お久しぶりと初めまして
<前書き>
本話で『 』内のセリフはオランダ語による会話となります。
外記が自身の言葉で話しつつ、細かいところは通詞を介してのようなやりとりとお考えください。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
<瀬戸内・船上>
東海道を西へと進んだ俺たち一行は、摂津兵庫津から海路を進み、瀬戸内海を西へと進んでいる。
兵庫から長門国馬関、未来の下関までの船旅は、経由地での滞在時間にもよるが、おおむね十四、五日。その後馬関から長崎までは陸路で七日くらいの行程となる。
そして、船は途中の寄港地、備後国鞆の浦にまもなく着こうかというところだ。
「初めての船旅ですからお疲れでしょう」
波の穏やかな瀬戸内とはいえ、この身体で船旅をするのは初体験とあって、少々辛いなと感じていると、ふいに声をかけられた。
「柘植殿は慣れておいでなのですね」
「某、ついこの前まで佐渡奉行をしておりますれば」
声の主は長崎奉行、柘植長門守
柘植というと、忍者の里で有名な伊賀の柘植を思い出すが、この方のご先祖様は尾張の人で、系譜を辿るとあの織田信長の家系に行き着くという血筋。今年の初めに佐渡奉行から長崎奉行に転じ、俺はその初めての長崎入りに同行する形となっている。
たしかに佐渡は日本海の荒波を越えていくから、瀬戸内の比じゃないよね。
「じきに湊へ着きましょう。今しばしお休みになられませ」
「申し訳ござらぬ、奉行殿直々に気にかけていただいて」
「なんのなんの、この一行で一番格は貴殿にござれば」
柘植殿は江戸を発って以来、終始こんな感じだ。
家禄は俺の方が上だけど、年は柘植殿の方がよほど上だし、なんなら長門守という官職も与えられている。さらに言えばこの一行は長崎奉行を筆頭とする一行なわけで、柘植殿が一番偉いのだ。俺などに畏まる必要はないと言っているんだけどね。
「いやいや、此度は藤枝殿が同行すると聞き、非常に心強いのです」
「心強い、ですか?」
「左様。恥ずかしながら某、オランダ人というものは江戸参府のときにチラリと見ただけにございますれば、蘭学に通じている藤枝殿が一緒に居れば百人力と思うておりまする」
さらに言えば、柘植殿は言葉を交わすのにも不安があるようだ。
「通詞が誤魔化すとは思えぬが、彼らを介さねばオランダの言葉が分からぬというのは、どうしても信頼性に欠ける。藤枝殿にそこを補完してもらえれば尚有難い」
「元々文字を訳す方が中心だったので、会話の方はまだまだなんですよね」
「それでも期待しておりますぞ」
こればかりは相手のいる話だから何とも言えないな。すでに長崎では新任のカピタンが到着し、前任との引き継ぎを行っている最中だろう。これから半年ちょっと交流を持つ相手になるわけだが、こちらの意を汲んでくれる協力的な人であればいいのだけれど……
◆
「やれやれ、やっと着いたぜ」
「長崎に入るまでが長かったですね」
俺たちは長崎に着くと、奉行所の西役所というところに入ってようやく身体を休めることが出来た。
後もう少しで長崎の町に入るというあたりから、在勤奉行の家臣やら町年寄やら、西国の各藩が長崎に置いている聞役と呼ばれる職の者などから、至る所で出迎えを受けては足を止め、距離に比して到着までものすごく時間がかかった。
奉行赴任時の儀式みたいなものなんだろうけど、面倒臭いね。
「これからどうするんだい?」
「柘植殿は代官たちから到着の祝賀を受けたり、在勤奉行に返礼したりと忙しいようですね」
「そこは奉行所の仕事だな。ということは、俺たちはもう自由に動けると。よし、さっそく丸山町に」
「行かせねえですよ」
……すぐこれだよ。丸山町ってのは長崎の色町、要するに遊郭だ。自然な流れでサラッと遊びに行こうとするな。
「我々は出島へ向かいます」
「勝手に行っていいのか?」
「柘植殿の許可は取ってあります」
「なんでえ、段取りがいいな」
「そうでもしないと、知らないうちに誰かさんが遊びに行ってしまうと思いましたので」
こちらはこちらで主命を帯びて来ているわけだから準備はしていた。事前に吉雄殿に話をつけておいて、通詞の手配も済ませてある。柘植殿は俺に期待しているみたいなので、事前にカピタンに会いに行って、その為人を確かめたいのだ。
◆
