鰻と電気
「大したお屋敷にお住まいだね」
「四千石の体面というやつです」
「そう仰るってことは、外記さんはそこまで必要を感じてなさそうだね」
「ええ。なので私が跡を継いでからは必要以上の華美は控えております。何しろ色々と物入りですから」
賢丸様が白河藩に養子入りすることが決まってしばらく後、源内さんが屋敷を訪れていた。
「それで、本日のご用向きは」
「いやね、蘭学に詳しい外記さんに見てもらいたい物があってな」
「拝見いたしましょう」
「……それがな、物が大きいから、出来ればオイラの家にご足労願えないかと」
……俺のお尻は美味しくありませんよ。
「……さすがに四千石の殿様に変なことはしねえよ。男色ってのを聞いて警戒してんだろうけど、オイラも相手は選ぶ。だいたい外記さんは田安の殿様に嫁選びを一任してると聞くし、その気は無いんだろ」
「なんで嫁選びのことをご存知で?」
「こう見えてご老中の田沼様には目をかけてもらってるからね。そのあたりの話も耳に入るのさ。出羽でジャガタライモを栽培し始めたのもお前さんの指南だろ」
普通なら時の老中が武家への仕官も叶わぬ素浪人に目をかけることなどあり得ぬが、田沼意次という人物を考えればあり得る話だ。
それにジャガイモの話も、出所は老中首座の松平武元公から田沼公へ伝わったものを聞かされたからだとか。武元公の館林藩も村山郡に三十数村の領地を有しており、佐倉藩の動きを把握していたかららしい。
「分かりました。今日は特に用もございませんので、同道いたしましょう」
「話が早くて助かる」
「ご自宅はどちらで」
「深川清住さ。武田長春院という医者の下屋敷を間借りしている」
清住というのは、以前俺や賢丸様が鬼平さんと出会った菊川町より南、小名木川という堀を超えた先の隅田川沿いにある町。未来では清澄白河と呼ばれるところだ。
「さて、時間も時間だし、飯でも食っていきましょうか。近くに良い店がありますんでね、案内しますよ」
久しぶりに隅田川を越えた町に入ろうかというところで、源内さんが飲み屋の客引きみたいな感じで昼食にしようと声をかけてきて、連れられてきたのはとある鰻屋だった。
「旦那、儲かってるかい」
「こりゃ源内先生。おかげさまで」
「そうかいそうかい。今日は大事なお客人を連れてきたからな、とびきり上等のうな重を用意してくれ」
「へい、少々お待ちを」
どうやら店の主人と源内さんは知り合いのようで、気さくに声をかけて上等のものを用意してくれと話している。
……あんまり高いのは勘弁してほしいんだけど。
「心配しなさんな。ここの主人には恩を売ってるからね、安くていいものを出してくれますよ」
「恩?」
「外記さんご存じないかね、"土用の丑の日"って」
土用とは暦の中の雑節と呼ばれるもので、立春・立夏・立秋・立冬の前日までの約十八日間くらいの期間を指すもの。
特に未来では立秋の前に訪れる土用が特に有名であり、それはひとえにその間に訪れる丑の日に鰻を食べる習慣からくるものだ。
たしかにここ最近、土用の丑の日が近づくと、その張り紙を店先に貼ってある鰻屋が増えたような気がする。
そういや、それを作ったのって……
「オイラが鰻屋に教えてやったのさ。夏になると暑くて鰻が売れないって店主に相談されてね、だから"本日土用丑の日"と書いて店先に貼ってみろと教えてやったんだ。そしたら大繁盛した次第でさ。外記さんは何でそれで繁盛したか分かるかい?」
「特に意味はないけど、そういう風に思わせるという仕掛けでしょう」
鰻には夏の暑さが厳しく、バテ気味の体に必要な栄養分が豊富に含まれているなんてもっともらしい話もあるが、だったら別にその日に限らず食べればいいだけのこと。これは販促のために源内さんが考え出したキャッチコピーだ。
鰻屋が土用の丑の日と看板を出していれば、人はどう感じるか。
