<第四章>新たな時代へ

ファースト・コンタクト

「外記、色々と迷惑をかけたな」

「勿体無いお言葉」


 俺が種姫様……ではなく、種を嫁に貰うという件は、口を挟む間もなく電光石火の早業で幕閣、並びに上様の了承を得ることとなった。


 俺の嫁とかリアルで言うと少し痛い感じだが、事実だからしゃーない。今はそれに慣れるために、姫様呼びしないように俺も厳命されているからね。


 今日はその件を含めて、家基様に報告をするための登城だ。


「まさかあのような事態になるとはな」

「その話はここまでにいたしましょう」


 公には姫は急病を患ったということになっており、毒の"ど"の字も出てこないから、事件性は無いと言っているに等しい。


 それはつまり、大奥の体面であったり、話を企図した幕閣の責任問題を避けるための措置だと考えるのが筋だろう。


「されど……下手人一つ見つけられぬというのは」

「見つける気が無いのかもしれません」




 事態が事態なので、誰の指図によるものか内々に調べているらしいが、今のところ容疑者は不明だ。


 なんでも、あの後何人かの女中が暇請いをして城を後にしており、きな臭い話だが一部は行方すら追いかけられないという。


 表向きは郷里に帰ったとか、豪商の後妻になったなどと聞くが、ならば行方を誰も知らないというのもおかしな話。探そうと思えばいくらでも探索の手は伸ばせるはず。この状況でそれを為さぬのは、もしかしたらに旅立った可能性も考えられる。


 なにしろ今回のことを公に明かそうとすれば、大奥の実力者を敵に回すことにもなる。だから男たちが及び腰なのだろう。故に追求を意図的に避ける空気が蔓延し、やることはやったとして迷宮入りにしてお茶を濁そうとしていることを感じ、田安家の皆様や俺が面白いわけがない。無論、家基様もだ。


 どうしてかと言うと、種が快癒してからすぐに家基様に宮家から姫を迎えるという話が動き出したからだ。まるで輿入れしようとしていた事実すら無かったかの如く、朝廷へ働きかけが始まっているんだ。貴人の婚約に政治が絡むのは常とはいえ、家基様も駒のように扱われて楽しいはずがないからね。


 だけどこれ以上話を深堀りすれば、身の回りの世話を大奥の女たちに任せている家基様にまで害が及ぶ危険があるから、話を続けるのは良くないだろう。家基様も俺の言葉に感じるところがあったのか、そこでその話は終わった。


「しかし如何にして治療したのだ」

「あまり人前で話すべきではございません」

「なるほどな。では、日を改めて教えてもらうこととしよう」

「御意」


 治療の詳細は、本人のためにもあまり公言するものではない。アーンなことやコーンなことをしたから話せないわけではなく、今後も毒を盛られる可能性が消えないから、こちらの手の内を隠しておいた方が良いだろうという判断だぞ。


 特に家基様に関しては狙われる最有力候補だから、隠さず話しても良いかもしれないけど、誰が敵で誰が味方か分からない以上、人の耳が少ない場で話すべきだと思う。


「さて、では話を変えよう。例の牛はいかがじゃ」

「順調にごさいます」




 以前、乳製品が欲しいと願って、安房嶺岡牧で飼育する白牛を、佐倉藩が管理する下総柳沢牧に移動してもらい、佐倉藩の家臣渋井様に牛酪の製作をお願いしたのだが、これは単に牛乳を煮詰めたものを乾燥して丸めたものなので、バターともチーズともつかない微妙なもの。生乳の量に対して出来上がりも非常に少なく、コスパも悪かった。


 だからオランダ人直伝の手法で、自分で手を加えたいと思ったのだが、柳沢牧は江戸からおよそ十三里と距離があって、生乳を運んでくるのは難しいため、もう少し近い場所で牛が飼えないかと家基様に相談したところ、小金牧に牛小屋を作ってくれることになった。


 小金牧は同じ下総国だが、未来で言う千葉の松戸や柏のあたり。水戸街道で起点の千住から三つ目の宿場町である小金宿の近くにあり、江戸からはおよそ五里少々。俺が技術指導に向かうにしても一泊二日で帰ってこれるし、作った乳製品も一日とかからずに江戸まで運ぶことが出来る。


 安房嶺岡牧からでも押送船おしょくりぶねという、鮮魚運搬用の快速船で海を渡れば、江戸まで半日で持ってくることは出来るが、漕走船なので荷の品質が心配なのよ。波に揉まれてシェイクされた結果、江戸に着く頃には違う何かになっていた……だと困るし、何より遠くて俺が頻繁に足を運べない。


「大納言様にも、近いうちに牛の乳から出来たものをご賞味いただけるかと」

「それは楽しみだ」



 ◆



「藤枝殿」


 家基様との面会も終わり、西の丸を後にしようとたところで、見知らぬ人物に声をかけられた。


「失礼、どちら様でございましたかな」

「お初にお目にかかる。田沼大和守でござる」

「……御老中の」


 その人物は、老中田沼意次の息子意知だった。何でここにいるのだろう……


 基本的に幕府の職は各家の当主が務めるものだ。このJr.はそういう先例を覆して、父が老中に在職、つまり当主として健在なうちに若年寄に就任したけど、それはもう少し先の話であり、今はまだ遠州相良藩の世子にしか過ぎない。特に用もなく城に来ることはないはず。


