田沼との問答

「蘭書和解御用掛、藤枝外記にございます」

「田沼主殿頭とのものかみじゃ。騙し討ちのようなかたちにしてしまいすまぬな」

「いえ……」


 改良型竜吐水の実演で田沼公と対面することとなった俺は、言われるがままに近くにあった茶屋の二階に通された。


「倅が其方と会えと煩くてな。老中として参上を命じるは容易いが、それではお主が面白くなかろうからと遠慮していたが、どこぞのお節介焼きがのう……」

「田沼様、お節介焼きとは酷え言いようだな」


 どうやら田沼公本人は気乗りしていないようだが、源内さんが引き合わせる算段をして、無理やり連れてきたらしい。


 もちろん竜吐水に関する意見を求めるという目的に偽りは無いだろうが、両者が自然な形で、同じ場に来る機会を活用しようと考えたのだろう。会うことを主眼にして誘っても受けることは無いと踏んで仕組んだ計画に、俺はまんまと引っかかったわけだ。


「印旛沼の話はこの伏線でしたか」

「旦那、あんまり怒らんでくれよ」

「別に」


 話を振られたときにその後ろにいる者田沼意次の影を感じたから、俺は源内さんが指揮を取れば? と、半分冗談混じりに言ったわけだが、実は半分本気でもあった。


 歴史を裏から動かすなんて大それたことを言うつもりはないが、もし工事を進めるなら、現実的にそれが一番成功率が高いだろうと考えてだ。


 何らかの思惑をもって話を振ってきた上で、源内さんがその話に乗るようであれば、田沼公が本当にそれを任せるという可能性を念頭に置いてだ。


 とはいえ、まさかそこから一足飛びに俺との面会の算段までするとはと、彼の行動力を読み違えた己の鈍さにムカついてしまい、どこかの女優みたいな返しになってしまった。


「すまねえな。若様が随分と落ち込んでいたと聞いて責任を感じたんでさ。御老中から仲立ちを頼まれたわけじゃねえんだ」


 源内さんに何の責任があるのかと思えば、以前俺の正体を探られたとき、「田沼公が俺の力を恐れている」と伝えたことにあると言う。


 Jr.が俺と話をしたときにかなりの塩対応だったということを聞きつけ、もしやそれが原因かと思い、一席設けた次第らしい。


「ここで誤解を解ければ……と思ってね」

「中納言様への処遇を見れば、誤解とは思えませんが」

「それが誤解よ。私は田安殿も一橋殿も清水殿も、上様の地位を脅かす可能性のある者は全て警戒しておる」


 俺の抗議する声を聞き、田沼公が徐ろにそう切り出した。


「我らの仕事は上様をお守りすることにある」




 曰く、御三卿とは万が一の後継候補であるが、裏を返すと将軍の地位を脅かすべく暗躍する可能性が一番高い存在とも言え、その動向に目を光らせるのは重要な役割だということだ。


「清水殿は家重公に従順であったが御子がおらぬ。そして田安殿は若い頃の行状で御不興を買い遠ざけられていた。そして、一橋は我が弟が目を光らせていた」


 その話が何を指しているかといえば、おそらく潜在的な危険性ということだろう。清水公は将軍と親しいが、子がおらぬため後継になるのは難しく、逆に田安公は子がいるものの、当主が将軍と犬猿の仲だったとあって遠ざけられており、一番気を配る必要があるのは一橋公ということだろう。


 一橋の初代宗尹公は兄の家重公と仲も悪くなく、さらには子にも恵まれており、その四男で二代目となった現当主治済はるさだ公もすでに二人の男子を授かっている。万が一のときに後継の声がかかるとすれば、可能性が一番高い家だ。


 その言葉を鵜呑みにすれば、田沼公は一橋家を最も警戒しているということだ。彼の弟意誠は宗尹公の小姓となって側に仕えた後に一橋家の家老となり、二年前に亡くなるまで終生仕えていたわけだが、懐に入り込んで懇意にしつつ、裏ではおかしな動きをしないか見張っていたということなのだろうか。




「つまり田安家だけを目の敵にしていたわけではないと?」

「目の敵とはいささか酷い言われようだが、当然のことであろう。そして其方のことも注視していたのは確かだ。その才は有用なれど、それがあらぬ方へ向かえば、脅威以外の何者でもないからな」

「そのような考えは毛頭ござらぬ」

「どうだろうな。其方がお側に参上するようになってから、大納言様が以前にも増して政に意見を仰せになることが増えた」


 言われてみればたしかに思い当たる節はある。家基様には蘭学の話をするほか、政策に関して意見を求められることも度々あった。


 これまでに実施したことのないものが多いせいか、それが如何なる目的で如何なる効果をもたらすかなど、未来人の知識を基にした解説を行ったことはあった。


 基本的に田沼の政策は俺の考えに近い。ただ、商人たちが黄金色のお饅頭ワイロを手土産に添えて、己が利益優先の愚策を進言してくることも多く、実行に移してみたものの大失敗という政策も後を絶たない。


