種姫の危機

「畑を四つに分けるとな?」

「これが上手くいけば農産力の向上が図れます。まずは我が領内で試し、成果があれば他にも広めたいと」

「相分かった。天領でも試せぬか幕閣に諮ってみよう」


 二月の終わり。カピタン一行が江戸に到着したのを知るや、家基様からお召しがあり、成果について問われたので、まずは四圃式農法のことを話した。


 米作大国である我が国は、全国各地に田んぼが作られているが、中には明らかに不向きな土地で稲を植えるために、水路を整備している場所も多く、それが水利権のような形で村同士のトラブルになることが多々ある。


 畑も水は必要だが、水田と違って常時水を引く必要はないので、四圃式農法によって、米作に不向きな土地の有効活用だ出来るのではと報告すると、家基様は話を聞いて満足そうに頷いていた。


「……ところで話は変わるが、そなた以前に田安の種姫に学を授けていたと聞いたが」

「はっ。農学や薬学、あとは蘭語など、私が学んだ知識を教えておりました」

「農学に薬学に……蘭語までを……女子が学んでおるのか」

「左様にございます。されど女だてらに、というわけではなく、和歌や琴などの芸事や作法もしっかり修めた上で学んでおりますれば、どこに出しても恥ずかしくない姫君かと」

「……左様か」

「何かございましたか」

「いや、突然変なことを聞いてしまったと思ってな。許せ」


 突然種姫様のことを聞かれ、質問の意図が分からなかったから、どうやって答えるべきか迷い、事実を交えつつ、出来るだけ姫の評価が悪くならないようにと答えたつもりだが、家基様は難しい顔をしていらっしゃっる。


 その質問が何によるものであるのかを知ったのは、家基様の御前を辞し、田安家に顔を出してからだった……



 ◆



「大奥へ?」

「そういう話が出ているという段階だ」


 西の丸から田安邸へ足を運び、宗武公や治察様へ帰還の挨拶をした場で、種姫様が大奥に入るという話を聞かされ、家基様の質問の意図するところが何かを察した。


――大奥


 それは江戸城において、将軍家の子女や正室、奥女中たちの住まう場。政治を行う場である「表」、将軍が日常生活を送る「中奥」、そしてその先にある、将軍以外の成人男子が入ることを許されない場が「大奥」だ。


 徳川の血を引くとはいえ、別家の姫がそこへ入るということは、将軍の妻となるか養女となるかの二つに一つしかないが、亡くなった御台所を深く愛していた家治公が後妻として迎えるとは思えないので、今回に関しては後者だろう。


「どこかに嫁がせる必要が出たのでしょうか?」

「いや。これは推測でしかないが、西の丸ではなかろうかと思う」

「西の丸……」


 俺は姫が義妹となることを知って、家基様はその為人を聞きたかったかと思ったのだが、宗武公の見立ては違った。その推測通り、家治公の養女として本丸に入った後に西の丸へ行くとなれば、それはつまり家基様の……ということになる。


 栄螺さん的な系図で言うと、二人は若布ちゃんと鮭卵ちゃんの関係だが、年は家基様が三歳年上だ。


 孫より若い息子が当たり前にいる世の中だから、続柄に大した意味は無く、年齢的な釣り合いが取れ、未来の御台所としての格も十分な種姫様が候補に上がるのは十分に理解出来る。


 しかし……種姫様が若布ちゃんってことは、賢丸様は鰹くんか。となると、俺はいつも一緒に野球をやってる中○くんのポジション……


『おい賢丸、そんなことより蘭学しようぜ!』


 言えねえわ絶対に……




 しかし腑に落ちない。次期将軍の御台所を決めるとなると、将軍個人の意思だけで動くはずはなく、幕閣の意見も反映されるはず。俺の推測が正しければ、家基様と田安家を繋ぐということは、にとって避けるべき事態だ。


 他に目論見があるのか? 俺の見立てが間違っていたのか?


 分からん……権謀術数の世界なんて、ドラマや小説の中でしか知らないよ……




「失礼いたします」

「通子、いかがいたした?」

「種が話をしたいそうで、こちらに連れて参ってもよろしゅうございましょうや」


 男たちだけで話をしていたところへ、通子様が現われ、姫が何やら大事な話があると仰っている。となれば、俺は退散した方がよさそうだな。


「されば、私はこれにて」

「いえ、藤枝殿にも同席願いたく」

「私もでございますか」

「其方にも関係のある話ということであろう。よかろう、これへ」


 宗武公に促され、姫が通子様に連れられて部屋に入ると、いつものニコニコした様子は無く、硬い表情で皆に向かい頭を下げた。


「お時間を取らせてしまい申し訳ございません」

「して、何の話か」

「私が大奥へ入るという話についてです」

「まだ決まったわけではない」


 宗武公の話によれば、こちらの体面を考え、姫自身が一度大奥に足を運び、その目で中を見て判断して欲しいということで、近々茶会に招かれるという段階らしい。


「養女の話を聞いて、大奥の年寄や女中たちが品定めをしたいのだろう。まったく、我が娘を試そうなどと……無礼な」

「父上、あまり波風を立ててはなりませぬ」

「種……?」

「父上のお気持ちは有難く思っております。されど、この話は田安の家にとって慶事。この種も徳川の血を引く娘にございます。このような話がいつか来ることくらい覚悟しておりました」