『ホーイ! アンユローじゃないか~!』
「なんでいるの?」
……と、意気込んで出島のオランダ商館に足を運んだのだが、聞き覚えのある陽気な声で思いっきり拍子抜けしてしまった。
そこにいたのはフェイトさん。江戸で和訳の指南を受けに行った際に面会した商館長……なのだが、あれはもう三年も前の話だ。あの年の夏にバタヴィアに帰って、翌年に再びカピタンとしてやって来たまでは知っているが、今長崎にいるということは……
『三回目?』
『そうだね、3度目の日本だ。ここ何年かは、もう1人と1年交代でカピタンをやってるね』
『大変ですね』
『仕事だからね』
これは助かる。フェイトさんなら以前話したこともあって、俺のことは少なからず知ってくれている。話が早いかも知れない。
『それはそうと、どうして長崎に来たんだい』
『遊学に来ると伝えていたはずなのですが、聞いてませんか?』
『んー? “フジーダ・ゲーキ”という人が来るとは聞いていたけど』
『今は名前が変わって、徳山安十郎ではなく藤枝外記なんだ』
フジーダ・ゲーキって誰だよ? とは思わないよな。どう考えてもそれって俺のことだもんな。
“Hujieda”のeが”エ”じゃなくて、前の”ji”と結びついて、”ジィー”みたいな発音になったんだろう。フェイトさんが俺のことをアンユローと呼ぶのも、安十郎の”
『なんだ、アンユローのことだったのか。アンユ……じゃなかった、ゲーキは運がいい。今回長崎に来た医官はとても優秀なんだよ。きっと君の力になる』
今まで幕府が正式に、オランダ商館に対して勉強の面倒を見てくれなんて依頼をしたことはないから、向こうにしても何だよそれ? って感じだったのだろう。そのためにやって来たのが俺だと分かるや、フェイトさんは満足そうな顔をしていた。
『そんなに優秀な方が日本へ?』
『なんでもこの国に興味があるみたいでね。あまり外を出歩くことが出来ないから、満足な研究は無理だと俺は言ったんだけど、どうしてもって言うから』
『そうですか、それは楽しみですね』
『では呼んでくるとしよう』
フェイトさんが商館員に言付けしてしばらくすると、部屋に一人のオランダ人が姿を見せた。
『商館長、お呼びかな』
『紹介しよう、医官のカール・ペーター・ツンベルクだ』
『トゥーンベリです。よろしく』
……ん?
今のところ実践経験皆無のヒアリング力なので確信があるわけではないけれど、フェイトさんが紹介した名前と、本人の名乗りに若干発音の差異があったような気がする。
日本でも地方によってアクセントが違ったりすることはよくある。茨城は"いばらき"なのに、地元の人が発音すると"いばらぎ"みたいに聞こえるとか。ただ、そういう類いの違和感ともちょっと違う。
オランダにも方言みたいなものがあるのだろうけど、もっとこう……国を隔てて違う言語の発音をしているかのような違和感を感じる。
『ツンベルク、こちらが以前話したアンユローだ。今はフジーダ・ゲーキと名乗っているみたいだけどね』
『君がそうか。話は商館長から聞いているよ』
『……はじめまして。藤枝外記です』
どうやら二人は、俺が発音に違和感を感じたことには気づいていないようだ。なので、俺も今は知らぬフリをしておこうかと思う。
『独学で蘭書を日本語に訳したんだって?』
『ええ。仲間たちと共に』
『素晴らしい。私も“Universiteit”で学んでいたが、そこまでの向学心を持つ者はそう多くなかった。感心するよ』
『Universiteit……とは何でしょうか?』
『ああ、この国には無いのか。高度な教育や研究を行う学校のことさ』
発音と説明から推測するに、恐らく大学のことだろう。日本は寺子屋などで初等教育は充実しているが、大学的な教育機関は少なく、高名な学者に個人的に師事するのが主流。藩校と呼ばれるものも、まだまだ数は多くない時代だ。
『すると、貴方もどこかの大学で?』
『うん、故郷にウプサラ大学というのがあってね。そこで医学や植物学を学んだ』
『んんっ、んっ、ツンベルク、ちょっと……』
ツンベルクさんが自身の紹介をしていたら、フェイトさんが突然咳払いして、俺に聞かれないようにか、何やら二人でコソコソ話している。
何か怪しい……
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