藤枝薩摩守?
「餡子入りのパンも美味しゅうございますね。これなら食べ慣れぬ者にも受け入れやすいかと」
「うん、きっかけ作りにはちょうど良いね」
アンパンを発明した長兵衛さんは、その後も商品化のために研究を続けている。安定した生産が出来なければ商品として並べることは出来ないという職人の矜持らしい。
そのため、あれからも度々試作品を届けてくれており、今日も我々はそれを食べながら感想を述べあっていた。
「ですが殿、これはどちらかと言うと菓子に近いもの。食事と申すにはいささか足りません」
「然り。砂糖などを混ぜて甘く焼き上げ、菓子のように作ることも出来るが、まずは白飯の代わりとして、パンが使えることを広めたい」
「これからそれを作るのですね」
「左様」
二人が懸念するとおり、未知の食材を受け入れてもらえるかが一番の課題だ。
やはりパンは白飯に比べてポソポソモゾモゾした食感だから、食べ慣れない人間がそう簡単に手を出してくれると考えるのは楽観的すぎる。
その点、長兵衛さんが作ってくれた酒種酵母のパンは、しっとりふっくらした焼き上がりになった上、馴染みのある餡子が入っており、パン初心者の導入編としては最適だ。
とはいえ、食べるのは都市部の人間だけではない。これを農村に広めようと考えると、質の良い酒種が手に入らない可能性が高いので、俺の方で小麦粉やライ麦粉から作るサワー種のパン作りを続け、ようやく形になってきたところだ。
ただ厄介なのは、発酵で乳酸菌が発生しているせいか、若干酸味のある仕上がりなことかな。サワー種と言うくらいだから酸っぱいのは当然なんだけど、日本人には食べ慣れない味だ。そこで、これを食べやすくするよう調理してみようと研究している。
「長崎で色々と教わりましたからな」
「それは楽しみですわ」
……というのは半分ウソだ。乳製品の作り方とかこの時代の西洋料理は勉強になったが、これから作る料理に関しては基本的に未来の知識準拠のものだからね。それを誤魔化すためにオランダ渡来の料理と称するための方便であることは否めない。
「では……まずは卵とジャガタライモを茹でましょう」
これまでも甘藷やジャガイモで新しい料理を開発したが、単に焼くとか揚げるとか、味付けもそれほど珍しい物は使わなかった。一番には卵や乳製品などが普及していなかったことが理由だ。
未来では何の気なしに使っていたソースや調味料だが、自作しようと思えば、洋食は卵や牛乳が無いと始まらないことに改めて気づかされた。
和風の味付けであればいくらでもやりようはあると思うが、
そして、養鶏に続いて生乳の入手も以前に比べて容易になったこのタイミングで、満を持してこれを披露する。それによってパンのみならず、卵や乳製品、そしてそれらの材料になる作物や飼料、酪農的なものも導入が促進できればという寸法だ。
「少し冷めたら塊が残る程度に潰してくれ」
「こんな感じでしょうか」
「いいですね。それくらいで」
さて……卵とジャガイモの準備が整ったので、次はソース作りだな。
「卵黄に塩に酢……を混ぜるのですか?」
「ええ、そのために金物屋にこれを作ってもらいました」
器に入れた材料をよく混ぜ合わせるには泡立て器が必要だが、オランダ人に聞いても、この時代は西洋でも木の枝を束ねた物やフォークなんかで混ぜるのが一般的で、俺のイメージするものは存在しないらしい。
ということで、何で混ぜるかとなると……茶筅しか選択肢は無いのだが、それだと多分使い捨てみたいになりそうなので、金物屋に頼んで金属製の泡立て器を作ってもらったんだ。少しイメージとは違うが十分に使えそうだ。恐るべし江戸職人。
「これで混ぜるのですね。あはっ、なんだか面白いですね」
「混ざってきたら、少しずつ油を加えて更によく混ぜてください」
「……なんだか色が白くなってきて、トロッとしてきました」
「それくらいでいいですね」
自家製マヨネーズ……完成でございます!
