印旛沼干拓の是非

「卵にジャガタライモの和え物、こっちは鶏肉の炭焼きに牛乳のタレですか。初めて食べる味だが美味いもんだね」

「そう言っていただけると有難い」

「それに、これなら何かしながら飯が食える。忙しい連中の腹ごなしに丁度いい」

「行儀が良くないと言われそうですが」

「なーに、世の中飯を食う時間や寝る時間を削ってでも何かしなきゃいけないなんてことは往々にしてある。これならそんなときでも飯が食えるし、中に肉も魚も挟めるってんなら、物足りないことも無い。大した代物だぜ」


 久し振りに我が屋敷を訪れた源内さんに、ちょうどいい機会だと試作品を食べてみてもらうと、思った以上に高評価だった。


「こっちの餡子入りのパンも面白いね。西洋の食い物だと思ったら、中に餡子だもんな。それが意外と合うってんだから、面白いもんだ」

「お褒めいただきなにより」

「さしずめ名前を付けるなら……”モチアルケール”と”オストアンデール”ってところかな」

「モチアルケール? オストアンデール? オランダ語でございますか?」

「種……オランダ語ではないと思います」




 それっぽい発音をしているが、少なくとも俺の知るオランダ語にそんな単語は無い。源内さんのことだから、おそらくイントネーションの位置で誤魔化しただけで、思いっきり日本語だろう。


 ”持ち歩けーる”と”押すと餡出ーる”でしょ。


 洗剤”スグオチール”とか、除草剤”クサカレール”みたいに、語尾を伸ばして外国語風にする造語ってのはこの時代から……ってか、もしかしてそれも源内さんが初出だったりして……


「日本の言葉をオランダ語っぽく言ってるだけでしょ」

「旦那には敵わねえや。そうさ、ちょっとした言葉遊びさ」


 源内さんがまた変な言葉遊びを始めだした。そういうものを急に思いつくあたり、コピーライターの才能は錆びついていないようだが、今日はそういうことを聞きたいわけじゃないんだよね。


「まあ名前はともかくとして、このマヨネーズとやらは黄身酢に近いね」

「黄身酢?」


 と思ったら、日本料理にも卵黄と酢を混ぜた黄身酢というものがあると教えてくれた。マヨネーズと大きく違うのは油を使わないこと。その分カロリーは低めでヘルシーだが、油による嵩増しが無いので作れる量は圧倒的に少なくなる。


「油分が多いものを好まない奴もいるし、なにせ食べ慣れない味だからね。場合によっちゃ黄身酢を代わりに使う手もあるかもしれない」

「なるほど」


 これは前世の記憶だが、令和の世ではお馴染みのチーズ味やコンソメ味のスナックというものも、昭和の発売開始当時は食べ慣れない味だということでかなり薄味に仕上げており、後に少しづつ味を濃くしていったため、初期のものと平成令和になってから売られているものとでは、同じ商品なのに味の濃さがかなり違うんだとか。


 それを考えて今回の具材も、俺の感覚的に未来の同じものよりかなり薄味にしたつもりだが、それでも人々が受け付けるには時間はかかるだろう。一長一短だから個人の好みによるところかもしれないが、黄身酢で代用する案は参考になった。


「オイラはこっちの方が好きだけどな。なにせ新し物好きなんでね」

「それはようございました」

「見る限りコイツは中に何でも挟めそうだし、そのうちに我々が思いもつかないような組み合わせが生まれるかもしれません。旦那はそうやってこれを広めて、麦の栽培を増やそうって魂胆なんでしょ」

「よく分かりましたね」

「そりゃ分かりますよ。甘藷を広めるために十三里を生み出した旦那だもの、これだってそのための布石でしょう」


 さすがは平賀源内だ。俺がやろうとしていることを明確に理解しているようだ。


「旦那は米に代わる食い物をたくさん作りたいんでしょ」

「その通りです。米だけを主食として崇めているせいで、不向きな土地で無理やり稲を植える地域も多い。麦は実を茹でて食べる方法もあるが、こうして別の食べ方があることを広めれば、それを植えて生活の糧に出来るようになります」

「なるほどね。そうなれば江戸の米の需要も抑えられ、馬鹿みたいな値上がりも起こりにくくなると」

「ええ。人々が米を買う量が減れば、売る方だって値は上げにくいでしょう」


 ある意味市場経済の原理だ。供給過多になれば、値は下げざるを得ない。そうなることで作る方も、儲からないなら違う物を植えようかと考える契機になる場合もあるはず。


 救荒食としての普及だけだとどうしてもネガティブなイメージになりがちだが、需要側と供給側の双方に、新たな食の選択肢を提供し、米作以外にも金になる作物があると知ってもらえれば、より一層普及に弾みが付くというものだ。