 大奥ってのは俺には見知らぬ世界だが、未来でやっていたドラマを見る限り、ドロドロの伏魔殿って感じだもんな。脚色されたであろう点を引いても、基本そういう世界なんだと思う。


 しかも今の大奥を仕切る実力者たちは、田沼と仲が良いらしい。己の権利基盤を固めるため、大奥にもかなり配慮をしているらしいからね。


 となると、そこへ種姫様が未来の御台所として入るのは、あまり楽しい未来が見えてこない。宗武公もそのあたりを危惧しているようだが、姫様はそれが田安の姫としての自身の務めと言い切られた。


「種、良いのか?」

「覚悟はしております」

「味方となる者は少ないぞ」

「父上、くどうございますよ」


 その言い切る姫の凛とした顔つきは、やはり将軍家の血を引く高貴な姫なのだと改めて感じられるものだった。


 俺がそれを見たのは……のとき以来だな。


「それと、藤枝様」

「はっ」

「これまでのこと、感謝申し上げます。それと共に……お詫びいたします」




 一拍置いて姫がこちらに向き直る。俺に言いたいことがあるようなので、居住いを正して聞いてみれば、何に対してか分からないが、頭を下げて謝ってきた。


「姫、顔をお上げください。私は何も謝られるようなことは……」

「いえ、藤枝様……いや、安十郎様には幼少の頃から慈しんでいただき、私、実の兄のようにお慕いしておりました」


 そして姫の口から、自分が嫁入りすることで、田安家が俺を手放さずに済むように考えていたことを明かされた。


 以前賢丸様から聞かされていたが、まさか本人の口から聞くことになるとは思わなかったよ。


「学問を授けていただいたのも、安十郎様に少しでも近づきたくて、少しでも一緒にいる時間が欲しくて……そう願っておりました。されど、この一年色々と考えまして、私が安十郎様に関われば関わるほど、ご負担になっているのではと……」

「そのようなことはございません」

「いえ、よいのです。長崎でも有益な学を修められたとのことですし、ここらが潮時かと」


 賢丸様の養子入りと共に、会う時間が減っていたところへ、半年の長崎留学があったので、その間に姫も色々と思うところがあったようだ。


 自分が俺の側にいることが、本当に俺のためになるのか。むしろ余計な時間や手間をかけてしまい、俺が本来向き合うべきものにかける時間を割いているのではと感じたようだ。


「それに……此度の話も、私が学問を修めていることを聞きつけての話のようですし。そうですわね父上?」

「ああ……そのようだな」

「皮肉なものです。安十郎様に近づきたくて学んでいたのに、それが結果的に離れる理由になってしまうとは」

「姫……」

「良いのです。先程も申しましたが、私も徳川の血を引く娘。こういう話が来る可能性は重々承知していました。これまでは子供だからとその可能性から目を背けたフリをしていただけ。綾の件をはじめ、安十郎様には子供の我儘で大変ご迷惑をおかけしました。その詫びにございます」


 そう言うと、姫は再び深々と頭を下げた。


 ……なんだろう。ちょっと悲しい。妹のようにかわいがっていた子が嫁に行っちゃう悲しさなのか、これまで何となく姫が俺の嫁になると吹き込まれていたところに、急にフラれちゃったが故の悲しさか。


 よく分かんないけど……寂しいな……


「さて……父上、茶会へのお招き、お受けする方向でお話を進めてくださいませ」

「相分かった。ただ、その目で見てどうしても気に入らぬのであれば遠慮なく申せ。そのときは父が断固として断ってやる」

「お気遣いありがとうございます」


 こうして、姫の大奥入りは決まった。


 まだお試しの顔合わせではあるが、その話を受けた時点でほぼ決まりのようなものだ。


 しかし、事はそう簡単に運ばなかった……



 ◆



「種、しっかりせい!」

「中納言様、あまり身体を揺すってはなりませぬ!」

「容態は如何に」

「倒れられてから、未だ目を覚まさぬと」

「クソっ、なんでこんなことに……」


 それから半月ほど後、姫が大奥に招かれた日。俺は宗武公や治察様に田安領での新農法を相談していたのだが、そんなときに緊急事態が発生した……







――茶会の場で姫が倒れたまま意識を取り戻さない。


 事態は最悪の方向へ動き始めていた……

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