男は黙って……

 種姫様の容態は薬のおかげもあって、快方へと向かった。


 数日の間は満足に食事も取れなかったので、さぞ辛かったであろうが、意識もはっきりと取り戻し、会話や体の動きにも後遺症が見られなかったのは不幸中の幸いと言うべきだろう。


 あの日以降、俺は定期的に長崎屋を訪れ先生に容態の報告をしつつ、新たなオランダ知識の習得を続け、充実した日々を過ごしていたが、遂にカピタン一行が長崎へと帰る日がやってきた……




『通行許可証……?』

『これがあれば、植物採集のために先生が出島の外へ出ることが出来るのです』


 見送りついでに、俺は植物採集のために長崎の郊外へ外出する許可証を餞別として贈った。一応長崎奉行への事前申請は必要だし、基本的に日帰り出来る範囲という制約こそあるが、これまでの慣例から考えたら破格の待遇だと思う。


 姫を救った功績を全部俺に譲ると言ったのであのときは立ち消えになったが、それでは逆に俺の気が済まないので、治察様にお願いして入手したのだ。


『これは……有難いが困ったな』

『何か問題でも?』

『今年の船でバタヴィアへ帰るつもりだったんだ』


 どうやら先生は、植物採集が思うように進まないことから、見切りをつけて日本から去るつもりだったようだ。そこへきて、俺が外出許可をもらってきたものだから、嬉しさ半分困惑半分といったところらしい。


『ツンベルク、良かったじゃないか。これでもう1年は日本に滞在できるな』

『商館長、自分のことじゃないからって』


 フェイトさんが言うように、オランダ商館としては先生にもう少し日本に滞在してもらいたい意向があったらしく、俺が帰る理由の一つを潰してくれたことを非常に喜んでいた。


『まあ、教え子が折角用意してくれたんだ。もう1年、日本に居るのも悪くないか』

『では先生、来年また江戸でお会いしましょう』

『ああ、ゲーキ、スンナン、ホジュウ、みんなも元気でな』


 こうして、一行は長崎に向けて旅立っていった……



 ◆



「さて外記よ。此度の働きに対し、余は恩賞を与えねばならん」

「畏れ多くも、姫の命を救えたことだけで十分です。それ以上の望みはございませぬ」

「欲が無いのう」


 後日、俺は田安邸に呼ばれ、宗武公から恩賞の話を切り出された。


 この件に関しては、毒を盛られたという点は伏せられ、公式には茶会の場で姫が突然倒れたのを、俺の治療で快癒したということになっており、期せずして俺は名医に祀り上げられることとなってしまった。


 なのでこれ以上欲をかいて、医者としての俺に期待する声が高まるのは怖い。自信の有る無しではなく、まだまだ勉強中の身だし、農学にも力を入れたいので、そっとしておいてほしいというのが本音だ。




「ではその話はここまでにして……治察」

「はっ。されば外記よ、やむを得ぬ次第とはいえ、嫁入り前の娘が人前で肌を晒し、あまつさえ触れられた。それが徳川の血を引く姫の身に起こったのだからな、何も無しというわけにはいかん」


 そうきたか……


 いやね、あのとき宗武公にすげえ目で睨まれたのは分かってたけどさ、治療行為ですよ、人命救助ですよ、実際に命は助かったわけだし、無罪ノットギルティじゃないんですかね?


「治察の申した通りだが、そんな野暮なことはさせん。あのとき何があったのかなど、外の者は知る由もないのだからな」

「では……」

「しかしだな、当の本人はそうもいかぬようでな。男に肌を晒した身で他所へ嫁には行けぬと、妹はそう申しておるぞ」

「ええと……つまりそれは……」

「お主が責任を取ればよいのだ」

「せ・き・に・ん……?」



<外記の脳内劇場>


「治療と称して、女の子の体を触りまくった男がいるらしいですよ」

「なぁにぃ~!! やっちまったなあ!!」

「男は黙って……」

「娶れ!」

「男は黙って……」

「嫁に迎えろ!」

「責任は取ろうね」



 ……いや、称してじゃねーわ。ちゃんとした医療行為だし、触ったけど邪な気持ちでは無い。餅つきながらそんなこと言われても笑えねえっての。


「お、お二方……お言葉ながら、私では」

「余の娘では不服か……?」

「我が妹では満足できぬと……?」

「不服でも不満でもなく……将軍家の養女になろうとしていた御方でございますよ」

「案ずるな。その話なら既に叩き潰してきたわ」

「えぇ……」


 どうやら幕閣は、今回の件を受け、反省の上で次が起こらないように万全の態勢を敷くということで、養女の話を継続するつもりだったらしい。


 しかし宗武公と治察様は、だったら最初から対応しておけ、今更信用出来るかとお怒りで、話を白紙に戻すどころか、未来永劫受ける気はないと断固拒否の姿勢で貫いたそうだ。


「一応表向きは、病がいつ再発するかも分からず、お役目を果たせぬ可能性が高いゆえ、上様の養女となるは遠慮したいとな」

「左様。それでいつ再発するかも分からぬ病に対処するには、治療した其方の側で面倒になるのが一番ということじゃ」

「姫はそれで良いと?」

「もちろんです。私がそう望んでおるのです」


 突然の急展開に俺が困惑していると、見計らったかのように姫様が現れた。




「姫、どういうことかご理解の上でか」

「無論です。私が旗本四千石、藤枝外記の妻となるというお話です」

「徳川の姫が旗本に嫁ぐなど、聞いたことがありません」

「ならば私が初めてですわね。外記様の解体新書と同じではありませんか」


 一緒にしてはいけないと思いますが……


「一度は諦めた想いでしたが、病の床にあったとき、外記様の声を聞き、その手の温もりを感じたとき、朧気な意識の中で、ああ、やはり私はこの方の側にいたいのだと思ったのです」

