ボーイズ&ガールズトーク
「外記様が……私のことをそのように……」
俺と綾が畑仕事をしていたのを見て何か勘違いしたのか、種姫様が手の付けられない暴れようだった。
種
姫、襲来
頭の中にそんなタイトルが浮かんできた。
どうしたものかと思っていたが、今は綾が話した言葉に驚き、戸惑いながらクネクネモジモジしている。
「私はただの奉公人です」
「真にそう誓えるか」
「はい」
「……外記様、この娘としばし二人でお話がしとうございます。兄上と一緒に席を外していただけませんでしょうか」
……どういう意図で仰っているのか分からないが、そう言われてもさっきのアレを見た後だからハイそうですかとは言いにくいよな。
「殿、大丈夫です」
「そうは申しても……」
「お話しするだけですよね」
「まあそうなんだけど……くれぐれも失礼の無いようにな」
「畏まりました」
綾が大丈夫だと言うので、俺や賢丸様は席を外し、部屋には姫と綾の二人きりとなった。
……てか、ホントに大丈夫だよな?
色々と学を授けて分かったが、綾はかなり頭が良い。義務教育が無いこの時代、高度な教育を受けられる町人はそうそういないだろう。だが、教育さえ受けることが出来れば大成できる可能性を秘めている者がいると示す良い事例になるはず。
しかし……この時代は学を持った女子は褒められるどころか、女だてらに生意気だと言われてしまう。外で仕事をするのは男の役割と刷り込まれており、それは遠く令和の世になっても根絶には至っていない問題だ。
実際に学問を修めた女子というと、明治になって津田梅子などが登場してようやくといったくらいだが、それだってかなり苦難の連続だったらしいから、それより百年も前に教育とは無縁の町民の子に生まれた才女……と言うと言い過ぎかもしれないが、綾は特異な存在と言えるし、だからこそ悪目立ちしないように大事に育てていきたい。
なので、姫様に騒ぎ立てられると困るのよね……
◆
「迷惑をかけたな」
「いえ」
人払いをされて俺と賢丸さまは別室で茶をすすっている。誰に言われたわけでも無いが、何故か正座をしていないと気持ちが落ち着かない。
「まさか綾にあそこまで嫉妬するとは思わなんだ」
賢丸様は、姫がお怒りなのは俺が綾と親しげにしていたからだと考えているようで、その身を任せたのが自身だからか、責任を感じているようだ。
「嫉妬……ですか?」
「嫉妬も嫉妬、消し炭と化した焼き餅。……ってお主は気づいておらんのか?」
「いや、まあ……姫様から好意を受けているのは気づいておりますが」
「そんな生易しいものではない。あれは本気ぞ」
賢丸様は以前に宗武公から色々聞かされたそうで、どうやら種姫様は俺を田安家に繋ぎ止めるため、自分が輿入れして縁を繋ぐ腹積もりなのだとか。
「いや……それは無理筋というものでは?」
「儂の妹では不満か?」
「姫に不満などありませぬ。しかし格というものが……」
どの口が格とか言う? とは言わないでほしい。個人的な意見は差し置いて、この時代の常識に照らし合わせれば、分家と言えど徳川の姫が四千石の旗本に輿入れなどあり得ない話だ。
まず生活基盤が違う。藤枝も比較的裕福な家だが、十万石の知行に加え、何かあれば将軍家の援助が見込める御三卿の家とではそもそもの暮らし向きのレベルが違う。
姫の格に合わせて支度を整えたら、藤枝家は間違いなく破産一直線。かと言ってこちらに合わせる、もしくは援助を受けて生活レベルを維持するとなれば、周りから何を言われるか分からない。世間一般の常識では明らかな格差婚であり、現実はそんなに甘くはないのよね。
「外記の口から至極真っ当な言葉が聞けたな」
「私はいつも真っ当ですが」
「冗談じゃ。お主の申す通り、今の価値観ではそうだろう。だが忘れたか? お主に縁談が来たら田安に話を回すよう父上が仰っていたことを」
たしかにそう言われた。だからあれからいくつか来た話は、全て宗武公に話を通してくれと伝えたら、揃いも揃って「じゃあいいですぅ〜」って、なんかのCMみたいに波が引くように去っていったな。
でも……それが何の関係が?
