夏至祭?

――安永五(1776)年二月


 一月十五日、将軍家治公への謁見のため、長崎を出立したカピタンたちと共に、俺は約半年の遊学を終えて江戸に向かっている。


 一番の収穫は、新たな農法や産物に関しての知識を得られたことだ。種や苗なども幾ばくか入手出来たし、四圃式農業でライ麦やオーツ麦などの栽培を試すことが出来るかと思う。


 ほかにも長崎ではオランダ人のためにパン作りも行われており、そこで製法を学ぶことができたし、この時代の乳製品や西洋料理の作り方も教わった。


 さらにはそれらを通じて、オランダ語も以前よりかなり上達した気がする。


 残念ながら医学の方は、解体新書和訳の際に教わった知識しか持ち合わせていないので、成果と言われると微妙だが、そちらは先生が江戸にいる間に、前野さんや中川さんに教示してもらおうと考えている。




<東海道>


『ゲーキ、あの植物を観察してもいいかな』

『大丈夫ですよ』


 帰りは大坂まで船でやって来て、その後は陸路を進んで江戸に向かっている。


 なおカピタンの一行と謳っているが、肝心のオランダ人は商館長のフェイトさんと書記官、医官のツンベルク先生の三人しかいない。一行のほとんどは、お付きの幕府の役人や使用人たちなのだ。


 フェイトさんはこの道中も三回目とあって落ち着いたものだが、先生は出島の外、リアルな日本の農村や宿場街を見るのは初めてとあって、道中で見つけた色々なものを、足を止めては観察していた。


『これは……の仲間だろうか。形状は似ているな』

『あの……医官殿』


 先生に声をかけてきたのは、本木仁太夫という小通詞末席の方。本来の役である小通詞の下に小通詞助、小通詞並、小通詞末席という諸役が年を追うごとに増員されたらしく、末席ってのはその名の通り小通詞の中で一番下ということ。


 ただ、この方は二年前に、オランダの書物の抄訳本で初めて地動説を紹介した優秀な方で、今回は同行出来なかった吉雄さんが、自分の代わりに先生や俺に色々と教わってこいと言って送り出したらしい。


「本木殿、いかがされた?」

「それが……医官殿はたびたび足を止めて何を見ているのかと、役人が訝しがっており」

『どうした?』

『先生が怪しいことをしているのではと疑われております』

『草花を見ているだけなのに……』


 日本に来て以来、出島に缶詰状態で、ようやく外の景色を見られたというのに、何が悲しくてそこまで行動を制限されなくてはいけないのかと思えば、先生が嘆くのも無理はない。


 これが日本の国益を損なう機密情報を探っているなんてことであれば、斬り捨てられても仕方ない話だが、先生が観察しているのはその辺に無造作に咲く草花だからね。


 ただ、役人たちの懸念も分からなくはない。


 さして珍しくも無い雑草や花をまじまじと眺め、時にはそれを押し花のような形にして収集している姿を見れば、一件無意味な行動に見えて、実はその裏でとても大事な何かを探っているのでは? みたいに疑われているのかもしれない。


『私が話をしてきましょう』

『すまない、迷惑をかける』

『なんの、いつもお世話になってますから』


 先生が申し訳なさそうな顔をしていたので、気にすることはないと声をかけた。だって、本当に気にするようなことではないのだから。




「少々よろしいか」

「藤枝殿、なんでございましょうか」


 先生に疑いの目を向けていた役人のもとへ向かうと、本気で疑っている者は少なく、ほとんどは「何道草食ってんのさ」みたいに呆れている感じであった。


「先生が何をしているか疑っていると聞いたんでね。誤解を解こうかと」

「あれは一体何をされておられるのでしょうか」

「先生は医者でもあるが、植物に関する学問を研究される学者でもある。長らく出島の中におられたので、珍しい草花を観察されたいのだろう」

「さして珍しいとは思えませぬが」

「それはこの国に住む者だからそう思うのだ。土地が変われば咲く花も草も姿形が少しずつ変わるものなんだよ」


 そこまで植物に詳しいわけではないが、ヨーロッパと日本で植物の種類は確実に違う。


 特に紅葉なんかで言うと、ヨーロッパのそれより日本の方が鮮やかで綺麗だなんてことを、ヨーロッパやアメリカの人が言うくらいだから、そもそも生えているものに差異があるのは当然なんだが、彼らがそんなことを知るはずもないので、俺の説明を「へぇ~」という感じで聞いていた。

 