普通に考えれば、商売に関係のないことを掲示するとは思わないから、鰻と何らかの関連性があると誤認するだろう。それが人伝に伝わっていくうちに、理由も分からないまま丑の日と鰻が紐付けられ、半ば常識みたいに習慣づけられていく。俺はその習慣が人為的に生み出された始まりの時代を生きているというわけだ。
未来でもあったよな。菓子メーカーの陰謀により、2月14日はチョコを贈る日とか言って、世の男子のおよそ92.55%(推計値)が絶望のどん底に落とされるという、
一応蘭学者のはしくれだからな、オランダ語で発音してみた。決して俺が7.45%の方に入れなかったから恨んでいるとか、その腹いせにこちらの世界では、将来それで儲けようと考えているから言葉を調べたわけではないぞ。
「なんでえ、これもお見通しかよ」
「源内殿は漱石香で既にそういう仕掛けをしてますからな」
何年か前に源内さんは漱石香という歯磨き粉のチラシの文章を作った過去がある。「効能があるかは分からないけれど害にもならない」とか、「あなたがもし気に入らず捨ててしまっても、売れてしまえばこっちは儲かる」とか、結構ぶっちゃけた謳い文句が逆に江戸っ子の興味を引いたようで、漱石香は大いに売れたという。
源内さんは未来でいうところのコピーライターの才も持ち合わせているのだ。
「そこまで知ってたかい。そうさ、土用の丑の日に何の意味もないさ」
「でも実際はそれで鰻が売れたわけだから、大した才能だと思いますよ」
「そこまで見通せるなら、俺が見せたいものも分かるかもしれないな」
<深川清住町>
「藤枝殿ではありませんか」
「武助殿、その節はお世話になり申した」
俺が屋敷の前まで来たのを見て、解体新書の絵を担当してくれた小田野武助さんが姿を見せた。そういや、秋田藩邸ではなく源内さんの家に居候だと言っていたな。
「武助殿の絵のおかげで評判も上々です」
「私の絵など……何より本文の精緻さがあってこその評価にございます」
相変わらず腰の低い方だな。武助さんにも解体新書の序文に寄稿してもらったのだが、「このような大業を私のような下手くそが担ってよいものかと思ったが、皆が頼むので断り切れずに描きました」と、謙遜もそこまでいくと……みたいなことを書いていたからね。
「して、本日はどうしてこちらへ」
「源内さんが見せたいものがあると言うんでね」
「先生が?」
「待たせたね。ちょっと散らかってるが、まあ入っておくんなさい」
源内さんに案内されて家に入ると、中はちょっとどころではない散らかりようだった。
人の屋敷を間借りしていることもあってか、元々それほど広くないが、所狭しと怪しげな機材や戯作や浄瑠璃の台本と思われる数々の原稿、そしてそれらの知識の源となっているであろう多くの書籍が積まれていた。
「見てもらいたいのはコイツだ」
ガラクタの中から、源内さんが何やら箱のようなものを探し当てると俺に見せてきた。
柄のついたその木箱は側面にハンドルのようなものが付き、天板の真ん中に空いた穴から延びる金属の棒が、上のほうで二本に分かれてアルファベットの"F"のような形になっていた。
なんか既視感があるフォルムなんだが、源内さんが持っているということは、おそらく、いや間違い無くアレだろうな。
「源内殿、これは?」
「昔長崎に行ったときに、通詞の西善三郎殿を通じてオランダ人から手に入れた"いれきせえりていと"というものだ」
発音は少し違うが、
「……知っているのか」
「言葉は知っておりますが、西洋でも新しく発見された原理のようで、我が国の言葉でうまく訳すものが見つからず、私は仮で"電気"と呼んでおります」
「電気……つまり雷の源ということかい」
そのとき、源内さんの目がキランと光ったような気がした。怖いな〜怖いな〜、ナニを考えておられるのだろう……
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