「鈍いのう。そのときが来るまで、父上がお主に虫が付かぬようにしておるのだ」
「……まさか、宗武公は」
「そのつもりなのではなかろうか。あれも来年でようやく十歳。まだ輿入れには早かろうから、時間を稼いで世間の目が変わる日を待っているのではないかな」
……もしかして、外堀どころか内堀まで埋まってる? どうやら冬の陣をすっ飛ばして、いきなり夏の陣が始まったでござる。
「と申してはみたが、父上のお考えのようにいくかは分からん」
「と、仰いますと?」
「今、将軍家の近親に姫がおらん」
実は今年の初頭、将軍家治公の次女で尾張徳川家の世子に嫁ぐはずだった万寿姫が亡くなり、将軍直系の姫君はおろか御三卿まで範囲を広げても、現在未婚の姫は田安家の種姫様とその妹の定姫様のみ。政略の具と言うとちょっとイヤな感じだが、将軍家としてどこかの家と縁づくための弾が無いのだ。
御三家や親藩の姫を養女に……という場合もあるが、現将軍との血筋を考えれば、種姫様や定姫様がその役割を担う可能性が一番高い。宗武公は断る気だろうが、どうしてもと言われれば……と賢丸様は見立てているようだ。
「可能性だがな。今のところはお主が一番の候補のようだからな」
「畏れ多いことで」
「俺もどこの馬の骨よりかは、お主が義弟のほうがありがたいしな」
「気が早いです」
誕生日は俺の方が数ヶ月早いが、妹の旦那となれば義弟か。……って、縁組みすること前提で話をするのは止めましょう。未確定なことが多すぎるし、課題は何も解決していないのですから。
「義兄弟の契りでも結びましたのですか」
賢丸様が冗談でそんなことを言っていたところへ、種姫様と綾が戻ってきた。見る限り綾の表情がぎこちないのが少し気になるが、大きな問題は発生しなかったように覗える。
「お話はお済みで?」
「ええ。綾さんにはとても有意義なお話を伺えました。それと同時に……少々聞き捨てならない話も……」
「そのような不遜な話がございましたか?」
「綾に色々と学問を授けていると仰っておりましたが、蘭語まで教えているというではございませんか」
そうですね。綾には手伝いを任せるために色々と教えている。オランダ語もその一つだ。
今はまだだが、後々蘭書を用いて……ということも増えてくるだろうから、本文までとはいかずとも、書名くらいは読めるようにしておいた方が何かと便利だと思い手習い程度に教えている。
ついでに言うと、オランダ語に関しては賢丸様にも教えているから、一緒に机を並べた方が効率が良い。綾の様子を賢丸様に見せるにも都合が良いからね。
「事情は理解いたしましたが、お兄様や綾は外記様を師と仰いで教えを受けていると言うのに、私だけ取り残されたようで少々悲しいのです」
「そういう思惑ではありませんが」
「では、私も二人と一緒に教えを請うてもよろしゅうございますか」
「姫様も……でございますか?」
状況的に俺が田安邸に足を運ぶ機会はそう増やせないから、やるとなると向こうからこちらに来てもらう必要がある。
賢丸様と一緒に来るのであれば、警護とかの心配はそれほど無いとは思うが、姫様がちょくちょく屋敷を抜け出して……ってのは問題ないのだろうか。それに綾は俺の家の使用人だからともかく、武家の姫君が実学を学ぶというのは許されるものなのだろうか。
未来人から見れば、男尊女卑が大手を振って歩いている時代だ。それこそ戦国期なら甲斐姫や小松姫みたいな男勝りの女子もいただろうけど、徳川の姫が男みたいなことをやっていると言われれば、宗武公や治察様も何を言われるか分からないぞ。
「諦めろ外記。種がこう言い出した以上、父上も兄上も首は縦にしか振らんぞ」
「おお、もう……」
夏の陣が始まったどころか、いざ戦となったのに、こちらには真田丸のような防御施設も、後藤又兵衛のような豪傑も存在しない模様である。
嵐のように襲来した種姫様は、一緒に学問を学べるということにホクホク顔で賢丸様と共に帰っていった。
実際は宗武公の許可を得てからだろうが、あの様子だとそこで障害になるものはなさそうだな……
「綾、大儀であった」
「ありがとうございます。ただ、一つ謝らなくてはいけないことが」
「何かな?」
見送った二人の姿が見えなくなった頃、労いの言葉をかけると綾がそんなことを言い出した。
「私が一緒に勉強しませんかと勧めました」
「お前か……」
どうやら二人で話していたときは、ほぼ姫様からの質問攻めで終始したらしい。
「お話を聞くに、姫様が殿を好きなんだろうと分かりましたので、ご機嫌を損ねないようにと気をつけたのですが……」
ところが俺からどういう学問をどういう風に教わっているのかと聞かれたとき、手取り足取り教えてもらっていると答えたところ、雰囲気が急変したのだとか。
「怖くて怖くて……そう言うしかなかったのです」
「……委細承知。しかし、姫が私を気に入っているとよく分かったな」
「それは気づきますよ。……まさか殿はお気づきでない?」
「……そんなわけないだろう」
「あやしい……」
こうして期せずして三人目の弟子が誕生したのである……
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