中の女中にも派閥があって、必ずしも田沼シンパというわけではない。当然別の誰かに繋がっている者もいるし、八方美人という存在も少なくないだろう。


「やはり何処にでも良い顔をして通じる者はおるようで、田沼公も難儀しておる様子。尚のこと田安家の助力を欲する理由かと」

「ふむ。となれば、何らかの対応は考えなくてはいけないな」

「それで、外記はなんと答えた。お主のことだから、分かりました協力しましょうとは答えておるまい」

「無論にございます」




 一連の話を聞いて、宗武公が俺がどうやって回答したかを問うてきた。


 田沼公の存念はある程度分かった。とはいえ、それで直ぐに食いつくかと言われればそうはいかない。


 急に尻尾を振る先を変えられれば、一橋が面白いはずがなく、怒りの矛先がこちらに向く可能性が高いし、何より田沼公の言葉が本当かも確証は取れていないのだからね。


「故にそこは田安家に一任することとして、私からの明言は避けました」


 直接田安家と接触すれば、一橋の警戒度はMAXになるだろうから、将軍の身内同士の喧嘩となっては、田沼公も手に余ることだろう。


 だから万が一何かを伝えたい、情報共有したいとなれば、今は俺と源内さんでメッセンジャーを務めることで、今は様子を見るべきではと提言させてもらった。


「上手い落とし所であるな」

「最初に私に話をしたのも、向こうもそうなることを承知の上と思いまして。判断を全てお任せにしてしまいましたが」

「構わん。それは治察が決めるべき話よ」

「某……でございますか?」


 宗武公から話を振られた治察様が目を丸くしている。その顔は、まさかそんな大事な話を自分が決めるの? という感じだ。


 こいつは田安家当主としての治察様の最初の大きな決断になりそうですな。

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