「上手くいけば大きな成果が出るね。新たに開拓する農地にこれを植えれば結構な収穫になるだろうな」

「新たな農地開拓?」

「下総の印旛沼で大規模な干拓事業が計画されていると聞いているぜ」




 印旛沼。下総にあるそれは、古代では香取海かとりのうみと呼ばれる海の一部あったが、周囲が陸地化して沼となったものだ。


「随分前に地元の名主たちが干拓事業に失敗したそうだが、田沼様はもう一度それを行おうとしておられるようだ」


 思わぬところでアレの名前が出てきたが、そら(源内さんは田沼とズブズブだから)そう(そういう話も聞いているのも不思議はない)よ、おーん。


「新たに生まれる農地に旦那の進める作物を植える。面白いんじゃないかな」

「印旛沼の件はそれもあるでしょうが、一番は水害対策なのでは?」


 事業の話を聞いてふと思い出したわけだが、田沼が印旛沼干拓を始めたのは、一番の目的が水害対策だったかと思う。


 というのも江戸時代の初期まで、利根川というのは江戸湾が河口だったため、度々水害で江戸の町が被害を受けており、これを解消するために流れを東、つまり未来の日本人が知る太平洋へ抜けるルートへと改良工事を行ったことにそれは起因する。


 利根川の流れを下総と常陸の境を東へ抜けるように変えたことで、江戸の町が水害に襲われることはほとんど無くなったが、代わりに下総がその被害を受けることになったんだ。


 この時代の印旛沼は、基本的に利根川方面にしか流路がつながっておらず、川が氾濫する度に大量の水や土砂が沼側に逆流してくるため、特に沼の西側は水害の影響を何度も受けているらしい。


「そのために印旛沼から江戸湾に向けて水路を作り、大水の際に違う方向へ水が逃げる道を設ける目的かと。水路が増えるから、その周囲を農地に出来るというのは、あくまでそれが成された後に考えることなのかと」

「そこまで分かっているなら話は早い。旦那はこの工事、上手くいくと思うかい?」


 まるで俺を試すかのように、源内さんがニヤリと笑った。知恵比べでも挑もうとしているのか。


「なぜそれを私に聞くのですか」

「いやなに、大がかりな工事になりそうだと聞くから、旦那の見解を聞きたいと思ってね」

「であれば、私からは難しい工事になるだろうとだけ申しておきましょう」


 干拓の話は、以前甘藷の栽培を視察するため、印旛沼の東にある田安家の領地へ行ったとき、地元の人から話を聞いた。先程源内さんの話に出た地元の名主は染谷ナントカさんという名前だったと思うが、幕府から資金を借りて工事を始めたものの、費用が嵩みすぎて破産しちゃったせいで事業は失敗したらしい。


「御老中は御手伝普請を命じて成そうとされるのでしょうが、どこの藩も財政は厳しい。財政を立て直そうと奔走している中、これを命じられれば余計に借金が増えることになり、幕府への不満が一層増え、民は更なる税を課せられることとなりましょう。更に言えば、完了まで年単位でかかる事業になりそうですから、工事の途中で水害が発生すれば水の泡になるおそれもあります」


 これは元未来人の俺だから知る話だが、田沼の行った干拓事業は失敗する。


 たしか、工事を始めたら浅間山の噴火の被害が大きくて一時中断となり、その後再開して完成間近まで進んだところで利根川の氾濫のせいで折角築いた掘割などがことごとく破壊され、その後将軍家治公の死と、それに伴う田沼の失脚でご破算になったと記憶している。


 つまり、今からやろうとするとリスクが大きすぎるのだ。




「するってえと、旦那は必要ないとお考えで」

「いえ。利根川から江戸湾に抜ける水路が出来れば、下総や常陸、さらにはその先の奥州方面からの物の流れが良くなります。治水が一番の目的でしょうが、物流の強化はそれ以上の益をもたらすものになるでしょうから、工事は必要だと思います」


 これも未来で学んだ知識によるものだが、田沼が失敗して後、天保時代に水野忠邦も干拓事業に着手した。その時は治水も念頭に置きつつ、当時頻発した外国船の到来に備えた対策が主目的であったと聞く。


 それは外国艦隊に江戸湾の入口である浦賀を抑えられ、外洋からの船が湾内に入れなくなったとき、江戸防衛の際の物資運搬ルートとして、奥州や北関東方面から船で太平洋岸の港町銚子に向かい、そして利根川を遡ってから印旛沼を経由して江戸湾内に送り込むという構想。


 戦時を想定した話ではあるが、平時においても物流を良くするという意味では十分に活用できると思う。


「物流の強化か。それはたしかに治水以上に大きな効果がありそうだ」

「手伝普請だけに頼らぬ財源の確保、あとは少しでも短い工期で工事を終わらせるための計画。そのあたりをしっかり整えてからでないと、今のままでは失敗するでしょう」

「あくまでも旦那の見解は慎重論なんだな」

「……源内さんが工事の計画と指揮を担えば上手くいくかもしれませんね」

「オイラが!?」

「まあ、幕政に関与していない一旗本の戯れ言です。それを決めるのは上様や御老中たちでしょうから」


 思いがけず政の話になってしまったので、ムチャクチャな話を振ってお茶を濁してみた。


 実際にやってみてどうなるかは分からないけど、源内さんは建築関係にも才を発揮していたみたいだし、案外工事が上手く進む可能性はあると思う。


 もっとも、幕府の公的な事業に、奉公構になった源内さんをどうやって関与させるかがこの案唯一最大の難点なんだけどね……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る