「別に機密に関するような重要なものではないのだから、好きなようにやらせてはくれないかな」

「まあ……貴殿がそう仰せならば……」


 若輩者ではあるが、これでも四千石の当主だからね。俺が是と言えば、彼らが反論するのは難しいだろう。


『とりあえず不問ということで。観察はこれまで通り続けて問題ありません』

『ゲーキって、もしかして偉いの? 役人たちがヘコヘコしていたけど』

『家の格というやつは、彼らよりもかなり上の地位ではありますので』

『その割に偉ぶったりはしないんだね』

『必要によりけりです』




<その夜>


『ゲーキ、月を見ながら一杯どうだい?』


 宿に着いて夜も深まった頃、先生が誰に教わったのか知らないが、月を見ながら一緒に酒でもどうかと誘ってきた。


 年齢的に酒を嗜むのはちょっと気が引けるので、茶でよければお付き合いしますよと言うと、構わないと言うので二人で縁側に出て月を見ながら話に興じることとなった。


『さすがにこの時期の夜はまだまだ寒いですね』

『そうかい? 私の故郷なんかもっと寒かったから、この時期にしては温かいくらいだよ』


 先生の故郷はこの時期もまだ雪が残り、陽の出る時間もようやく長くなってくる頃だそうで、それまでは夜の時間が非常に長いそうだ。


 冬のど真ん中あたりだと、太陽が上るのが朝五つ八時を過ぎてからで、昼八つ十四時を過ぎるともう陽が沈み始めて暗くなりだすのだとか。


『私の故郷は本当に冬が長く感じる。それに比べたらこの国は春から夏、秋にかけてと暖かい季節が長いね』


 酒が進んできたのか、先生がいつになく饒舌で、今まで聞くことの無かった日本に来る前のことなどを色々話してくれたのだが、どうにも違和感を覚えている。


 日本の緯度はスペインやイタリアと同じくらいだったはずなので、オランダの方が北にあるのは間違いないが、寒いというイメージはそこまでないし、日照時間も極端に短くなったりしないだろう。


『だから、長い冬が終わって夏が来ると、夏至の頃に”Midsommarミド ソンマル”っていうお祝いの行事を盛大に行うんだ』


 あ……この人、絶対にオランダ人じゃない。




『先生、一つ質問していいですか』

『なんだい?』

『先生はオランダ人じゃないですよね?』

『……!! な、何を言い出すのかな……』

『私の予想では、先生の故郷はスウェーデンではないかと』


 俺がどうしてそう思ったかと言えば、最初の挨拶でフェイトさんはツンベルクと発音していたのに、本人の発音は僅かながらトゥーンベリと聞こえたところからだ。


 それを聞いたときの俺の印象は、「北欧っぽいな」ということ。


 セルビアやクロアチアだと"○○ッチ"、ロシアだと"○○スキー"のように、その国に多い特徴的な名前。フィンランドならば"○○ネン"、デンマークだと"○○セン"。そしてスウェーデンでは"○○ベリ"だ。


 そのときは聞き間違いかもしれないしと思っていたが、今の”Midsommar”で確信した。


 短い夏の到来を祝い、夏至の頃に開催されるお祭り。俺がそれを知ったのは、イケ○でミッドサマーイベントという名称でキャンペーンをやっていたからだ。○ケアって、たしかスウェーデン発祥のお店だったはず。


 そこでミッドサマーとは? と紹介があって、日本語訳で”夏至祭”と書いてあったのがすごいインパクトがあったんで覚えていた。夏至祭って響きが何か強そうじゃない?


 それだけなら他の国にもある祭かもしれないが、トゥーンベリという名前と合わせれば、スウェーデン人という結論に至るのはおかしな話ではないだろう。




『……ゲーキは優秀だと思っていたが、ここまでとは。たしかに、私はスウェーデンの生まれだ』

『やっぱり……』


 先生の話では、これまでもオランダ人と称して、他国の人間が出島に来たことは度々あったのだとか。


 日本人から見たら、見た目だけでは判別できないので、とりあえずオランダ語がちゃんと話せればバレることは無かったらしい。


 そういや、有名なシーボルトもオランダ人ではなかったよな。


『それに日本人はヨーロッパのことをあまり知ろうとしないからね。まさかスウェーデンの祭りのことを知っていたとは思わなかった』

『油断しましたね』

『商館長が余計な話をするなと言っていたのはこういうことか……で、役人に報告するのかい?』


 オランダ人以外の西洋人が入国していたとなると、幕府にとっては一大事。先生は俺が将軍に仕える身である以上、このことを報告するのだろうと考えているようだ。


『まさか。大恩ある先生を追い出すようなことはしません』

『ゲーキ……』

『ただ立場上、国益を損なうような話だけは漏らさぬようにお願いしたい。それが約束していただけるなら、私は何も見ていないし何も知らなかったことにします』

『……感謝する』




 ……って言っておけば恩に感じるでしょう。


 この人からはまだまだ吸収したい知識がたくさんあるからね。こんなことで国外追放とかさせられませんよ。

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