「まよねーず?」
「ヨーロッパの調味料にございます」
「……お酢を使っておりますのに、卵のおかげで酸味が抑えられてますね」
「口当たりもまろやかで……不思議な味です」
これを使って、パンに挟む具を作るのだ。
「挟む……とは?」
「パンを二つに切り、間に具を挟んで一緒に食べるのです。これをサンドイッチと申します」
サンドイッチの語源って、カードゲームに熱中して食事を取る時間も惜しいと考えた貴族が作らせたとかなんとか……ウソか真か知らんけど、その作らせた貴族の名前だったとか、たしかそんな話ではなかったかと記憶する。
その貴族がいつの時代の人か知らんが、長崎に行ったときにそういう呼び方もあるよと教わったので、結構最近の話なのかもしれない。ということは……最新のヨーロッパ文化を導入しているということになるよな。
日本人は新しい物好きだし、これは大いにウケるのではないかと考えている。
「潰した卵に塩と胡椒と……そしてマヨネーズを合わせて……っと」
「茹でた卵を、卵から作った調味料で和えるのですね」
「ゆで卵と比べてまろやかで食べやすくなります。パンに小松菜を敷き、そこにこれを乗せて挟めば……」
これで”たまごサンド”が完成だ。そして次は”ポテサラ”だな。
「綾、材料は切ってくれたか」
「こちらに」
すり潰したジャガイモに和える具材。キュウリ、人参、鴨肉の燻製だ。本当はタマネギも入れたいけど、この時代にタマネギは存在しないから省略。そして、鴨肉の燻製はハムの代わりだね。
「黄瓜ですか……? 苦いのでは」
「熟す前の青いうちなら苦みはそれほどではありません」
実はこの時代のキュウリは黄色く完熟させてから食べていた。だから黄色い瓜で「きうり」と呼ばれ、それが後世になって「キュウリ」と転化したようだ。
ところが、完熟した後の黄色いキュウリは苦味がとても強く、かの水戸黄門こと徳川光圀公が、「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」と酷評したくらい不人気な野菜なのだ。
どうも野菜は完熟させてからじゃないと食べてはいけないという刷り込みがあるようだが、俺からすると熟れる前の青いウチになんで食わないの? と思う。
そこで熟す前の青い物、俺が良く知るキュウリの状態で食べてみたら、未来の物に比べてたしかに苦みは強いけど、こうやって他の物と混ぜて使えば、その苦みが逆にアクセントになりそうな感じだった。ゴーヤみたいな感じかもしれない。
そこまでして入れる必要があるのかというと……特に意味はない。強いて言うなら彩りのためか。一応瓜は家庭菜園とかでも育てやすい野菜のようだし、オランダではこういう食べ方をするんだよと紹介すれば、わざわざ黄色く熟れてから食べることもなくなるだろうし、それによって栽培する人が出てくるかもしれないという期待値込みで使うことにした。
「マヨネーズを入れて混ぜ……あとは塩と胡椒で味を調えてと……」
よし……みんな大好き”ポテサラ”の完成だ。あとはたまごサンドと同じように小松菜を敷いたパンに乗せれば”ポテトサンド”の出来上がりっと。
「そして、最後は……と」
器に小麦粉を入れ、そこへ牛乳を入れながらかき混ぜる。
「鍋に火をかけ、バターを溶かしてくれ」
「ああ、良い香りがしてきました」
「そこへこれを入れて、塩コショウ……」
ダマにならないように時々ゆっくりとかき混ぜながら、鶏ガラのスープと隠し味に醤油を少々っと……
ホントはコンソメキューブがあればいいんだけど、そんな便利なものは無いので、食べ慣れた鶏の出汁と醤油で日本人向けにしてみる。
「よし、クリームソースの完成だ。炭焼きの鶏肉をパンに挟んで、これをかけて……」
鶏肉のクリームサンドの出来上がりっと。完成度はまだまだだけど、それっぽい雰囲気は出せているはず。
もっとも、西洋料理のなんたるかを知る日本人はいないから、これがオランダ渡来だと言えばみんな信じるだろうけどね。
「和紙で包むことで、箸も器も使わずに食べることが出来ますね」
「たしかに、これなら何かをしながら食べることも出来ます」
出来上がったサンドイッチを縁側に座って頬張る。こんなところで気軽に食べることが出来るのも、食器を一切使わないからこそだ。
「外記様、これならばわざわざ膨らませなくとも、平たいパンでも応用できるのでは?」
「非常時にはそれもありですね。平たいパンを皿代わりにして一緒に食べてしまうというのも手ではあります」
人の発想力とは不思議なもので、一つモデルケースが生まれれば、そこからどんどん構想が広がっていく。だからこそ、最初の一歩、所謂コロンブスの卵的な発想をした人間というのは偉大なのだ。
俺こと藤枝薩摩守教行は、他人のアイデアを利用しただけなので、偉人でもなんでもありません。
なんで薩摩守かって? 源平の時代に平清盛の弟で
そこから、切符を持たずに電車に乗る、所謂キセル乗車を"タダ乗り"にかけて薩摩守と言うようになったのさ。切符じゃないけど、俺も人のアイデアにタダで乗っかっているだけだから薩摩守なのさ。
この時代では、島津家が代々名乗ってるから、俺が本当に任じられることはないけどね。
「殿、平賀殿がお見えにございます」
「源内さんが?」
なんてことを思っていたら、俺に未来をパクられた(?)源内さんの来訪を家臣が伝えにきた。
最近の源内さんは文筆活動などを縮小し、本気で研究に向き合っていると聞く。会うのは俺が正体を明かした日以来になるが、何の用であろうか。
「構わぬ。客間にお通しせよ」
ちょうど良い機会だ。近頃はそっち方面の活動はしていないようだが、アイデアマンの源内さんにアンパンやサンドイッチについて意見を求めるのも一興か。
……決してアイデアを
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