毒と薬は紙一重


<前書き>


 本話ではこの時代の性事情や性病の話を取り扱っておりますので、苦手な方はスルーでお願いします。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「シモの事情はオランダ人も変わらないんだな」

「髪の色や目の色が違えど、同じ人ですから」


 ツンベルク先生に師事してからしばらくしたある日、先生に呼ばれてやって来ると、何人かの遊女が出島に入っていくのを見かけた。


 ここはオランダ人の居留地であるが、彼らだけで生活が成り立つはずもなく、通詞のほか、諸事身の回りの世話などをする日本人が働いており、その数は百人を超えるが、基本的にその者たちは全て男性で、この島に入ることが出来る唯一の女性は遊女たちであった。


 溜まりに溜まった性欲が爆発してしまうのは、洋の東西を問わない生理現象。とはいえオランダ人が遊郭に足を運ぶことは出来ないので、向こうからこちらに来てくれるのだ。


「男なら考えることは皆同じってことか。でもお前さんはそういうのを嫌がるよな」


 平蔵さんはちょくちょく丸山の遊郭に足を運んでいるらしい。一緒に行こうと誘われ、絶対に嫌だと断るやりとりは何回目だろうか。


「伝染されるのが嫌なだけです」

「当たるも八卦当たらぬも八卦。遊郭で当たらなかったら、代わりに富くじが当たるかもしれないぜ」

「そんな当たり方しても嬉しくないですよ」




 何に当たりたくないかと言えば性病。特に流行しているのは梅毒である。この病の何が厄介かと言えば、一度治ったかに見えて再び発症することだ。


 病気の性質から、遊女の罹患者は多いのだが、梅毒に罹っていると気付かず多くの男と枕を共にする。で、ヤッた男が伝染されて、そこから奥さんに伝染して、奥さんが浮気相手に伝染して……となってしまうのだ。


 何で気付かないかというと、梅毒ってのは最初の頃は軽い皮膚炎や風邪みたいな症状なので、それだと分かりにくいから。未来ならばコンドームの使用で防ぐことも出来るが、なにしろこの時代にはまだ工業製のゴムは無い。安心の0.0何mmなんてものは存在しないのだ。


 そんなわけで梅毒に罹っている者は非常に多い。たしか玄白さんも、患者の半分以上が梅毒だと言っていた。ところが、確たる防衛策も治療法もこの時代には存在しないから、さらに厄介である。 


 一応この時代なりの予防策とか薬みたいなものはあるけど、おそらく大きな効果は無いだろうと思う。だって……梅毒の根本的な治療には、ペニシリンのような抗生物質が必要なはずだから。




 それを何で知ってるかといえば、現代の医師が幕末にタイムスリップして、ペニシリンを作るみたいな漫画だかドラマがあったから。身をもって体験したわけではないぞ。


 たしかあの話では、ペニシリンってのは幕末の時代の西洋でも存在しないものだった。ということは、当然この時代にあるわけがない。だからと言って、俺が作れるかといえば無理っす。カビだか何かから作られたってことくらいしか知らないもの。見様見真似でやっても、それがペニシリンなのか判別出来る知識も無いし。


 だから性病に罹らないためには、ヤラないか処女を相手にするしかないんだけど、この時代の性事情は意外なほどおおらかなんだよな。




 さすがに最上級の武家や公家になると貞操観念が厳しいけれど、世間一般で言えば夜這いとか浮気、不倫なんてのは当たり前。人間関係が限られた農村では、血縁が濃くならないように、旅人の夜伽に村の女を宛てがい、外の人間の子種をもらうなんてことも行われているらしい。


 他にも、二組の夫婦が合意の上で互いのパートナーを交換。未来で言うスワッピングも普通にヤッているそうだ。


 未来と比べて平均寿命の短い時代だから、子供を生むために異性と交わる回数は多い方がいいし、娯楽の少ない時代だから、性行為は人間の大きな楽しみの一つとなっており、まさに人のさがとも言うべき話だな。


 だからこそ日本各地に遊郭が存在しているし、大都市から宿場町に至るまで、湯屋には湯女ゆな、旅籠には飯盛女めしもりおんな、橋の下なんかには夜鷹よたかと呼ばれる街娼など、公認非公認を問わず未来で言うところの風俗嬢が数多く存在している。需要が無ければ供給されないわけだからね。


