両国橋にかかる虹

「さて、余計な話ばかりしてしまったが、実は俺も世の中の役に立ちそうな物を拵えたんだ。是非旦那にそれについて意見を聞きたいと思って今日はやって来た」


 話題が切れたところで源内さんが本題を切り出してきた。色々と話をしてしまったが、よく考えればそれが来訪の目的ではないだろうからね。


「して、世の中の役に立ちそうな物……とは?」

「竜吐水の改良版、とでも言おうかね」

「竜吐水……」


 それは目黒行人坂の大火の折、俺が役に立たないと酷評した放水用具だ。実際にあの大火でも役に立たなかったものだ。


「旦那に諭されて、オイラに出来ることは何だろうって考えたのさ」

「それが竜吐水の改良に?」

「まあな。オイラは良沢さんみたいに、机にかじりついて知らねえ言葉に向き合い続けるってのは性に合わねえみたいだ。蘭語の解読は旦那に良沢さん、淳庵、甫周もいるし、その知識を借りて、物を実際に作り出す側にいるのが一番のようだ」


 源内さんの言葉を言い換えれば、適材適所と言うのが一番しっくりくるだろうか。


 解体新書の刊行を経た後、前野さんは翻訳の道へ進み、杉田さんはそこから得た医学知識を世間に広める役回りになっている。


 俺は自分で翻訳から実施まで動く自己完結型だが、それは未来知識があってこそなので、本来どちらかの役回りに専念すべきだろう。そう考えれば、史実でエレキテルを修復した源内さんは、他者の解読した知識を基に新しい物を生み出す役割が合っているかもしれない。




「それでな、今度両国広小路で放水実演をするから是非見に来て欲しいと思ってね」

「なるほど。源内さんらしい」


 両国広小路は、橋を火災から守るために作られた火除地であり、常設の建造物はNGなのだが、街の一等地が空地となると、使いたくなるのが人の性というものらしく、普段は仮設の見世物小屋が立ち並び、緊急の時はサッと畳んで撤収するという光景がお馴染みの、江戸随一の繁華街だ。


 そこで放水実演を行うというのであれば、見物客はかなりの数になるだろうから、上手くいけば評判はうなぎ登りだな。源内さんが考えつきそうだ。


「上手くいきますので?」

「当たり前よ。藤枝の旦那に同席してもらうってことは、そういうことさ」

「あ……私の名前を出汁にしようって魂胆ですか」


 源内さんが作ったもの、というところで眉唾と思う者もいるはず。そこへ俺が同席するとなれば、西洋技術によるものではと人々に思わせる効果がある……つまりはそういうことハッタリだ。


「詐欺……」

「いいじゃねえの。これが火事のときに役立つなら上々じゃないか」


 こういうところの山師気質は変わらないのね……


「仕方ありませんね。それで、期日は?」

「三日後に」

「分かりました。当日は両国橋まで足を運びますよ」



 ◆



<三日後・両国広小路>


「お、旦那。こっちこっち」

「これはまた見物人が大勢来ましたね」

「あちこちで宣伝したからね」


 遠くから見ても分かるくらい、橋のたもとから通りにかけて黒山の人だかりだ。そして川端には竜吐水と比べて箱の部分がかなりコンパクトになったような器具と、これを扱うのであろう町火消の面々が準備をしていた。


「紹介するぜ、町火消"に組"の頭で新三郎さんだ」


 江戸の町火消は、吉宗公の時代に大岡越前守忠相によって構成された町人による消防組織であり、大川から西を担当するのが有名な"いろは四八組"である。


 彼らは、いろはの文字をそれぞれの組の名称としているが、「へ組」「ら組」「ひ組」「ん組」だけは、「百組」「千組」「万組」「本組」に置き換えて使われている。"ひ"は火に通じるし、"ん"は終わりってことなので縁起が悪いとか、そういった理由があるらしい。元々は四七組だったのだが、後に「本組」が追加されて今の四八組となっていて、両国橋の西側一帯を担当するのが、今挨拶した新三郎親方の率いる"に組"だ。


「新三郎だ。よろしくな、十三里のお殿様」

「十三里のお殿様?」

「街の連中は親しみを込めて、旦那のことをそう呼んでいるようだぜ」

「そうさね、腹持ちがいいから飯を食う時間も無えときなんか大助かりだし、甘くて美味いとカミさんも喜んでらあ」


 町火消の仕事は破壊消防なので、主に建物の建築解体を得意として腕っぷしも強い鳶職たちが担うのだが、どうしても仕事が仕事なので、気性の荒そうなアウトローっぽい人も多く、それをまとめ上げる頭も当然かなり厳つい。