 いや……俺が知らないだけで、既に父の秘書みたいな形で政務を担っている可能性はあるか。だとしても、俺に何の用があるというのだろうか。


「大納言様への報告の帰りかな」

「左様にございますが……」

「……もしこの後予定が無ければ、少しよろしいか」

「立ち話では済まぬお話ですかな」

「そう警戒せんでくれ。お主とは前々から話したいと思っておったのでな」


 田沼Jr.は気さくな感じで話しかけてくるけれど、こちらは警戒せざるを得ない。状況的に色眼鏡で見ざるを得ないからな。


「それで、どちらにて」

「部屋を用意しておる」


 この時点でたまたま見かけたので声をかけたという線は消えた。城内で部屋を一つ手配するのだって面倒が多いのだから、俺が今日登城することを知っており、予め用意していたと考えるべきだろう。


 まだ幕府の要職に就いていないとはいえ、相手が相手だ。準備万端だとすれば断るのは悪手だな。




「それで、話とは何でございましょう」


 西の丸の一室に招かれた俺は、ゆっくり話し込むような間柄でもないので、早速とばかりに要件を伺った。


「種姫様の件、父に代わって礼を申したく」

「礼など無用にござる。医学を修めた身として務めを果たしただけのこと」

「それでも礼は申さねばならん。田安家との関係がこれ以上拗れるわけにはいかんからな」

「私を長崎に送り出した甲斐がありましたな。さすがの慧眼かと」


 自分でも嫌味な言い方だなという意識はある。


 俺が長崎に行ったからこそツンベルク先生と知り合い、その助力を得られたのは事実だが、それは結果論でしかない。むしろ、彼らにとって望んだ結果でなかったかもしれない。


 そうであれば、「俺を遠ざけた結果、命が助かることになりましたね。ざーんねん」という煽り文句に聞こえている可能性もあるからね。


 本来なら余計な言質を取られるべきではないから、腹芸の一つも見せて当たり障りなく対応するべきだろうが、思った以上に刺のある言葉が出てきたのは、知らず知らずのうちにヘイトが溜まっていたんだと思う。


 それに面従腹背でニコニコして、勘違いされるのも何となく嫌だからね。


 


「……これは手厳しい。どうやら藤枝殿は我らのことを快く思っておられぬようだ」

「何を仰る。我々は今初めて言葉を交わした間柄。好きとか嫌いとか、信じる信じないとか申す以前の話。にもかかわらずそう仰せなのは、何やら疚しいところでもあるのかと邪推されますぞ」

「此度の縁組みは……それを改善するための手であったのだ」

「それで毒を盛られては話になりませんな」


 jr.が言うのを鵜呑みにすれば、幕閣は田安家と将軍家の中を取り持とうしていたことになる。ただ、それほどまでに重要と考えていながら、種は毒を盛られんだけどね。


 ここで血眼になって犯人を探し出す姿勢でもあれば別であったが、実際は有耶無耶にしてしまおうという空気なのだから、最初からが目的で仕込んだ計画なのではと考えても仕方がないことだと思う。


 更に言えば、田安家との関係を改善したいのなら、賢丸様の養子入り、そして俺の長崎送りはどういう意図で仕組んだことなのか。むしろ田安家が力をつけ、名声を高めているのを見てその力を削ごうと考えているとしか思えず、これまでの動きを当事者として体験した身としては、なんか白々しい気がする。


「信じてはもらえぬかもしれぬが、私は貴方の才を評価している」

「それはどうも」

「其方なら分かるはずだ。今までのやり方では幕府の財政は早晩立ち行かなくなる。貴殿の才はそれを穿つ一助になり、それを見出した田安家の助力が必要なのだ」

「それは私ではなく、御老中自らの口で、中納言様や大府卿様に申し上げるべきでは?」

「それは……今はまだ話せぬ」


 何とも含みのある言い方だな。実は裏でこういう深慮遠謀があるというのであれば、なおのこと宗武公や治察様を飛び越して、俺に話す意味が分からない。


「ならばこれまでにしましょう。力添えをと仰せであれば、その今は話せぬということを、私ではなく田安家の皆様にお話し出来るようになってからになされるがよろしかろう」

「……承知した。ただ、これだけは分かって欲しい。我らは国の、幕府の安寧を願っている。父のやり方が気に食わず、嫌悪感を抱かれるのは一向に構わないが、上様や大納言様の事は見捨てないでいただきたい」


 ……元よりそんなつもりはない。俺が新しい作物を奨励するために動いているのも、民が窮乏しないように、そして、それがこの国を守る源だと思っていればこそだ。


 協力してくれと言うのなら力を貸すが、肝心なことをぼかしたまま、どこかの秋葉原の子のスピーチみたいなことを言われても、なんだかなぁって感じだよね。


「お言葉の真意は測りかねるが、私は大納言様にも目をかけていただいておりますれば、その懸念は無用とだけ申しておきましょう。では、これにて失礼いたす」


 宗武公や治察様へではなく、俺に直接コンタクトを取ってきたところを見ると、こちら側の感触を探りに来たのだろうか。とはいえ、結局何が目的なのかよく分からなかったな。






「これは想像以上に拗れておるな……」


 去り際に、座ったままのJr.が何やら呟いていたように見えたが、本気で関わりになる気があるのなら、そちらもそれ相応の覚悟は持ってきなさいってところですかね。

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