「畏れ多いことで……」

「勿論私が一方的に想いを寄せているだけの話にございますれば、外記様が嫌だと仰せなれば無理強いは出来ませぬ」


 と、姫は気遣いしてくださるが、宗武公や治察様の様子を見れば、断ったら最後、俺は棺桶に収められて無言の帰宅か……もしくは城のお堀で土左衛門水死体だな……


 こ〜んにちは、僕ドザえもん……嫌だ。


 実質拒否権は存在しないらしい。




 となると、姫を嫁に迎えて問題ないか、本気で考えてみなければならない。


 まずは年齢。数えで俺は十九、姫が十二なので、未来ならば「おまわりさんこっちです」という事案発生臭がしてしまうが、この時代ではこれくらいで婚約という話は珍しくないし、実際に夫婦となるのは数年先になるだろうから、そこまで問題はないはず。


 しかし身分差だけは如何ともし難い。そこに関しては姫にしっかりと確認せねばならんだろう。


「お気持ちは分かりました。されど、いくつかお伝えしておかなければなりません」

「何なりと」

「まず、将軍家一門たる田安家と我が藤枝では、当然同じ暮し向きにはなりませぬ。姫に我慢をしていただくことも多くなります」

「結構です。外記様のおかげで玄米から粟、稗、その他の雑穀を美味しく食べる術は身につけました」


 だから食事については問題ないし、むしろ白米の出ない食事に文句を言わない武家の娘など他にはいないと胸を張っておられる。


 たしかにそうかもしれないけど……食事だけではないのよ。


「女中もそれほど多く抱えることは出来ません。身の回りの世話も行き届くか……」

「つまり、私にも仕事をせよと仰せなのですね。よろしゅうございます。畑仕事でも新たな菓子や料理作りでも何なりと。綾もおりますから、楽しくなりそうです」


 そうね……最初はひと悶着あったけど、綾とはなんだかんだで馬が合うのよね。


「あと……これは申し上げにくいが……私の妻になるということは……私の子を成すということで……」

「それこそ今更でございます。既に床を共にし、肌を合わせた間柄ではございませんか」


 いや、言い方……何一つ事実と相違はないけど、知らない人が聞いたら絶対に勘違いするぞ。


 宗武公がその言葉を聞いて、「やはりな」と何とも言えぬ顔をしているのが怖い。何が"やはり"なのかは身の安全のために聞かないことにしよう……




「私が妻ではお嫌でございますか……外記様はずっと私の側に付いていてくださると約束していただいたではありませんか」

「嫌なわけがございませぬ。私に嫁ぐことで、姫が要らぬ誹謗を受けるのではないかと、それだけが心配なのです」


 本来ならもっと家格の高い家に嫁ぐべき姫が、四千石の旗本に嫁ぐという意味。知らぬ者ならば、姫に何らかの瑕疵があるからと考える者もいるだろう。


「だからこそ、お主に嫁がせるのだ」

「中納言様……?」

「たとえ、種が我儘でお転婆で……」

「お父様、それはあまりの仰いようです」

「オホン……幼い頃から其方と縁付くことを望んでいたからとて、はいそうですかと嫁に送り出すわけがなかろう。藤枝外記を我が義息とすることに意味が有るから故の話ぞ」


 当主の考えを抜きにして、誰に嫁がせるかを決めるわけがないと宗武公が仰る。ということは、この話は公の意向でもあるに等しい。


「たしかに……旗本に嫁がせるなど、今までであれば有り得ぬ話よ。されど其方であれば、余が娘を嫁がせた意味を誰しもが納得する日が来るのではと思っている。外記、この中納言宗武の目に狂いが無いと、其方が証明してみせよ。そして、四の五の言わずに種を嫁に貰え」

「……ははっ、然と承りました」


 これまで俺のやることに異論を挟んだり、無理な命令をすることの無かった宗武公から下された初めての厳命といえる話だ。ものすごくキツい課題を与えられた気がするが、ここで断ることは出来ないから、黙って受けるしか無いだろ。


 しかし、姫が俺の嫁か……


「不束者ではございますが、末永くよろしゅうお願い申し上げます」


 そんなにニッコリと微笑まれては、俺もにこやかに微笑み返すしかありませんな。


<第三章 蘭学者藤枝外記・完>




◆ ◆ あとがき ◆ ◆


 「旗本改革男」をお読みいただきありがとうございます。第三章は残り二話、ツンベルク視点のお話と登場人物のまとめを投稿して完結となります。


 気付けば100万PV超え……歴史物の累計ランキングでもトップ10入りと、書いている本人が驚くほどの評価をいただき、読者の皆様には改めて感謝申し上げます。


 この先も基本的に"ほのぼの路線"で進めたいのですが、歴史に詳しい方ならご存知のとおり、そうも言っていられない事態が刻一刻と迫っている&種姫毒殺の真相がまだ隠されているので、第四章はまた色々と波乱の展開が? これまで名前だけ出ていたあの方がとうとう出てくる……のか?


 この先は話が進むにつれ、どんどん改変の度合いが激しくなるので、違和感を感じるところもあるかと思いますが、歴史if物の一つの考え方だとご理解いただき、引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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