 実のところ半分侠客みたいな面もあったりするので、その粋でいなせな感じが、これぞ江戸っ子みたいな雰囲気を醸し出している。


 彼らにとっても手軽で腹持ちの良い甘藷は大いに役立っているようで、俺のことを親しみを込めてそう呼んでいるようだ。




「ははぁ……なるほど。川から直接水を吸い上げる仕組みですね」

「そうよ。これなら際限なく水を吐き出せるし、水量も今までの物より強力だぜ」


 挨拶も終わり、川端に設置された器具がどんな仕掛けになっているのかと見てみれば、これまでの竜吐水とは違い、外部から水を供給するような仕組みに改められていた。


 取水管が川に繋がっていることで、これまで本体の中に水を補給し続けていた手間が省け、効率化が図られているようだ。


「コイツを二台並べて交互に動かせば、間断なく水を放てるのさ」

「なるほど。ではその威力を見せていただきましょうか」

「よーし頭、一丁頼むぜ!」

「おうよ! 野郎ども、位置につけ!」


 新三郎親方の号令で、火消たちが放水の準備に入る。


「放てー!」

「おいさ! おいさ!」

「おいさ! おいさ!」


 まるで神輿を担ぐかのような景気の良い掛け声と共に、二台の竜吐水の腕木を交互に動かすと、やがて川から汲み上げられた水が管を通り、勢い良く放たれた。


「おおおーっ!」

「こいつはすげえや!」


 これまでの竜吐水とは比べ物にならないくらいの量の水が弧を描いて空へと舞い上がると共に、橋の上に大きな虹が浮かぶと、それを見ていた見物客たちから、やんややんやの大喝采が沸き起こる。


 そうそう、これこれ。放水による消火を行うなら、これくらいじゃないと意味が無いよね。しかも水は川から汲み続けられるから、腕木を動かす人が倒れない限り放水は止まらない。これは効果的な改良が加えられたものだ。




「どうだい旦那?」

「さすがですね。これなら火事のときに大いに役立ちますよ。でも……問題は費用ですよ。これ、お高いんでしょ?」


 旧式の竜吐水も十両と結構値が張る品であった。今回はそれよりも更に高性能ということで、製作費用も馬鹿にならないだろう。量産できない一点物では困るのだ。


「まあな……汲み上げる力が逃げないようにあちこち補強したり、水の力に負けて壊れないように色々工夫したからな。かなり値は張る物になっちまったが……お上にお買い上げいただくことになってるのさ」

「ああ、そういう話になっているんですね」


 もしかしたら田沼経由で話がついていたんだろう。研究費用も融通してもらったのかもしれない。


「ただ一つ難があるのは、動かせねえんだよな」

「川から離れられないわけですね」


 これまでの竜吐水ならば持って運んだり、荷車に乗せることで動かそうと思えば動かせたが、改良版は川から水を汲む管があるから動かすことが出来ない。つまり、放水が届かない川や堀から離れた場所の火は消せないのだ。


「そこで良い知恵は無いかと思ってな」


 そういうことなら素人なりにアイデアは出せそうだね。


「なるほど。であれば、竜吐水を運ぶことを考えるよりも、この状態で如何に活用するかを考えた方が良いでしょう」




 源内さんが作り出した改良版竜吐水の威力は十分に分かった。そして、動かせない固定式だという欠点がある。となれば、動かないなら届く範囲を確実に消火出来ればいいじゃないというのが俺の意見だ。


 つまり未来の消火栓のように、市中の川端や堀端に一定の距離を置いてこれを配置すれば、水を撒いて消火することで燃え広がらない区域が作れるわけで、事前にそれを知っていれば、どこへ避難すればいいのかもすぐに分かる。


 そのために辻札のような形で街のあちこちに竜吐水の場所を明記しておくのだ。こうすれば、いざというときの避難の一助になる。未来でいうハザードマップみたいなものだな。


「あとは各町内ごとに避難経路を予め決めておいたり、逃げる途上で危なそうな場所を把握しておくのも効果的かと。有事の際に逃げ道がふさがっていては、却って危ない。新三郎親方、その手の怪我人は多いですよね?」

「そうだな。火事ってのは焼け死ぬより、逃げるときに怪我する奴の方が多いな。たしかに逃げる場所とそこへ行く道を、町ごとに分けて決めておけば、混乱も少なくなるし、子供がはぐれて迷子になることも減るだろう」


 何にしても対策ってのは、ハードとソフトの両面から行わないといけない。どちらかが先進的でも、もう一方がアナログでは折角の機能が力を発揮できないというものだ。


 そして今回、改良版の竜吐水という新たなハードが開発されたのだから、ハザードマップや避難訓練みたいなもので、いざというときに惑わず対応出来るようなソフト面の対応も並行してすすめるのが良策だと思う。




「やっぱり旦那に意見を聞いて正解だったぜ。聞いてましたか、若様」

「見事な知見、感服いたした」


 源内さんが俺の意見を聞いてから、火消たちの方に向けて声をかけると、中から1人の浪人風の男が現われた。


(大和守……)


 身なりこそ素浪人のような出で立ちであるが、その男は田沼大和守意知に間違い無い。


「源内殿……」

「そりゃ、資金を援助してもらったからね。成果を披露するのに呼ばないわけにはいかないでしょ。ですよねご老体」

「誰がご老体じゃ」


 さらに源内さんが呼びかけると、ご隠居風の装束を身にまとった老人が現われた。


「いかがですか。これが江戸一番の蘭学者、藤枝外記ですよ」

「お主が見込んだ意味が何となく分かったわ。……お初にお目にかかる。相良龍助と申す」


 ご老体はそう名乗るが、一瞬で偽名だと分かった。


 大和守が隣にいる以上、相良ってのが遠州相良のことだと類推するのは苦もないこと。そして、龍助とはそこの殿様の幼名だ。つまり、この老人こそが……


(老中、田沼意次……)


 まさかと思い、源内さんの方をチラリと見やれば、こちらを見てニッと笑いやがった。


「謀られたか……」


 橋にかかる綺麗な虹を背景に並ぶ、老中、大和守、そして源内さんの姿に、俺は思わず心の中で唸った。




 ……似合わねえ~!

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