 試行錯誤トライアンドエラーするのは結構だが、行きあたりばったりなケースも散見されるので、政策の良いところと悪いところ、改善の糸口になりそうなアイデアなどをそれとなく家基様にお伝えしたわけだが、どうやらそれを田沼公に直接ぶつけたんだろう。


「私は何を改善すればよいかと意見を出しただけですが」

「そうだの。聞くところの多い話もあった。しかし、ならば何故登用のお誘いを袖にした。どうして身軽なままで大納言様に取り入ろうとするのか?」


 少々痛いところを突かれた。たしかに普通なら家基様直々に登用の声がかりがあったなら、断るなど考えられないし、政策に関わる気があるのなら、間違いなく役職を与えてもらおうと考えるからね。


 田沼公の口ぶりからは、俺が登用を断ったのは宗武公や治察様の指示によるものであり、裏で糸を引いて、俺の口から家基様に幕政批判の入れ知恵をさせていると考えているようだね。


「馬鹿馬鹿しい。もし本気で敵対する気であれば、御老中の政策は悪法なりと、良い面を見ず、有ること無いこと吹き込んでおります。大府卿様と二人して、貴方様に対する悪口雑言を申しておりましょう」

「では、印旛沼の話は如何なる了見か」

「了見とは?」

「外記、其方が大納言様に四圃式農法とやらを進言したのは、収穫を増やすためだと聞く。農地が増えるのは悪いことではなかろう」


 了見と問われ、源内さんに指揮を……の話かと思い確認したが、農地拡大に懸念を示した話のことだと大和守が言う。


 まさかこんなに短時間でレスポンスがあるとは思わなかったので、どうやって答えようか迷う。正直に言うのは難しいからな…… 


 考えは間違っていないが、今やっても失敗する公算が高いことを俺は知っている。とはいえ、その原因が噴火や川の氾濫にあると言っても、単なる預言だったり、たらればの杞憂による発言にしかないから、どうやって理由付けしようかというところだね。




「干拓が進み水害を防げれば、土地の者は喜びましょうが、手伝普請を命じられた各藩には何の益もございません。今なされても、臣民の怨嗟をより増幅させるだけとなる故に時期尚早と申し上げたまでのこと」


 老中田沼意次は、吉宗公時代に一度止めていた国役普請を再開し、各藩に手伝いを命じることで、幕府の支出を抑える政策を採るようになった。


 とはいえ命じられる方の各藩はたまったものではない。一時期の壊滅的な凶作期からは脱しているものの、東北を中心に米の取れ高は低調のままなんだ。


 農村が疲弊し収入が低下する中で手伝普請を命じられた結果、多くの藩が巨額の借金を抱えることとなり、税の取り立てが厳しくなっていると聞く。おそらく年貢として取り立てたものを、借金返済のために売り払うためだろう。


 白河藩も備蓄米がほとんど用意されていなかったと定信様から聞いているし、他の藩も似たような状況のはず。俺もそこまで詳しく学んだわけではないが、後に大飢饉が発生した際に飢死者が何十万も発生したのは、そのあたりにも原因がありそうだ。


「ここで再び飢饉が発生すれば、救いの手を差し伸べることも出来ず、多くの民が飢え死にいたしましょう。農地が増えたところで耕す民が、物を運ぶ民がおらねば無用の長物。更には水路を増やしても管理する者がおらねば、余計に水害をもたらす要因となりかねません」

「飢饉が起こるなどと……何の確証があって」

「過去の記録を見れば、飢饉が起きた際の兆候に似たような事例が多々あり、今まさにそれが各地で見られている。何時、という正確な日時こそ分かりませんが、近いうちに大きな飢饉が再び発生しても不思議ではありません」


 さすがに地震や噴火は予測出来ないが、飢饉に関しては過去の気象データから推測することは出来る。


 パソコンでデータベースを作っているわけではないから、口で言うほど推測も簡単ではないが、実際に東北を中心に不作が続いている現状を基に、近いうちにまた大飢饉になる可能性があると説くのは、源内さんの山師的発言よりずっと信ぴょう性があると思う。


 未来の出来事を予言するわけにはいかないので、この理由をもって時期尚早だと押し通すしかなかろう。




「古書に、倉廩そうりん実つれば則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱えいじょくを知る。とあります」

「管子か」

「さすがは大和守様、左様にござる」


 後の世では「衣食足りて礼節を知る」と短縮形になっているが、元は中国の古書「管子」の一節だ。


「故に、私は新たな作物の栽培を奨励し、飢饉に備えるべく動き、民の命を繋ぎ止めて後に動くべきと考えます。田安家の皆様はそんな私のやり方を是と認めてくださり、お力添えいただいているのです。そこに御政道を批判する意図や、権力を握ろうとする意思はございません」


 もっともらしい理由を述べることは出来たかと思うが、さて、俺の返しに田沼公はどういう反応をするだろうか……

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