 なので女遊びを嫌う俺のような存在の方が珍しかったりする。意気地が無いとか、実はなのかと疑われる可能性はあるが、もらったら最後、絶対に怒られるよ。


 いや、怒られるだけならまだいいが、その後に何が待っているかと想像したら……ブルブル……身の毛もよだつ体験をしそうな気がする。誰にそんなことをされるのかって? 大体想像がつくでしょうよ。


「仕方がねえか。もらっちまったら、お前何しに長崎に行ったんだって言われそうだしな」

「ご理解いただけて何より」

『ゲーキ、待ってたよ。中に入ってくれ』

「お、先生がお呼びだぜ」


 平蔵さんと話をしていると、商館の二階の窓からツンベルク先生が顔を出して俺を呼んできた。




「手伝うって、もしかして俺たちも交ざれってことか?」

「まさか」


 先生がいると思われる部屋に入ってみると、中には遊女が五人。それに対して男は先生と……


「吉雄殿?」

「これはこれは藤枝殿」


 中では大通詞の吉雄殿とそのお弟子さんと思われる日本人。そして、俺と平蔵さんを加えればぴったり五人……


 みんなで仲良く、下半身プロレスごっこでもしようってか? 趣味じゃ無いぞ。


『先生、何をするのですか?』

『みんなで楽しく遊ぼう……と言いたいけど、さすがに私もこんな昼間から女遊びはしないさ』

「藤枝殿、彼女たちは皆、梅毒に罹っておる。先生はその治療を行うのだ」

「梅毒に効く薬があるのですか?」

「先生がその薬、"スウィーテン水"の処方を教えてくださる」




 スウィーテン水とは、開発した医師、フォン・スウィーテン氏の名を冠した梅毒治療用の薬だそうだ。


 ちなみにこのスウィーテン氏は、オーストリア大公マリア・テレジアの侍医も務めた方だとか。マリア・テレジアってあの有名な女帝だよな。ということは、スウィーテン氏は言ってみれば、この時代のヨーロッパ医学界でのビッグネームなんだろう。


『ちなみにどのように使うのですか』

『1回につき、小匙1杯を日に2度服用する』


 飲み薬ということは、臓器や血液中に薬効を行き渡らせ、これによって病の元を絶つなり、症状を軽減させるということか。


「これは蒸留した水に昇汞しょうこうを溶かし、そこへ幾ばくかの砂糖を混ぜたものだそうです」

「昇汞? 水銀にございますか」

「左様」

『先生、危険は無いのですか』


 汞とは中国語で水銀のことであり、昇汞とは塩化した水銀のことである。塩化しているから見た目は岩塩のようにも見えるが、非常に危険なものである。


 水銀は基本的に毒物だ。かつて秦の始皇帝は不老不死の薬として水銀を服用していたが、その中毒が原因で死んだとも聞くし、ちょっと前に白粉の使用について調べたときも、鉛のほかに水銀を原料としたものもあって、それが健康被害の元になっていたことも分かっているから、薬だと言われても服用は少々怖い気がする。


『危険が無いとは言えない。使い方を誤れば水銀中毒、最悪は死ぬ可能性もある』


 昇汞を溶かした水は、強力な殺菌作用があるのだという。つまり、それを服用することで梅毒の菌を内側から殺してしまおうというものであり、ヨーロッパではこれによって多くの梅毒患者が治癒したらしい。


 一方で強力で毒性が強い故に、服用量を誤れば菌どころか内臓や肉体を破壊して死んでしまうという、諸刃の剣みたいなところもあるので、西洋でもその是非は喧々諤々の議論があるようだが、他に有効な手立てが存在しないこの時代にあっては最新の治療法のようだ。




『毒も使い方次第で薬となるし、薬も使い方を誤れば毒になる』


 たしかに、俺なんかは毒薬としてしか認識していなかったトリカブトを、この時代の漢方では附子ぶしと称して、強心や鎮痛に効用のある薬として使われている。


 一方で、本来の用途とは異なる目的で薬を大量に服用して変調をきたす、オーバードーズなんて問題も未来では存在した。


『だからこそ、正しい知見を持つ者にこれは処方してもらいたい。素人が半端な知識で使えば、病が治るどころか死人が続出するだろう』


 薬と毒は紙一重。どう使うかは医者の腕次第か……


「どうした麒麟児、俺の顔になんか付いてるか?」

「いや、平蔵殿も俺も一緒だなと思って」

「?」


 薬に限らず、人を使うというのも差配する人の腕次第なんじゃないかなと、勝手なことを思った次第である。


 果たして、俺の存在はこの時代にとって、良薬となるか毒薬となるか……

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